半旗でお悔やみ

凶弾に倒れた安倍元総理大臣の国葬があった。賛否両論あるが、球隠し半旗で国旗を揚げた。約8年間にわたる総理大臣の期間には「もりとも」「さくらをみる」「あべのますく」など様々な事象や事件もあったが、死んだら皆神様みたいなものじゃない、素直に送ってやろうじゃない。お金がかかるとか、無駄遣いだとか、いうけれど、いいじゃん。お金なんて印刷すりゃいい。国債もどんどん刷って発行すればいいさ。どこの国もどの時代も借金は後送り、次の世代が担うし、その世代もまた先送りにすればいい。ま、とにかく国葬当日にテロなど起きなくてよかった。

willのリアシート撤去

買ってからかれこれ6年ほど経つが一度も後部座席に人を乗せたことがないwillはピックアップトラックのロングキャビンみたいな感じでいつも荷物置き場だ。そんなwillの後部座席と後部背もたれをとっぱらって、荷室にしてそこへロードバイク二台を積み込んで内陸の彼の地まで行ってサイクリングしようという企画で、今回willのトランポ作戦を敢行した。座席は座面が12ミリのボルト2本、背もたれも同様にボルト2本の脱着で取り外しができた。座面の下は燃料タンクでセンサーがついていたから、これらと配線を保護するため切り売りしている室内用のマットを両面テープで貼った。座面の受け部分は台形に出っ張っていてこれをグラインダーでカットしてもよいのだが、車検時に4人乗りの形を確保しないとだめだから、でっぱりカットはあきらめた。フロントーシートを前に出して背もたれを倒すとけっこうな広さで頑張れば車中泊もできそうな空間が得られた。トランポの方も何とかペダルを外した2台のバイクとホイール4本を毛布やダンボールで緩衝しながら積んで無事内陸の彼の地まで行ってサイクリングを楽しんだ。

野性の証明

僕の、あの麦わら帽子、どうなったんでしょう…。

明け方屋根で何かが暴れているなと思っていたが、朝起きて物干し場にあるサクラの水を取り換えようと出たら、またもリスの殺戮死体。1か月ほど前の雨の日にも屋根に死体があって、自慢げににゃーと鳴いていた。今回は死体だけあってサクラはいなかった。ちなみにエサのキャットフードもしっかり食ってお皿はカラだった。さすが半野性、というか、ネコってもともと人に慣れた肉食野生動物なのね。

台風接近、雨漏りの屋根修理

台風がくるというので、雨漏りの修理をやった。亡くなった親父が何度も増築をした昭和屋敷は豪雨のような吹き込み系の雨に弱い。まず自分が寝ている納戸部分の屋根が無理な増築のため形が不規則で雨の流れに抵抗があり一時的に溜まってしまう。これが雨漏りとなって何十年も放っておいたため、納戸の下にある洋室がかび臭い。おそらく母親は雨漏りに気づいていたが親父が健在な頃から放っておいたのだろう。納戸に入るのは母親だけだし、その不具合も大雨のときだけだから捨てておいたらしい。そのためかつて納戸だった自分の寝室の床は所々が腐っていてブヨブヨしている所がある。納戸の屋根はこの家に住んで最初の台風の時にバケツを置くぐらいの雨漏りで天井の石膏ボードを拭いたら穴があいてしまい、台風通過後に屋根に上がってコーキング材を注入してなんとかした。その後はいつも洗濯を干す物干しの屋根部分の継ぎ目あたりから雨漏りしているようで、下の座敷の天井にシミができていた。梅雨時に畳が濡れていたこともあり、大雨の前に修理しなきゃと思っていた矢先の大型台風だったから、前日の夏日さながらの暑さの中でコーキング工事をやった。しかし台風は新潟に再上陸した頃はヘロヘロで三陸沖に抜けたころはかつての力はなかった。暴れん坊将軍も時を経れば好々爺だ。今度はコーキングした部分を塗装しなきゃ。

落日故人情

直接の血縁ではないが、従弟同士で仲良くしていた叔父が8月に逝った。92歳だった。彼とは個人的ではあるが中世関連の歴史神社仏閣、石碑野仏、古文書拓本と一緒に野山を歩き路傍の石碑の文字を解読したりと公私ともに何かとお世話になった。まだ自分が歴関連の記事を書くにはあまちゃんだった頃に、着目点やかなりのヒントをもらった。晩年は足も弱り一緒に野山へ行くことはなかったが、たまに戻ってきた娘と一緒に住んでいた自宅で娘さんの手料理を肴に数回酒を飲んだ。たまに会えば「オレは年内に逝く」とずっと語り続けて何年も経ったが、今回は本当に逝ってしまった。お盆に帰ってきたであろう亡き妻と娘婿に誘われたか、亡くなったのは盆の16日であった。葬儀で弔辞を読んだがアドリブだった。そんなもんだ。人の旅立ちは唐突だがちゃんとした順序がある。誰だっていつの日か自分が逝く日もくる、その日の天気は晴れだといいな。