「ストーブリーグ」カテゴリーアーカイブ

夜桜ライブ

ポスター

今年のうにまるの出だしは、昨年に引き続き小山田の喫茶店「すとぅーぱ」でのライブからだ。ポスターには「夜桜ライブ」としている。実際には三月末に市内のせんべい店の工場祭の野外ステージに出演したから二回目なのだが、そちらは野外で寒いし風は吹くし、何より花粉でひどかった。今回は自前のPAを持ち込んでのライブだから音の聞こえもよくてまずまずの演奏だった。最近はギターはもうどうでもよくて、歌の方に専念する傾向が強くなった。そしてプラス衣装だ。今回は沖縄びんがた風の黄色の着物に黒の袋帯。着付けはもちろん帯び結びも自分ひとりでできるようになった。これも場数踏んでなんぼのもんだ。

着物に半纏はよく似合う

イカせんべい工場祭でライブ

最後の曲で長半纏を脱いで演奏。すこぶる寒かった
黄色の着物でステージに上がる
セッティングがうまくいかない

菅田イカせんべい工場祭のステージイベントで演奏した。9時過ぎにばあさんの介護やら洗濯やらを終え、車で会場に向かったら早目に着いた相方から電話があり「なんとステージは外だった、洗濯ばさみオレの分ももってこい」の連絡。急いで車を戻して洗濯ばさみを持参して会場入り。なんと天気はいいが風は冷たくしかも花粉。こりゃテンション下がるはな。と思いながらもステージをこなした。お客さんは出店ブースの買い物に忙しくてステージなんかどうでもいいという感じだった。こちらも音響のバランスが悪くなんかイマイチな感じで演奏。午後は黄色の着物に着替えて演奏となったが、お客さんはほとんど帰っていて内輪での練習会となって終了。撮影するほどでもなく、こんなもんかとお土産をいただき撤収した。

敬老会ライブに救急隊登場

ステージは着物

近内地区の敬老会の余興ステージを依頼されたのは去年だったが、あいにくコロナでお流れとなっていたが、今年は休暇村みやこでやるというのでステージを頼まれた。着物でステージに立って「昭和の宮古まち」というテーマで1時間の演奏。今月のライブはアクシデント続きだったが、なんとか今回は無事に演奏できそう…と思った矢先、会場の様子がおかしい。そのうち救急隊が入ってきて座ったじいさんの介抱をしていたがゴムのシートに乗せて退場。救急搬送となったようだ。うにまるは津波で死んだ夫を想って唄う「約束の日」を感情込めて唄っている最中だった。歌詞には生きるだの死ぬだのが散りばめられていて、まことに申し訳なかった。それでも救急隊が退出後は再び盛り上げてフィナーレ。大声援をいただいた。ギャラも出て御の字。懲りずに来年も呼んでくれればいいけれど。

いまいちで終わった音楽祭

リハーサルも出来ぬまま、本番時間が経過。曲数を減らすはめとなった

10月7日に「みやこまち音楽会」というステージイベントがあって、うにまるは2ステージ出演だったから9月はそうとう練習したのだが、本番はバンドバージョンの方が会場の音響PAのセッティングがもたついて開演時間を大幅にオーバー。返しSPも鳴らず演奏は思うようにいかないし、関係者でもあるバンマスはテンパってしまい演奏をとちる。結局、リハで音出しに1曲やって、あとは4曲のセットリスト中、2曲の演奏で終了。ま、世の中こんなもんだ。とかく「返し」の善し悪しはパフォーマンスに影響するから、ロートルの機材での設営はだめだな。あと、返しに使うSPは二中三流メーカーでもいいから口径の大きなウーハーしゃないとだめだな。おそらく今回のSPはリハ時の音圧で飛んだんだと思う。一応、歳はとっていても演奏するのはロックだもん、しかも、あたしは地声がデカいし。飛んでしまったベース側の返しはローランドのTR808のようなブリブリ音しか出なかった。
さてふたつめのステージはいつものアコで演奏。軽く女っぽい恰好とウイックで返送して演奏。こちらのステージの音響は問題なかったけれど、今度は3曲目に雨。虎の子のオベーション・パラディーアを濡らしてしまった。衣装もウイックも濡れて、通り雨が過ぎるまで待って再びステージをこなしたが、こちらも雨で一端休止したので2曲をカットして時間合わせとなった。ほんと何の因果か今回のイベントでは散々なライブだったわけで。用意はしたけれど動画も撮る気なくしてしまった。

おばさんふぁっしょん
キュロット。さすがにこれはやめた

バンド練習

ドラム、ベース、ギターで自分はボーカル担当。手持無沙汰

10月に街中での音楽イベントがあってそのステージの二ヶ所に出ることになった。ひとつはバンド形式でやる「うにまる」、もうひとつはアコギ二丁で演奏するフォークの「うにまる」。アコギの方は頻繁にやってるから練習しなくともなんとかなるけど、バンドの方はドラムとベースが入るから間とか、きっかけとかバンドあるあるの練習をしなければならないわけで、毎週、練習場入りとなる。バンドの時は自分のパートは歌だけなのでブレスや歌に専念。本当はエレキギターを抱えて歌うというのが理想なのだが、いかんせんエレキは場数を踏んでいないからいい音を出せない。ギターにストレス抱えると歌がダメになるから、やはり歌に専念。本番も自前マイクのsureの58ワイヤレスを持ち込んで歌う予定。

末広町夜市でライブ

とにかく暑かったが、しっかり演奏しました

このイベントは開催意味も主催者も不明のまま出演が決まっていて、開催週の木曜日になっても何の連絡も来ない。座って演奏か立ちなのか、マイクが何本、ラインが何本、そして集合時間、雨天中止の場合の処置もなんも言ってこない。さすがに腹が立って学校の学芸会気分でのオファーだったら主演しませんと主催者側に怒鳴り込んだ。そしたらあわててたらしく主催者側からやっとまともな話がきた。ギャラも出さないで暑い中で歌わせるんだから飲み物ぐらいは出るんだろうね、素人だからって芸人ナメんなよ。と言ってやった。当日は駐車場に「うにまる様」の貼り紙もしてあって文句言った甲斐があった。と思ったら、前出のバンド押してダラダラと演奏し10分オーバー。なんてこった。ま、それでも演奏したが時間の都合で一曲はしょってしまった。あかんな、アマチュアとは言え持ち時間とタイムテーブルは守らなきゃ。

10日遅れの七夕ライブ

最近ポスターのデザインもうまくなってきたような気がする
浴衣は目立つが、この時期、マジで暑い

市内の喫茶店「すとぅーぱ」にて10日遅れの七夕ライブをやった。お客さんはいつもの常連さんに加え今回は新里交流センターの知人や相方三上氏がやっているギター教室の生徒さんなどがきてくれた。今回の衣装は夏というので浴衣をチョイスしたが、これがまた暑い、暑い。汗だくでの演奏となって、女性のおしゃれも大変なものだと実感した。翌日は汚れた浴衣をアクロンでやさしく手洗い。陰干ししてスプレー糊でアイロンをかけた。ネットで浴衣洗いをしらべたら、洗ってから洗濯糊の水溶液に浸して、ずぶずぶのまま干すとビシッと糊がきくらしい。次回はやってみようと思う。今回着た浴衣はヤフオクで1000円で購入したもの。木綿だが洗ったときに激しく色落ちした。これもネットで知ったがすすぎの時に酢酸を数滴たらすと色止めになるらしい。つーか、浴衣着るなら新しいのを買った方がいいかも。

金勢神社の宵宮でライブ

ポスターを作って町内に貼った
ご本尊前にて記念撮影

うにまるの楽曲に「マンボこうせい様」というのがある。この曲は鍬ヶ崎日影町にある金勢社という神社をモデルに、鍬ヶ崎上町付近に昭和時代まで普通に賑わっていた花街をテーマに。売られて買われる遊女をテーマにした歌詞が特徴だ。曲はうにまる時代よりさらに昔の僕が30代前半に友人と組んでいた「潮吹き温泉BAND」というグループ時代に書いたもので歌詞は僕、曲調は当時一緒に活動していた高橋政彦くんが担当したものだ。グループとしてこの曲を人前で演奏したのは1回のみで、その後はお蔵入りになっていたものを、うにまるをやるようになって再アレンジして演奏したものだ。当初はうにまるも大きな音を出すバンド編成だったから「マンボこうせい様」も結構難しい制約があって演奏は難しかったが、近年はうにまるの演奏活動もアコギ2本のみだから、意外と自由に唄って演奏するパターンとなっている。後半は有名な「港のヨーコ」をもじった宮古弁のおばあさん探しのセリフで進むストーリーで聴く人たちを笑わせながらの語りと演奏になる。そんな持ち歌があることにも関連して、その歌を実際の金勢神社のお祭りに演奏して奉納するべぇ、というノリで、当神社の例大祭を運営する日影町町内会に企画書を提出して許可をいただいた。そんなこんなで6月の第2土曜日7時から金勢神社御宮内でうにまるのライブステージが行われ、約20人ほどの観客の前での演奏となった。しかもこれも何かのお導きだったのか、この神社の代表を務めていた方は、僕が子ども時代に藤原のお婆さんに面倒をみてもらっていた家の隣の家にいた家族の親戚だった人で、僕のこども時代のことをしっかり知っている方だった。おかげで藤原に一緒に遊んでいたお隣さんの兄妹の消息も聞かされた。世の中やはり意外と狭いなと思った。

昔に比べて男根はかなり少なくなりました
足にマジックで書いてみました

オーディオインターフェイス

この手の機械は進化が早く陳腐化しやすい

マックのようにほとんどを自社が管理して組み立てられているPCと違ってWindowsは幾多のメーカーの寄せ集めで成り立っているため、特殊なソフトを入れると対応しない部分が出てくる。そんな不具合の中に音関係があって調子を整えるのがやたら面倒くさい。ソフト側の初期設定であれこれ設定するのだが、そうすると通常のYouTubeの音が出なくなったりアラート音が鳴らなくなったりする。今回は打ち込みソフトのキューベースを入れたのだが、初期設定で最新のアシオドライバで動かすとノートPCの貧弱スピーカーからの出力以外を選べない。USB接続しているアンプのオーディオインターフェイスを認識しないのだ。ちなみにAKAIのMPCはWINオーディオを認識してUSBアンプで音だしできる。キューベースはVSTプラグイン対応のソフトシンセを鳴らせるのでこれを使ってシンセで遊びたいのだがこのままでは迫力のサウンドを味わえない。ならばMPCのVSTプラグインでソフトシンセを読めば…と思ってやってみたが、どうにもうまくいかない。というかMPCのVSTプラグインは特殊らしく非対応みたいだ。フリーシンセなんかをVSTで読み込んでも真っ白の窓が開くだけでグラフィックがついてこない。ならば仕方あるまい、キューベースもMPCも同じ環境で音が出るようにして、しかもYouTubeの音も出るようにするしかあるまい。というわけで、タスカムのオーディオインターフェイスを購入。まずは9800円程度の入門機で。ギターやマイク入力は二の次、とにかくシンセで遊ぶためだけに購入。そしたら今度はアシオの最新版では動かず、ハード専用のタスカム独自のソフトを使って動かすしかなかった。そしたら鍵盤の反応速度はひと昔前の速度。ま、鍵盤の早弾きなんかしないけどさ。悔しいけど、元マックユーザだった自分が言うのも変だが、音や絵の世界はマックが強いと感じさせられてしまう。

ライブ

ポスターたった5枚製作
相変わらずのコスチュームで

コロナが五類になったんで、早速ライブをやった。今回は突発的に開催が決まったのでポスター貼って一週間しか時間がなかった。それでも二回練習をした。久々の割りに声の伸びとツヤは維持していたけれど、ギターのコードを忘れていて演奏は下手だった。ヘタなのは自分だけなのだが、歌と腹筋に集中してコードがおろそかになるという、ありがちなパターンだった。ギターを弾かず唄だけならもっと情感込めて特殊な歌詞割りで歌えるのに、旋律のリズムをとるためギターを弾くとストロークする左腕の上下運動につられてコトバのギミックを聴かせる技を出せないのだ。
うにまるとしてバンドをはじめて10年ほども経つが、歌はかなり上達したと自負している。上達しても、凄い声量で迫るあの人やこの人の域には到底達していないけれど、歌心って部分ではちょっとは近づいたかも知れない。こうしていつまで歌えるのかわからないけれど、カラオケではなく演奏で歌うことを続けていきたいなと思う。
また、近いうちに、やろうぜって、そんな仲間や場所を提供してくれるお店と、声掛けすれば集まってくれるファンがいることも、ほんと幸せだなって思うのでした。