高滝森1159.7mロケハンと攻略②

奥の尖りが高滝森
牧場から早池峰が見える
雪が残っています
藪漕ぎで行くしかない
高滝森三等三角点
頂上のプレート

翌週、ズサタンはいつものWILLで東金沢壷倉牧場へ。途中南川目で何度も道路工事のため止められ時間ロスをするも、午前11時、装備を整え牧場脇からアタックした。と言うのも、基本的には高滝森への登山道はないのだ。地図を見ながら目印テープを結び灌木の林や、笹の密生地を行く、登山とは少し趣が違う高山トレッキングなのだ。片道約2キロ、高滝山手前の1140mほどの無名の峰を越えて、鞍部に降りて、そこから尾根に沿って高滝森頂上を目指すという計画だ。牧場脇を歩きながら意を決し笹の密集地へ突入。笹をかき分け泳ぐように下ると、木材切り出しの道に出た。この道は無名の峰を巻くように進み、高滝森とはちょっと方向が違うけれど、仕方がない、道があるならここを行くしかない。
しばらく行くと方向転換に使ったような広場に出て道は消失。再び笹の密集地をかき分け尾根に取り付き、ここからは地図を見ながら彷徨うことになる。標高1000mを越すのでまだ灌木は芽吹いていないから、時々高滝森の姿が見えるので、行くべき方向を得ながら進む。もちろん枝に目印テープを巻いてゆく。無名の峰は灌木の林になっているが頂上付近はモナドック化しており、大きな花崗岩の岩塊が転がっている。そんな凹みや穴が、落ち葉が積もって隠れているので危険だ。ここは一旦ルートを逸れるが尾根を迂回して安全策をとった。そのうち何とか無名の峰と高滝森の鞍部に到達、ここからはひたすら1140mまで登る。途中、登山道らしき道が見え隠れしたり、かなり古いジュースの錆びた空き缶があったりするから、おそらくこのルートで間違いなかろうとひたすら林を登る。落雷で朽ちたブナやダケカンバの原生林が所々にある。それでも灌木はあまり太くはないから30年ほど前にはこの辺りは一度伐採されているらし。灌木の林の中に空が見えてきて頂上の気配が漂ってきた。見た感じ岩場になっている高い所を見つけて周辺を調べると三角点を発見。灌木でまったく見晴らしはないが、ズサタンの執念で高滝森到着。感想はGPS装備があっても一人じゃ無理だな。というのがズサタンの本音であった。午後1時、高滝森で遅い昼食を楽しんだ。

高滝森1159.7mロケハンと攻略①

たっぷり雪が残る
牧場の扉は開いていた
高滝森と牧場
管理小屋付近
牧場から見た高滝森
アップで

爺様探検隊、略して、ズサタンが発足当初から豊間根方面を狙って散策していたのだが、中でも数年越しで発見した豊間根林道最深部・オソノエラノ沢上流の山腹にあるオソノエラ鍾乳洞、オソノエラノ沢が流れ込む本流をさらに上ったネコイノ沢北岸のにある大谷鉱山本坑、西二抗風穴などを探検した。その後は同じく豊間根の大荒川林道最深部にある、隠れ切支丹が暮らしたという撃ガ岩屋と白糸の滝なども到達した。そして、それら山奥の秘境においても視界が開けると見えてくるのが高滝森なのだった。結局はこの高滝森を東西南北から巻くようにズサタンは歩を進め色々な場所を散策してきたという傾向もある。もちろん、別方面、別角度から高滝森とは関係のない場所も探ってはいる。が、しかし、この、市街地からも見える目印ともなる山はいつかこの足で登ってみたいものだと思っていたのだった。
そんな中、連休最終日にFTR223を引っぱりだしてロケハンがてらに高滝森の北西側に開けた宮古市と大槌町の境にある東金沢壷倉牧場へ向かった。まずは、一昨年前の台風以来この林道を自動車が走れるかを確かめるのが目的だ。道は荒れてはいたが、牛を上げるシーズンでもあり大きく痛んだ部分には砂利が敷かれなんとか普通乗用車でも通行は可能と思われた。帰りは丁度、南川目十一面観音と十三仏がお祭りだったので軽く取材して帰路についた。

青野滝、岬から峠へ。田老マニアック探訪

手前の滝
青野滝の隠れ滝
この下に滝がある
重津部海岸で昼食
明神崎と加茂神社
明神崎から南を望む

田老の青野滝という集落に、地名の起こりとなった滝、青野滝がある。この滝は青野滝と対岸の重津部集落との間にある相当に深い谷底にあって、その存在は知られいるが、訪ねて行く人はほとんどいない。なにせ、谷は明神岳から流れる青野滝川が遙かな時をかけて海岸段丘を削ったもので、北部陸中海岸の田野畑の海岸線を思わせる急傾斜なのだ。アタックは青野滝川南岸の重津部からにした。青野滝側は岩盤が多いうえ、入山禁止の看板が多く無関係なトラブルに巻き込まれるのは御免だ。まずは道から尾根に沿って獣道を行くが、すぐに崖となる。ここから立木に掴まりながらジグザグに斜面を降りて、青野滝川に注ぐ小さな沢に出た。ここから沢に沿って斜面を降りて谷底に到達した。滝は地理院地図にも表記されるように二段滝になっている。手前の滝は2mほどの小さなものだが、対岸の岩場に沿って進むとその奥にもうひとつの滝がある。落差は10m弱だがこの滝は手前にある屏風のような岩で隠され正面からは完全に見えない隠れ滝だ。その滝壺は真っ青だ。伝説によれば、その昔、海と川を行き来する巨大な魚アオは冬になるとこの青野滝の滝壺に潜み春を待って海に出たという。アオが潜む滝壺に安易に近づくと取って食われるので人々は秋から春は青野滝に近づかなかったという。滝を堪能し、重津部浜で昼食を食べ、その後は青野滝からその先端の明神崎へ。突端の奥宮で絶景を堪能、その足で今度は明神岳南側の飛山牧場から鍋割峠へ。北上山地の山塊を眺めて帰路についた。

1970年週刊少年マガジン

横尾忠則の表紙
仕事場に置いてます
飛雄馬とジョーが人気
読み応えあり
懸賞はカラーテレビ
裏表紙は自転車

ヤフオクで週刊少年マガジンを買った。しかも1970年(昭和45年)に発行された50冊ほどを。価格は2万円を越した。酔った勢いでドカンと入札して、誰も追従できず、結局自分が落札した。それほどの価値があるかどうかは、個人の感覚によるけれど、1970年の週刊少年マガジンは当時の自分がリアルタイムで立ち読みし、気に入った号は実際に購入していた。その時の自分の年齢は12歳。思春期間近の小学校6年生だった。しかもこの年は大阪万博が開催されたし、スカートめくりやタッチボインも流行った時代で、我ながら相当に女の子にセクハラをしていた。万博に行けなかった自分は少年マガジンの万博特集を貪るように読んだし、この年に数回にわたりマガジンの表紙レイアウトを担当した、デザイナーでありアート表現者の横尾忠則のデザインに心を奪われたのだった。意味は判らないが今まで見たことのない表現に接しデザインという世界のカッコよさを知ったのだった。この表紙デザインがその後の自分のデザイン性の根底にトラウマとして染みついているのかも知れない。少年誌とは思えないそれほどの凄さがあった。そんな1970年に刊行された週刊少年マガジンは1~53まである。落札したセットは7冊が刊抜けしていた。横尾忠則デザインの数冊がすべて含まれるのに意外と落札価格が低かったのはそのせいかも知れない。とは言え、不足分もちまちま、落札し、あと4冊を残すのみだ。特集記事や読み物は少年時代に読んだ記憶があるから、懐かしい。恐ろしかったり、気持ち悪かったり、笑ったりした記事も今見れば懐かしい。連載マンガも掲載広告も安易な復刻版にはないリアルな昔が横たわっているのだ。広告は少年誌だけあって自転車が多い。この時代から自転車にもウインカーなどの電装が付く時代となるのだった。これらも時間を見つけてまとめてアップしたいものだ。

浄土ヶ浜jamに参加

最終ステージ
ま、こんなもんでしょ
立て看板
ウミネコと戯れる子ども
出た、バンジョー
運送屋・平内くん

もう1ヶ月も前のイベントだったのに、書き忘れていたので、軽く記録として。GW初日となる4月30日に浄土ヶ浜JAMとして海の音楽祭というイベントがあって、うにまるも参加した。このイベントは昨年の浄土ヶ浜アコフェスを引き継いだもので、今回は宮古中心に活動するアコースティックのグループやソロが7組、それにダンスグループ2組が参加した。うにまるは午後1時過ぎにステージがあって、その後は参加したバンドで軽くセッションをやっておひらきとなった。打ち上げはカントリーズカフェ三階で。ここでも軽く飲んで年寄(自分とバンマス)は早めに退散。一杯飲み屋で純米酒をはしごして帰りました。唄を歌うのは気持ちいいのですが、最近は疲れも残ります。しかも、打ち上げも母親の世話をしてからだと、気持ちも日常に戻っていてすんなり騒げないんです。これも避けては通れぬわたしの運命なんでしょう。