アグネスラムのポスター

1977年、ハワイからきた爆乳のモデル、アグネスラムが大ブレイクした。自動車から化粧品、家電までアグネスのビキニで覆われた。日本人っぽい童顔で小柄、スレンダーなボディーにバスト90の迫力だ。様々なビキニのポスターがあふれていたが、僕がもっとも好きだったのはエメロンミンキー(シャンプー&トリートメント)のライムグリーンのビキニのポスターだった。そして、当時、そのポスターのアグネスのおへその位置から、ビキニラインの股間までの距離がどう考えても長いことが不思議だった。「へそ下三寸」とよくいうが、ビキニで隠れたアソコまでの距離が腑に落ちなかった。今考えると撮影時のカメラのレンズの広角ディストーションで身体が湾曲した状態で写っているからなのだが、当時はそこまでは思いつかなかった。
デジカメ主流となった現在は安いデジカメ一眼で仕事をしているが、銀塩時代はF=1.2の50mmのレンズも使っていたし、ペンタ6×7やマミヤ645などの中盤カメラも使っていたが、そんな時代の根底にあった絞り解放のボケ味の原点は、このエメロンミンキーのアグネスラムにあるのだ。当時のポスター、欲しいなと思ってヤフオクを眺めて、今回、やっと手ごろな価格で落札した。次は秋吉久美子の日産チェリーFⅡの「クミコ、きみを乗せるのだから」のポスターが欲しい。秋吉久美子が池に佇むヌードポスターも良かったな。70年代ってやっぱ、最高。

猫の寝床を設置

メグサイ三毛猫がサカリを過ぎてから独り立ちしてしまい、寄り付かなくなったが、今度は全種類の毛が混ざったキジトラが来るようになった。こいつは、玄関ではなく、自分の寝室であるT字の二階部屋の物干し場に来る。裏山から屋根伝いに来るが、夏はトタン屋根が熱いだろうなと心配だ。割と近くまできてエサを食べるがなかなか触らせてくれない。さすがに野良ネコだ。股も確認できず雌雄の区別もついていない(雄だとは思うが)、それでも物干し場でごろ寝しているので、隅のほうに硬めの段ボールを固定して、ボロいトレーナーを敷いて寝床を作ったら、最近そこへ入って寝るようになった。静かに窓に近寄って見ると丸くなっていて、猫はやっぱりこうでなきゃと思う。この猫もいつまで居付くのか。離婚して出てきた崎山の家で最初に飼った猫も茶トラの雄だった。その猫は半野良で飼っていたから気軽な猫だったな。

3.11墓参りと追悼ライブ

震災から10年が経過した。節目の年だというのもわかる。でも、テレビや新聞はちょっと大げさでやりすぎだと思う。被災者が暮す各家の事情も考えず津波映像を流すのも考え物でなんかげんなりする。そんな震災が発生した3月11日は例年通り、従妹親子の名が刻まれた東日本大震災慰霊塔がある常安寺に向かった。読経の中、花を供え、焼香した。それから例年通り、友人知人の墓を巡りひとしきり墓所を散策した。トラさん、さわぐっつぁん、毛皮屋のかあさん、本屋のかあさんなどなど、常安寺の墓所には世話になった人々が眠っている。墓巡りを終えて、いつもの異人館での震災ライブ。ここ数年3月11日にはやっているのだけれど、今年はコロナでライブは自粛ムードだけど、どうせお客は常連さん二人とマスターだからソーシャルも何も関係ない。一応はそれなりの機材をセットして音出し、8曲ほど歌って震災追悼ライブを終えた。被災地が積み重ねてきた10年は長く短く、そして震災の傷は癒えていない。まして福島原発事故を見れば震災から何も解決していないわけで、東北にとって3.11はほんの昨日であり、これからも節目など存在しないと思う。