足立スイングハーモニー

ビンテージな管楽器と時代感ある渋いハードケース

もう5年ぐらい前になるか、近所に従姉の田中和子さんというおばあさんが住んでいて、たまには顔を出していた。そのおばあさんの夫は田中敏夫さんというローカルの音楽家で、なんと大御所作詞家・星野哲郎にも面識がある人だった。当時「ひかげ者」という曲を作曲しテイチクからレコードが出ていた。この曲を宮古出身の演歌歌手・下沢四郎が田中敏夫さんの許可を得て持ち歌として熱海のホテルで歌っていたが、これを偶然に星野哲郎が聴き感銘、どこの誰の曲だ?ということになり星野哲郎は当時の足立ベニヤに勤めていた田中敏夫を訪ね蟇目の社宅へやってきたという。結局は星野哲郎と田中敏夫の共作は生まれなかったが、これがきっかけで音楽家としての田中敏夫はローカルの音楽現場ではばたくことになった。以後、当時(昭和38〜42年あたり)の宮古で開催された歌謡ショーや映画スターのリサイタルでの演奏は田中敏夫率いる足立スイングハーモニーが担当していた。カラオケのない時代、演奏の上手い地方の生バンドは引っ張りだこだったのだ。ただ、バンドの母体の足立ベニヤ刈屋工場は、合板製造会社ではあったが組合活動が盛んで、メーデーなどにも積極参加しておりその度に足立スイングハーモニーも駆り出され田中敏夫も音楽同様に組合活動にのめり込んでいった。
田中敏夫亡き後、晩年スタジオ状態だった田中家の機材をヤフオクで売り払った。手数料を引いて合計で40万円ほどの売上を未亡人となった田中和子さんに渡した。そんな経緯があったが、その数年後、こんなのもあったと持ってきたのが写真のトロンボーンだ。ケースにはカギが掛かったままで中味のチェックが出来ない状態だったので壊さなければならないからと断ったが、和子さんは「これは売るのではなくあなたにあげるから」と言って置いていったのだった。その後和子さんもなくなり、ケースのカギを壊して中味を確認したらクラシックなトロンボーンが出てきたというわけだ。「ニッカン」というメーカーのビンテージだけれど、高値がつくのかゴミなのか。

ライブ

ポスターたった5枚製作
相変わらずのコスチュームで

コロナが五類になったんで、早速ライブをやった。今回は突発的に開催が決まったのでポスター貼って一週間しか時間がなかった。それでも二回練習をした。久々の割りに声の伸びとツヤは維持していたけれど、ギターのコードを忘れていて演奏は下手だった。ヘタなのは自分だけなのだが、歌と腹筋に集中してコードがおろそかになるという、ありがちなパターンだった。ギターを弾かず唄だけならもっと情感込めて特殊な歌詞割りで歌えるのに、旋律のリズムをとるためギターを弾くとストロークする左腕の上下運動につられてコトバのギミックを聴かせる技を出せないのだ。
うにまるとしてバンドをはじめて10年ほども経つが、歌はかなり上達したと自負している。上達しても、凄い声量で迫るあの人やこの人の域には到底達していないけれど、歌心って部分ではちょっとは近づいたかも知れない。こうしていつまで歌えるのかわからないけれど、カラオケではなく演奏で歌うことを続けていきたいなと思う。
また、近いうちに、やろうぜって、そんな仲間や場所を提供してくれるお店と、声掛けすれば集まってくれるファンがいることも、ほんと幸せだなって思うのでした。

シャネルとモナカ

シャネルのかんざし
猫のモナカ

またしてもヤフオクで簪を落札した、しかもシャネル。通常の日本製の簪とは造りが違っていて髪に挿す金属部分は釘のように太くて、まるで必殺仕事人の飾り職人が使う武器のような佇まいだ。飾り部分はクサリで球を作った感じにシャネルのココマークをあしらって銀メッキした球が付いている。日本式は刺す部分が真鍮で柔らかく松葉状に二股になっていて、しかも球の先は殿方の耳掃除をする耳かきがついている。シャネルにはそんな意匠はまったくない。はっきり言って武骨だ。使い勝手はいいが美的ではない。
誕生日にネコのモナカをもらった。あわせて谷中堂のネコクッキーももらった。谷中堂は東京台東区にある招き猫工房だ。招き猫だけでなくカフェではネコクッキーやネコのモナカなども販売していてネコマニアにはたまらない店だ。東京のネコと言えば自分があしげく骨董関連で通っていた頃は世田谷のネコの寺「豪徳寺」が有名で何度か立ち寄った。殿様が愛馬で遠駆けした際に夕立に遭い、ネコが導いた寺で雨宿りできたとか言う伝承だったと記憶している。ちなみに豪徳寺の近くの小田急線「経堂」にもけっこうおいしい和菓子の工房があってよく買い求めたのだが、今はもうその店の名前を忘れてしまった。

花見

恒例の一人花見。酒はなし

サクラは見ようと思った日が吉日。明日にするかとか、今度の休みにとか言っていると雨が降ったりするし、何よりこの時期、春の大風でサクラの花が散るより、持参した弁当が砂だらけになるという悲惨な目に遭う。だから、サクラが咲いたら多少寒くても無風を見はからって早めに愛でるようにしている。今年は4分咲き程度の花で長沢桜つづみ公園に出掛けて花見をした。弁当はいつものお弁当にコンビニで買ったどん兵衛のミニカップ、お湯は会社でポットから水筒に詰めて持参。寒そうだったからドテラをはおって優雅に花見。この感覚がいいんだよ。じんわりとサクラの花の香りが降ってきて今年も無事に春が来たって実感がわいてくる。

ロースター

まずはホッケを焼いてみた
シンプルで旨いイワシの塩焼き

母親の介護のためこの家に入ったのはもう8年も前なのだが、その時点でガスレンジの魚焼き部分は壊れていた。ガスレンジがテーブル式だったら即買い替えていたが、なんとビルドイン式の三口ガスレンジだったので交換は見送り魚焼きは諦めていた。それに今のレンジは立ち消え防止装置が付いていてフライパンを揺すれないし丸底の中華鍋的鍋も仕えない。昔の人であり、同時に古物骨董が好きな自分にとって魚焼きが壊れたガスレンジのホーロー処理の佇まいも結構好きだから交換はしなかった。でもたまには魚も焼いて喰いたい。仕方ないからフライパンで焼いたりもしたけれど部屋中煙で大変だ。しかも今は台所に介護度4のばあさんが寝ているわけだから、煙モクモクというわけにもいかない。そこでとうとう買ったのがフィッシュロースター。山善製6980円の最安値を通販で購入。もちろん地元の家電量販店も見たけれど安くても8980円が最安。やっぱネットで購入となった。最初にどの魚を焼くか迷ったがまずはホッケ、次ぎにイワシを焼いた。まだ3回しか使っていないけれど、今後は工夫してお肉とかも焼いてみようと模索中だ。

ふすぺ

ナメコ派と何も入れない派があります

葉ワサビの時期がきたら毎年一回は作るのが「ふすぺ」だ。その語源は「蓋をする」という意味の「ふすぺる」だ。細かく切った葉ワサビの葉と茎と花をボウルに入れて、そこへたっぷりの熱湯を注ぎ蓋をして約10分程蒸らしてお湯を切る。そのまましょう油でたべてもツーンとした味が楽しめるのだが、ここで一工夫。ワサビを熱湯で処理している間に別鍋で沸かしたお湯にナメコ投入、しばし火を通しザルで漉す。このぬらぬらナメコと湯切りしたワサビを和えてめんつゆなどで味付けし、一晩冷蔵庫で寝かせる。ワサビの辛さの成分がブドウ糖で、ナメコの表面のヌラヌラもブドウ糖。これが合体して辛さが増すのだ。冷や奴にたっぷりかけて頂くとこの時期ならではのおいしさを味わえる。もー最高、純米酒の冷やが止まらない。

ばばめし

普通の飯粒がノドを通らなくなったばあさんの食事はレトルトの介護食になったので、ばああさんに合わせておかずを作ったり飯の硬さを柔らかくするため水加減を調整したりすることもなくなった。加えて要介護度2から「3」を飛ばして一気に要護度4になったので排泄はオムツとなって便所も使わないし歯磨きや顔洗いも自力では出来ない。従って毎晩の飯は毎晩自分の好きなのを作って食えるようになったし、便所や洗面所も自分専用となった。だからなんだと言うわけではないが、トイレの備品関連は汚されがなくなったからシンプルになったし、洗面所も自分専用だから今まで二階の自室でやっていた髪のセットもできるし、簪やヘアピンなどのアイテムを洗面所に置けるようになって楽になった。
ばばめしはキューピーやアサヒフーズのレトルト介護食を数日おきに買ってきて朝夕で1パック食べさせる。それだけじゃ腹持ちしないのでフルーツや牛乳、スープやその他ゼリーのオカズを食べさせる。すでに自力では食事もできないのでスプーンで給仕してあげるのだが、これにけっこう手間がかかる。たまにはアサリのスープなんかを食べさせるけれど、スープ類は作ってからボウルに氷水を張って冷ましたりしなければならない。レトルトオカズも電子レンジで加熱する際、時間も微妙に違ってめんどい。それでも以前までは毎日残さないよう食えるメニューづくりに悩んでいたから簡単になったのは間違いない。なんだか見た目はゲロっぽいがしゃーないな。