ズサタン総決算

水晶が取れた穴
門神の抗道
船越半島・赤平金剛
薬師岳山頂
番号表記がある
切り取られた跡
三鉄に乗せて
三鉄車両内
小袖海岸を行く
小袖集落の急坂
久慈駅前にあった
三船十段の空気投げ

今年のズサタンは凍った閉伊川とその支流、鬼米内沢の雪中行軍にはじまり、三陸町越喜来の首崎トレッキング、摂待の畑の大穴到達、田老青野滝の明神崎散策、高滝森トレッキング、真夏の花原市門神、三鉄じぇじぇじぇサイクリング、奥岩泉PT境界、薬師岳ヒカリゴケ、船越半島五色の断崖までを掲載し、すでに花原市門神の抗道も発見探索済みだ。思えばあれこれ歩き回っては色々なものを見てきた。中でも岩泉町北西部の安家坂本地区にある今から2億5千万年も前の無酸素生命絶滅期の地層が露出しているというPT境界は衝撃的であった。PTとはペルム紀と三畳紀の境を意味する頭文字なのだがその間の100万年間に及び地球上に酸素がなく、96%以上の生命が滅びたというのだ。その後、生き延びたごく一部の生命が再び進化を遂げ、今の生命体へと遺伝子を伝えたというのだ。有名な巨大恐竜が滅びるそのはるか昔の時代だ。そのような地球的歴史を考えると、自分たちの一生はおろか、日本の夜明けだとか言う明治維新も、明智・信長、三日天下も本能寺も、義経北行も鎌倉幕府も、アテルイも縄文ほんの一瞬の出来事であり、人の営み、人が作ってきた歴史の構図も僅かなものだと感じてしまう。まさに諸行無常のPT境界であった。
そして、己の年齢的衰えを実感したのが真夏の企画・花原市スタンドバイミーであった。少年時代に遊んだフィールドを再び訪ねる企画であったが、里山だからと甘く見て挑んで、まさかの気温34度の山中で熱中症に陥り、ダウン。しかも、注意力散漫から露岩周辺を探索中にでスマホを落とす失態。幸いにもスマホは発見したが、真夏の山を甘く見ていたのは確かだ。年末には目的の穴を無事発見したが、近頃、山歩きも慣れた気がして、いい気になっていたことを反省せねばなるまい。企画進行中の豊間根福士最深部のとはな鍾乳洞探索、船越半島たたら山鉱山、旧山形村の内真木洞氷じゅん観察など来年に向けての課題も満載だ。ズサマ、まだまだ、へばってはいられない。

イルミの季節がきたぞ

一筆書きの設計図
マスキングテープ
マタンキバッジ
電灯色のイルミ購入
百均のネットを使う
24時間タイマー

今年もうんこイルミの時期がきたので、去年のLEDを窓に貼り付けた。今年はちょっと小振りにまとめて、中央にMKの文字を入れた。MKは往年の少年ジャンプに連載した、とりいかずよし氏のギャグマンガ「トイレット博士」に出てくる決めギャグ、メタクソ団の合い言葉「マタンキ」の頭文字だ。これをうんこの内側に入れて作った。そして24時間タイマーをセットして点灯を試したが、なんと点かない。よく調べたらEEDをつないでいる細いエナメル線のようなケーブルが断線していた。なんだよ、ワンシーズンでスクラップかよ。と怒りながら、今度は、アマゾンでケーブルが太い屋外用を購入。これは窓にテープで貼るには線が太すぎるので、百均でネットを買ってきてこれにうんこ型に配線をまとめガムテで固定した。ライトの色は白熱球色にしたが、今度は真面目すぎたのか、形状がウンコのはずが、外から見るともみの木にも見える。巻きグソ模様に美学を感じる自分にとってちょっと心外。だが、もう直すには手間が掛かりすぎるから、今年はこれでオッケーとしよう。来シーズンはまた違うことを考えよう。

バイク2台を走らせる

バイクとウイル
奥にタヌキさん

今シーズンの走り出しはクラブマンのアクセルワイヤー断線と、FTRのバッテリー上がりでスタートし、夏には害鷹森のロケハンでFTRで転倒、未だに右手人差し指は突き指が治っていない状態だ。それでも、FTRで転ぶ前はクラブマンで遠野~釜石~山田~宮古の一週コースで、遅ればせながら新しく開通した山田・宮古間の三陸縦貫自動車道もバイクで走った。もう、今年は寒いからいいやと思っていたが、とは言え、バイクも機械だから、また春まで寝かしておくとトラブルも発生するだろう。そんじゃま、定期的にエンジンかけて走りますか。というわけで、いつもは2台のどちらかに交互に乗るのですが、冬は1ヶ月に一回、2台同時に出してご近所を5~8キロほどを走行し戻すという作業をしようと思う。んなわけで11月のとある日曜日に2台を出してエンジンをかけた。思えばFTRは害鷹森で転んでから跨っていなかった。歳をとるとトラウマって怖いな。

修繕をする

ズボンゴム替え
パンツのゴム替え
修繕をする

ばあさんのズボン、ゴムが伸びてブガブガなんで、ゴムを新しくした。ついでだからずり下がるであろうパンツ二枚のゴムも交換。なんせ、汚しがひどくいつも洗濯前にハイター漬けを丸一日やるから、ゴムの痛みも激しい。そしてどうせ針をもつなら、自分のパジャマのゴム交換とガーゼ素材のパジャマの穴も修繕した。ガーゼ素材の色が合うヤツがないから紺のリネンで。ま、色が違うけど内側だからいいや。自分のは適当に。裁縫仕事もほぼ、主婦感覚ですね。あたしゃ、ホントは性同一障害かもね。

一中の銀杏

落ち葉に寝転ぶ
子どもたちはしゃぐ
銀杏の落葉

毎年11月に紅葉する宮古一中の銀杏。昔は横山八幡宮の宮司が西国を詣でた時に使っていた杖を挿したらそこから芽が出たという逸話から、逆さ銀杏の名があった。これは沢内村にある伝説を江戸時代の歴史家が転用したもので、その伝説はどうも無理がありすぎるという指摘から、現在は公孫樹の名に変更されている。横山八幡宮の起原とされる神歌は室町時代の俳句のタネ本から採取された言葉の羅列であり、江戸時代に都の神社からお墨付きを貰う、神社の格を得るための歴史詐称のようだ。そもそも「阿波の鳴門の海を鎮め」「時の都におわした天皇から」「都と同様の異字として宮古の地名を賜る」というストーリー自体に無理があるわけで、どう見ても後付の設定だ。神歌の「阿波の鳴門」の意味は「粟の成るとは」であり、荒れ野に穂を垂らしたエノコ草(ネコジャラシ)に粟が成る(実る)とは思えない…。という意味だ。この論説は昭和初期に、遠野の佐々木喜善が下閉伊の伝説として採取し、柳田国男に送りそれを柳田が考察したもので柳田国男全集『桃太郎の伝説』に掲載される。同時に宮古花輪村の髪長姫伝説も喜善が採取し柳田が考察しており、これも全国各地にある伝説と比較し論説されている。源義経公北行コースと看板を掲げ神社の格を上げようとしても、所詮その時代に、横山八幡宮は存在していない。むしろ、北行伝説を唱えるなら黒森神社であろう。ちなみに戦神である八幡神社を祀ることが出来るようになったのは、南部家が盛岡八幡宮の信仰を解禁した江戸中期前だから、横山八幡宮の歴史には阿波の鳴門も義経も無理があるわけだ。どうせ伝説だからいいじゃん、では済まされないのだ。ちなみに宮古の地名の起こりは「港・みなと」が訛って「みやこ」となったのではないかと、私は思います。

取材を兼ねて遠野一周り

古い石碑
ファミマで昼飯
スチール翁、大島さん
釜石駅前
石応禅寺の古碑
松崎観音堂

久しぶりに遠野を経由して釜石へ出て、宮古に戻るツーリングを敢行。前はこのコースを逆に走ることが多かったが、今回は反対側から走った。一応の目的は宮古最古とされる暦応年間の石碑より古い石碑が遠野と釜石にあるのでそれを撮影すること。ま、仕事と趣味が一緒になったいつものパターン。国道106号川井から340号に入ると106号の高規格化改修工事による新しいトンネル工事のズリを運ぶダンプの往来で、道路はかなりひどい凸凹。痛みに痛んでよそ見するとガクンと穴にはまりセパハンの旧車バイクでは辛い。しかも片側通行の信号ではダンプの長い大名行列で排気ガスも半端ない。遠野側立丸トンネル開通前だったので、おそらく今回走るのが最後であろう羊腸グネグネの立丸峠を越えて、遠野の恩徳へ。市内に入り松崎町の観音様の神社を探した。処は変わっても石碑や神社を探す嗅覚は鋭いのだが、念のため途中で住民がいたので聞いてみたが、このじいさんがものすごい訛りで同じ岩手人なのに何を話してるのかまったく聞き取れない。方言にはいささか自信があるけれど、ネイティブ過ぎて、愛想笑いで聞き流すしかんかった。それでも何とか松崎観音堂で目的の石碑を撮って、遠野バイパスから仙人道路で釜石へ。途中、コンビニで昼食をとり、石碑がある釜石のお寺さんへ。寺では葬儀がありその行列が本堂に入るまで待って石碑を探した。その後45号を北上、船越から念願の三陸縦貫道に入り久々に100キロをマーク。途中追い越し車線で事故車があり、赤色灯にビビッてスローダウン。緊急時に警察車両が入る特殊なゲートがあることを知ったのでした。

ばばあ観察カメラ

ライブカメラ購入
クリップで固定した

アマゾンで据置型のウェブネットカメラを買った。中華製だったが形がかわいいのと価格が手ごろであったこと、何より日本語取説がついていたからだった。しかし、届いたカメラは粗悪品で、家のネットワークには不適合だった。取説は日本語だというだけで文法はめちゃくちゃ。仕方ないから有線lanで接続するも、設定ソフトがあるサイトのURLは存在しない。さすがに頭に来て翌日返品の手続きを行い、速攻でIOデータのカメラを購入。こちらはさすがに、正しい日本語で簡単に接続した。こちらの取説を読めば中華カメラもつながったかもしれないことがわかったため、返品せずともネットで探求すれば使えたのかも知れない。だが、やはり、説明不足なことは否めない。「5Gは対応していない」だけの返答ではだめでしょ。ま、それでも何はともあれ、スマホから自宅のリビングを監視できるのは楽でいいです。ただ、介護の手助けと言うより、動物を飼育している感覚になってしまうのはなぜでしょう。

さいなら三角またきて宮古弁

仕事中のお姉さん
サテライトスタジオ
スタジオにて

みやこハーバーラジオで宮古弁のラジオコーナーをやることになった。毎週火曜日6時30分から10分程度のトークコーナーだ。基本的にラジオは好きで平成12年には盛岡のミニFMで、アウトドア雑誌ふうらい関係のラジオをやっていたこともあった。天性のものなのか、しゃべりは得意でマイクや突然のメチャ振りにもなんとか対応できる。相方は田澤さあやさんという若いパーソナリティー。彼女の番組の中のひとコーナーに宮古弁コーナーがあるというわけだ。収録は月一回で毎回3~4週分を録音する。宮古弁のイントネーションと共通語を使い分けながら、楽しくトークをするよう心がけている。たまに、番組あてのメールで宮古弁の質問がきたりして、それなりに手応えがあって面白い。いつまで続く事やら。

花デアエルでライブを

蔵の中のライブ会場
花デアエルのポスター
ドリンク券もらった

オテライブが10周年を迎え、今までの「うにまる」としての活動は一端打ち切り、基本のアコギ二本のフォークへ転換し曲の構成やバンドとしてのスタイルも変えていくことになったが、オテライブを観に来ていた方からうにまるのイベント参加へのオファーがあり、これを受けることになった。イベントは市内の生花の師匠の創作生花発表会と、そのご子息の絵本作家のアートイベントだった。会場は文化財として指定される、元町の豪商であり旧家東屋(あずまや)の蔵。イベントタイトルは「花デアエル」。うにまるの出番は土曜日の午後一番であった。蔵では絵本作家さんの朗読パフーマンスなどがあり、その後がうにまるの出番だった。アコギ二本で30分程のステージをこなした。そして、せっかくだからそのセットリストで翌日の末広町復興イベントにも参加予定であったが、翌日は朝から雨と大風が吹き荒れ、野外ステージのテント設営が困難となり中止の連絡が来た。午後から予定を空けていたのに空振りだった。