堺ノ神岳ロケハン

ズサタンでは今年の紅葉は堺ノ神岳1318.7mから撮ろうという計画がある。岩泉の宇霊羅山599.9mもなかなかのポイントなのだが、堺ノ神岳は北上山地でも早池峰山系、薬師岳に次ぐ高さがあり、しかも頂上は岩塊のモナドックなので、360度のパノラマ展望が魅力だ。そんなわけで、9月の連休にFTR223でロケハンとなった。
午前中にお彼岸の墓と寺詣りをすませ、それから会社で1時まで校正をやって、それから出発した。ヘタをすると帰りは陽が落ちている可能性もあるので、革ジャンにズボン2枚重ね。グローブも厚手にしてマフラーを巻いて重装備だ。まずは、国道106号を茂市まで走り、岩泉方面へ向かい国道340号へ入り押角峠を目指す。途中台風災害の迂回路があったり、340号トンネル改修工事で大型ダンプと何度もすれ違ったり、片側相互通行などでスピードが出せない。峠を越えて340号から大川・釜津田へ向かう橋に、何やら警告看板があるので止まって読んでみると。やはり台風災害で七滝付近が土砂崩れしており迂回路の説明であった。そこへ、北上から走ってきたというオンロードのライダーが立ち寄り「オレ、その道をきましたよ」と言う。話を聞くと迂回路は川の反対側で道は狭いが全面舗装だという。大型車両は通行止めらしい。彼はこれからどこへ行くか迷っていて「ここから岩泉って遠いすかね?」などと言う。宮古へ出た方が帰りが楽だよとアドバイス。この時間にこんな場所にいて、今日中に北上へ帰るという彼の感覚がすごい。きっとブンブン飛ばす走り屋なんだろうな。
彼と別れ大川から迂回路へ入る。確かに道が狭い。いきなりの直角カーブもあって危うく民家に突撃しそうな所もあった。七滝キャンプ場から再び川を渡り通常路へ出てしばらくして目的の看板を発見し川崎林道に入る。集落前にも看板がありここから放牧地まで未舗装路をひた走る。道はぐんぐん標高を上げて一気に1000m付近まで到達。高峰1197.2mへの分岐から、再び登ったところに、堺ノ神岳登山道の標識を発見。林道を行くと放牧地へ到達し行き止まり。牛がこちらを睨んでいた。時間は3時。約1時間40分ぐらいで到達だ。走行は約65㎞弱これから帰れば4時30過ぎだ。5時には陽が落ちるから、急がねばと、バイクをとって返し帰路につく。帰りは大川のお寺に寄って六地蔵などを撮影。足早に押角峠を越えて無事帰宅。バイクがあまりにも汚れたので、そのままスタンドへ行ってFTRを軽く洗い、ついでに革ジャンやヘルメットの泥も拭いた。往復で130㎞ほどを走る午後からのロケハンであった。ちょっとズサマにしては無謀だ。

崖崩れのため迂回路を行く
この看板が最初の目印
集落に入る手前で次の看板発見
この先は川崎林道
これが登山道入口の看板
兜山放牧場の牛に睨まれる
放牧場は検疫で進入禁止
一時過ぎに出て三時到着

栗ご飯とサンマ

拾ってきた栗を剥いて栗ご飯を作った。おかずはさんまの煮付け。こちらは酢と水で汁が無くなるまで煮てから、酒としょう油と砂糖少々で味付けした、ちょっと酸っぱくて骨まで柔らかい煮物。冷蔵庫がない時代のレシピだ。秋はまだ浅いけれど、一気に寒くなる気配だ。純米酒も冷やからぬる燗の時期になる。台所での宅呑み、最高。

くりごはん

ノラ子一家

台風一過の翌日、台風の強風で落ちたであろう栗を拾いに茂市方面へ向かった。栗は時期的にはちょっと早いのだが、僅かの栗ご飯を作るには充分なほど拾えた。その帰り、台風で食いもんにも困ったであろう、ノラ子一家を見に会社に寄った。そしたら、子ネコ三匹とノラ子が腹を減らして寄ってきた。しかも、みぐさい父さんまで登場。この父さんはノラ子の彼氏なのだが、猫界では若くて強い雄が交尾するため、いつも血だらけだ。しかも弱い。ノラ子のケツを若い流しのオス猫が追い、その後からこの父さんがついて行く。そして毎回ケンカになって血だらけだ。辛いな、雄って。そんな苦労も知らず、ノラ子は交尾しまくるのだった。

子ネコと遊ぶ
とら子の爪の開きが凄い
ノラ子の子たち
猫と遊ぶ幸せってあると思う
んじゃ、ごはんタイム

ズサタン報告・北山崎の滝とアンモ浦の滝

さっぱり夏らしくない8月が終わり9月になって列島縦断の台風が過ぎ去った。この降雨量なら、滝はいいんじゃない?そんな思惑で、北山崎最下部にあるという海に流れ落ちる滝を求めて北山崎へ向かった。駐車場には数台の車しか止まっておらず、平日とは言えここが第一級の景勝地であることは、今や幻のような閑散とした風景だった。駐車場で装備を整えるが、周りからは、あいつら、観光客ではないな。何者だ…。という視線を感じた。第一展望台には硬貨を入れないと見えない望遠鏡があった。財布を置いてきたからしょうがないので覗くポーズだけ。そこから約750段の階段を下って、北山崎最下部へ降り、そこから別ルートで滝を探し未整備の遊歩道を戻るというプランだ。下りは楽だが降りながら登るときの苦労をかみしめる。しかし、そのうち下るのも相当に膝に負担がかかることを実感。最下部に降りた頃には完全に膝が笑っている状態ではないか。最下部の岩礁地帯は台風一過とあり波も高く、田野畑らしい荒れた海が広がる。少し階段を戻り南側の展望台へ移動すると、なんとすでに滝の音がするではないか。何?こんな、簡単に見つかっていいの?と目を疑うも、それが落差15mで海に落ちる北山崎の滝だった。展望台の柵から撮影し、今度は上りを覚悟して歩くがなんとその道は土の道だ。いつものズサタンで歩く道に一安心だ。岩に当たって砕ける波と奇岩を堪能したと思ったら、なんと次は渓流風景の森を歩いている。この渓流である沢があと数億年で谷となり八木沢のような渓谷をつくるのだろう。北浜へ向かう地獄のような長さの階段付近に架かる橋の上で昼食をとり、その後、お待ちかねの500段を登り、ふくらはぎパンパンで展望地に到着。その後、黒崎へ移動しここでも展望台からアンモ浦の滝を撮影。台風のおかげで水量も豊富でいい写真が撮れたが、その後ふくらはぎ二日ほど痛んだ。

田野畑の海は、ほんと、野生です
降りるのは楽といっても700段
北山崎の最下部にて
お約束のカップル落書き
北山崎の間に矢越崎
台風で滝の水量も増していた
海を見に来て渓谷を彷徨う
これは、無理です
アンモ浦の滝

ズサタン報告・大谷山鉱山「到達編」

豊間根川を遡った源流部に林道最深部には、今では訪れる人もいない忘れられた信仰媒体オソノエラ鍾乳洞がある。そんな秘境源流部であるネコイノ沢にはかつてマンガン鉱を産出していた大谷山鉱山があった。大谷山鉱山が稼働し閉山した正確な年代は不明だが、当時、マンガン乾電池や製鉄の添加剤として需要があったマンガン鉱を産出していた。オソノエラ鍾乳洞を含む周辺の地層は二億九千万年前のベルム紀(三畳紀)に形成された水成岩とされる海底の推積層と火山性の岩盤が入り組んだ状態と言われ、林道沿いの露岩には褶曲した大きなチャート層が見られる。そんな大量のズリやドラム缶、鋼鉄のバケットらしき遺物が散らばるネコイノ沢北岸には産業遺構が眠っている気配が漂っていた。右二坑という坑道入口から落ち葉で滑るように中へ入ると、長雨のため水が溜まっておりかび臭い空気の中かなりの湿度を感じた。しばらく行くと一端坑道は曲がってから二又になり、左手にも暗闇の中に穴が続くがこちらは行き止まりのようだった。再び進むとまた二又になっており、このままでは坑道内で迷う可能性もあるたため、分岐にキャンプ用のキャンドルを灯した。坑道は左右に枝分かれしたり、上下に掘られたりしており、目的のマンガン鉱が見つかれば片っ端から採掘したのであろう。内部に進むにつれ無数のコウモリが飛び交い不気味さ満点の雰囲気だ。しばらく行くと褶曲したチャートから大量の水が滴っておりその先が、大きなホールとなっていた。地図による最深部にある坑道が二本あるようだがどちらも落盤しており先には進めなかった。ホールは歩いて来たメイン坑道から2mほど下で、ここからさらに各坑道をマグライトで照らしたがどの坑道も落盤しているようだった。探索を終え林道を歩いていると対岸の沢に鉄筋らしきものを発見。もしやと思い再び沢を渡り調べたところ、それは森林軌道のレールであった。この発見でオソノエラと大谷山鉱山の様々な疑問が解けてゆくのがわかった。

大滝沢で橋脚を探す
バケットらしき遺物
夏の森はサウナ状態
チャートと呼ばれる褶曲
坑内は水が溜まっていた
左二抗に進入する
坑内のホールにて
森林軌道を発見
アブの大群に閉口する

ズサタン報告・長者森と産金伝説

7月は前半は好天と真夏日が続いたが、これから夏という時期になったとたん長雨の連続。ズサタンはその僅かの晴れ間を狙って、川井、大槌にまたがる産金の山・長者森へ。土坂峠に車を止めて尾根をゆくコースだが、登山道はなく、僅かな踏み跡をたよりに進む。途中で白色の脆い粘板岩層を何度も発見し、この鉱石の帯を掘って集め、石臼で挽いたであろう、当時の産金に思いを馳せる。今回は長者森から白見山方面へとさらに進み新田牧場最高部から、金堀沢へ向かう予定であったが、長者森頂上で撮影しているあたりで雨が降りだして、予定変更。下山することになった。しかし、途中で分かれ道を発見し目印テープを巻きながらその道を辿ると、白色の粘板岩の巨大な露岩を発見。その岩を調べ岩を持ち帰り収穫として戻ることにした。途中、濃霧と落雷に遭いながら足早に下山した。残念なことは、途中ザックから傘を出したさいに、いつも使っている杖を置き忘れたこと。また秋に登ることがあったら回収したいものだ。下山後は新田牧場付近を調べ、中仁沢の民家にアポなし取材を敢行。しかも、土間を借りて遅い昼食となった。

長者森ピーク到達
古い佇まいの三等三角点
露岩に白い筋を発見
白い石は柔らかく割れやすい
木を擦る鹿の真似
雨が強くなり霧が迫る
手作り看板を拝見
土間を借りて昼食
藤澤大明神

ズサタン報告・白見山と金糞平

難解で一筋縄では解決しない、大槌町をロケハンした。町役場から城址公園をまわり、小鎚川を遡って、新山高原の風力発電施設を経て、遠野へ降りて周辺を散策してその日は帰宅。後日、再び新山高原から窓貫峠を経て、白見山山腹の白見牧場へ。当然ながら、昨年の台風で道路は被災したままなので、途中から徒歩で古代の製鉄遺構とされる金糞平へ向かった。牧場の取り付け道路は傷んでいたが、歩くには支障がないので、クマの痕跡を確認しながら難無く到着した。金糞平のヤマザクラは大槌町の文化財に指定されているというが、大槌町教育委員会に問い合わせたところ昨年の台風以来、道が崩落したので職員は確認していないという。現地のサクラはとてつもない長さの枝振りだから、ちゃんと支えをしないと風害や雪害で枝が折れてしまいそうだ。歩けば行けるのだから、ちゃんと確認し保護してほしいものだと思った。また、遠野市琴畑から登ってくる林道は樺坂峠となるが、この林道のループ橋的部分はものの見事に崩壊していた。もともとあんな場所に盛り土でループを作るという設計に無理がある。あまり人の目に触れない林道だから、やっつけ仕事で建設会社のみが儲ければいいってもんじゃないと思う。どうせ作るならしっかりした道を。道は要らないと思ったら潔く作らないという決断が必要だ。などと、ズサマ連は政治や行政を勝手に批判し盛り上がって帰宅となった。帰りは川井村北上山地民俗資料館に寄り道して、次の探索地である長者森の情報を得たのでした。

新山高原の風車群
台風被害のまま放置されている
ループ林道は無残な状態
金糞平に到着
立派な看板があった
これがいわゆる鉄滓
willと樺坂峠の標識
新山ロケハンでキツネ登場

ズサタン報告・鵜ノ巣隧道と槇木沢橋

北部陸中海岸の景勝地・鵜ノ巣断崖展望台から見える断崖下を手掘り隧道で島ノ越の海岸までつながる遊歩道を歩いた。片道2㎞ぐらいだから、たいしたことないと思いきや、砂浜に足をとられ結構な疲労感を感じた。国立公園の岩盤に削岩機で穴をあけてしまうという、その時代ならではの強引な手法。しかも、穴の位置が意外と低く、海がちょっとでも荒れれば通行は水浸し覚悟という、マニアックなスポットだ。震災で岩が詰まったりしたという情報もあったが、なんとか通れた。凪もよく、干潮と重なったこともあり海岸沿いは潮だまりがあったりして本当にいい散歩だった。ただ、断崖は50~70mもあるのでちょっとした落石でも大けがとなるのでズサタンヘルメットは必須だ。また、隧道内にあった自然の入り江にはもの凄い量の流木が押し込められており、その流木を越えて到達した先には、鍾乳石があった。あたかも動物の内蔵を思わせるその表面はさすが自然のなせる技だ。隧道探索後は、真木沢に架かる、古い木橋を探し真木沢源流部を探索。朽ち落ちた木橋を発見したのだった。

迫る断崖を撮影
津波で隧道に入った大岩
この奥で鍾乳石アートを発見
隧道内部で発見した鍾乳石
隧道に漂着した流木群
真木沢源流部に朽ちる二代目槇木沢橋
真木沢橋と並行する思案坂大橋

金ヶ崎町、紫波漫遊記

先日、長く親交のある金ヶ崎町在住の作家さん宅へ遊びに行って来ました。彼も自分も仕事が一段落した丁度良いタイミングだったので、メールでお伺いした翌々日に行きました。別にこれといった用はないのですが、この時期なら帰りに紫波の産直でおいしいブドウなど買えるのでは。という目論見もありました。金ヶ崎へは106号経由で川井から340号へ。遠野に出てそこから釜石道無料区間を経て東和。東和から有料道路で東北自動車道のジャンクションへ。金ヶ崎で降りて4号をとぼとぼ。というコース。willで初めての高速道路etcゲート体験もしました。その日は作家さんが設計したお庭の東屋で肉を焼きながら夕食。その後作家書斎で深夜まで好き放題の歴史談義で盛り上がりました。
翌日は朝食をいただき再会を約束し、今度は4号線を北上。エロ自販機や場末のラブホを散策しながらと思ったのに、エロ自販機ゼロ、ラブホ2軒程度でした。石鳥谷付近から4号線を左折し紫波フルーツパークを目指して適当にショートカット。しかし、道に迷ってあえなく降参。しかたなくスマホのカーナビを起動。なんとか紫波フルーツパークと赤沢産直に到着。ここからさらに大迫方向へ進み峠の駅・佐比内産直へ。ここで、今年で何の因縁か三度目となる「かかしまつり」を見物。今年はトランプと北朝鮮だろうなと思っていたのですが、案の状でトランプかかしは三体もありました。ボルトもあって、去年と同じ人が同じパターンで造っているようでした。ここで、ブドウやリンゴを買っておみやげとしました。仕事ではこの産直裏にある神社・乳神の取材。社や団子を撮影したり、神社の縁記などを調べました。詳細は下記。その後、三時過ぎに帰宅。上の空で夏競馬のフィナーレを見ながら夕食の買い物へ。willでの初のロングドライブが終わり、また、同じ一日がはじまった感じがしました。
『乳神由来』
遠野の南部藩士の女が、お城の乳女(ちちめ)として仕えていたらしいのですが、なんというか、そのふくよかかつ魅力的な乳房が仇となったか、家老と不義の関係となり懐妊し密かに里へ戻されたそうです。女は帰るに帰れず途中の紫波佐比内の外れに庵を設け、そこで物乞いをしながら何とか暮らしていましたが、臨月が過ぎ自力で出産し果ててしまいました。生まれた子も亡くなりましたが母親の乳にすがりつくように死んでおり、哀れに思った地内の者が祠を建てて祀ると、爾来、乳の出が思わしくない婦人が詣でるとその御利益で母乳の出が良くなると評判となり、乳神として信仰されたといいます。

とにかくいい香り。たまりません
三人の首脳。ミサイル持ってます
ボルトと忍者
トランプの頭はダルマを流用
ほのぼの系もあり
乳神祠前の鳥居
乳房型の奉納旗がある社
ピンクがエロい。乳神様饅頭

オヤジの文化祭

IBCテレビの企画番組にじゃじゃじゃTVというのがあって、以前も出演した経緯があるのですが、今回、再びオファーがきた。聞けば、オヤジの文化祭なる企画で、自分は妖怪絵師として登場するのだという。以前は自作の妖怪双六というのを作っていて、今回もそれを使いたいという旨であったが、なんと昨年の台風による水害で関連会社のpcやデータがのきなみ水没したので、macのos9時代のデータはもうないとのこと。自分ですらずっと前にマシンはwinにしてるから、os9なんて遙か昔なもので、妖怪双六のデザインすら忘れてしまっているのだった。そこで、苦肉の策として、事務所の大型柱時計の文字盤を妖怪イラストで12分割し、妖怪時計を、あとは手持ちのデータを使って妖怪じゃんけんカードを作った。どちらもワンオフでカードはスタジオで使ってもらうため、レポーターの千葉星子ちゃんにプレゼントした。千葉星子ちゃんとは約10年ほど前に、旅行雑誌のモデルとカメラマンということで二泊三日ぐらいで陸中海岸でロケをした経緯がある。あの頃は星子ちゃんも若くて、華やかであった。今回久々に会った星子ちゃんはすでに一児の母となっていて、きらびやかな声と笑顔は昔のままでも、多くの苦難を乗り越えてきた立派な女に成長していたのであった。放送は9月末、やっつけワンオフのカード制作は印刷所の人にも手を煩わせてしまい、恐縮している。

千葉星子ちゃんとツーショット
妖怪カード撮影
妖怪柱時計制作
あずきとぎの妖怪カード