タイヤ交換完了。路線バスで往復

食いつき抜群にいい
ダンロップK180

いつもの自転車屋さんまでバイクで行って、バスで駅まで行き、そこから自宅まで再びバス。翌日、まったく逆のコースで、自宅前のバス停から、駅まで出て、自転車屋さんまでバスで行った。問題なのは最近のバスが「循環型」が多いことだ。昔のように行き先まで行って同じ路線を戻るならいいが、途中から循環するので便によっては帰りにそのバス停を通過しない。自宅のバス停も似たようなもので都市化が進み住宅地が増えると循環型のバスが発生する。宮古のような田舎では自家用車率が高くて男のほとんどが車で移動しているから、路線バスの路線がかなり進化していることを知らないだろう。その点、自分は乗物好きだしバスも好きだから宮古の路線バスが複雑に走っているのは大歓迎だ。もっと便利になってほしいものだ。さて、バスはよいとして。リアタイヤ交換とついでにフロントブレーキオイルを交換しエア抜きしたクラブマンに跨り帰路についた。時間はam10時だったのでショップはカギが掛かっており、事前に話しておいたので車庫からバイクを引き出した。支払いは後日。新品のタイヤはやはり食いつく。ほぼボーズだった以前よりかなりよい。こんなことならもっと早くタイヤ交換しとけばよかった。

クラブマンのタイヤ交換

割りピンではないと思うが
ブレーキ側
ブリックと板を使う
工夫は発想と機転から

GB250初期型クラブマンのリアホイールは、もう一台所有しているFTR223のリアホイールだ。これをヤフオクで買ってポン付け装着した。ただ、ブレーキのラインがGBがオンロードのためスイングアーム下、FTRがオフロードのためアーム上にセットされていたので、ブレーキドラムシューはGBのものを流用した。ヤフオクで買ったタイヤは溝が減ってはいたが何とかまだ使えそうだったのでしばらくそのタイヤで乗っていたが、ここにきてさすがに減りがひどく、時よりリアの滑り感を感じるようになったので交換を考えた。またもやホイルごとヤフオクで買うという手もあるのだが、値段的にも新品のタイヤを買うのが一番安上がりなので、楽天のポイントを使って購入。約9000円・送料無料だった。
次は交換作業だ。道筋はまずは自宅でGBのリアホイルを外し、近所のガソリンスタンドまで運びそこでタイヤ交換し古いタイヤを処分。タイヤを組んでもらい自宅へ運び、再び汲み上げる。バイクはジャッキで上げてフレームにウマを噛ませれば平行に持ち上がる。と言う段取りで日曜午後から取りかかった。思惑道理バイクは平行に上がり手順どおりだった。リアホイールのスタッドボルトは22㎜。ここは安物だがラチェットレンチに、ジャッキの鉄パイプを噛まして…。ところがそのボルトが緩まない。そうこうしていると安物のコマが滑だした。これはいかん、まともなボルトタイプのコマを買いに行こうというのでホームセンターへ。したら、これがまた高い。2600~3500円ほどだ。うーんと迷った。コレを買えば後々リアホイール交換には使えるがその頻度はかなり低い。専門屋に発注した方が無難だな。と路線変更。翌朝、バイクでいつもの自転車屋さんまで行き、バスで帰宅。うん、これでいい。ムリは禁物。

料理教室。今日は何を作ろうか

サッポロ一番味噌ラーメン
バラ肉のアスパラ巻き
揚大豆のアラビアータ
山椒たっぷり麻婆豆腐
ニシンの圧力煮込み
若布のシーズンは終わり
ドリアもいい
ラーメンの用意

マツモのラーメン
カボチャの煮込み

ポテトサラダのような定番料理はしかたないが、いつも同じものばかり作っていると作る方も飽きる。だが、たまには変わったものを作ろうと思っても失敗するとその残骸処理に泣くから、いつもほどほどの冒険にしておく。変わった食材を買って初めての味付けに挑戦して、かろうじて自分の好みの味になっても、同居しているばばあが食わないような料理はムダになる。年寄りも食べて、それでいて自分も幸福感が味わえる料理がいい。しかし、そのような都合のいい料理というのなそう簡単にない。しかも、傷みにくく、おいしくて、栄養があって、財布にやさしく、味にインパクトがあるもの…。そんなことを思いながら食材売場をうろつくも途方に暮れるばかりだ。そんな時にまず思いついたのが「あずきごはん」だ。これは赤飯ではなくしょっぱい豆ご飯だ。宮古の赤飯は砂糖で煮たササゲ豆を使った甘いものだが、自分は好きではない。だから塩味と僅かな薄口しょう油で味付けした豆ご飯にする。米を1.5合炊く土曜日のメニューだ。冷凍ピラフを使った「ドリア」もいい。具もソースも冷凍出来合でもいいのだが、どちらかを手作りするとリッチさが増す。自分が子供の時はこんなのばばあは作らなかったが、今は自分が作ってばばあに食わせる。圧力鍋を使った「ニシンの煮込み」も旨い。ぶつ切りのニシンを1時間30分、弱火の圧力鍋で煮る。そのまま一晩冷まして、翌朝再び1時間圧力をかける。夕方まで冷やすと骨までクタクタになった煮込みが完成する。あとは煮汁を別鍋に移し煮込んでタレにすれば完成。
合い挽き肉の「シューマイ」もいい。皮はシュウマイの皮をキッチンばさみで切ってこれをお肉の団子に貼り付けて蒸すだけ。アイリスの小型フープロが活躍する。エビのすり身でも旨いが、エビ類は身から水が出て食べにくい。あとおシューマイの隠し味は上白糖だ。これを忘れずに。

標語

手を洗ってください
標語を貼った

ばばあの記憶力のキャッシュは1メガもなく、何を言ってもすぐ忘れる。以前は5分は持ち堪えたが、最近はは行動を促したとたん別の行為によって、肝心の記憶が消える。キャッシュどころではない、脳に情報を溜めておけないのだ。テレビを見入って忘れ、立ち上がって何をするか忘れ、便所に行って忘れを繰り返す。そんなばばあに言ってもムダなので、文字で伝えるようにしている。ただこれも文字に書いてポスターのように壁に貼れば、その時だけでおしまいなのだ。すぐに興味を失い、貼り紙の文字を読まない。そんなばばに興味を惹かせるには何か書かれた紙がランダムに色々な場所に置かれていなければ効果が発揮できないのだ。そこまで気を廻して何かをさせるのは至極、大変な労力だ。何かをさせないと自立しないとか、ボケが早まるというから、最低限の仕事を言いつけるのだが、何を言っても忘れる。そんなばばあに同じ事を一日おきに注意していると、注意する方の心が痛む。しかし、それしか方法がない。毎日、同じ事を繰り返し、文字に書くしかない。

今年の花見

みんな車の中らしい
長沢の桜堤公園
花見弁当
コロナで花見も自粛

コロナウイルスで花見も自粛せよって言っても、元々、自分の花見は何年も一人でやってるから問題はないな。何事でも人数が増えるってのは性格的にムリだから、基本的に一般的花見宴会向きの人間ではないのだ。桜の花の独特な匂いを感じながらその下で弁当を食うというのが、僕の花見スタイルだ。もちろん弁当は自分の好きなものだけを自分で詰めたお手製だ。
今年の宮古地方の桜の開花は例年に比べかなり早かったのだが、開花後まさかの寒波が押し寄せたため、花の持ちが長かった。それでもいつ春の嵐が吹いてもおかしくはないので、今日こそ、今日こそと花見をしようと思いながらも仕事に追われて毎日会社のpcを見ながらの昼飯が続いたのだが、4月17日、とうとう長沢桜堤公園で花見ランチを堪能した。この日は北風で寒かったけれど、やはりあの桜独特の香りが漂ってきていいランチだった。そして週末は大荒れとなりほとんどの桜が散ったようだ。コロナで花見も自粛と言っても、全国から人を集めて桜を見る政治家先生らのように仲間や友だちが多い人ばかりじゃないわけで、世の中には自分同様一人が好きな人も結構いる。コロナの試練とは仲間を断ち切り孤独を再発見することなのかも知れない。この際、全世界でネットも禁止にしたらどうだ。

猫の尻尾

若干トラの色合いが違う
ニケの尻尾の先端

猫の尻尾の先は長くて真っ直ぐに見えても先端あたりが必ずコキッと曲がっていて、これが和猫の遺伝子の特徴らしい。長い尻尾はオスに多いように思う。その尻尾を立てて存在を誇示すると同時に自分の大きさを強調しているらしい。長い尻尾は家で飼うと猫トイレの砂場箱の中で邪魔になるようだ。メスの場合は先っちょがバネのように丸まった「カギ尻尾」が多いようだ。丸まっているのでそこがこけしのように膨らんで、まるでカラオケのマイクのようだ。あと可愛いのはウサギのように短い「ボブテイル」だが、このタイプの猫はヘルニアで便秘性があるようだ。昔飼っていた真っ黒のボブテイルは興奮すると尻尾が膨らみウニを乗せてるようだった。最近の会社周辺のノラ分布は春のサカリでクロが独立して見えなくなった。残ったのはオスのニケとメスのサナ子だ。サナ子は妊娠しているかと思われたがそうではなかったらしい。ニケの尻尾は長くて触り心地がいい。クロの尻尾も長かった。触って撮影しておけばよかったな。ま、ふらりと戻ってくる可能性もあるかも。

亀仙人の穴

この隙間が原因だ
台風の雨漏りで穴が空いた
カメムシの穴にシール
古文書を貼った

温かくなったらやたらカメムシがでるなと思った。昨年だって洗濯物は完全に叩いて虫などつかない状態で取り込んでいたから、数年前よりカメムシの侵入頻度はかなり低いはずなのに。そんな、とある夜であった。早めに飯を食い風呂も入って、最近復活したメガドラで麻雀ゲームをやった。学園モードで麻雀をしながら強い教室を巡って戦い学園トップを目指すストーリーだ。温風ヒーターを付けて湯冷めしないよう綿入れ半纏を着込んで長丁場を覚悟したのだが、ゲームを始めてから約10分程でカメムシの飛来が10匹もあった。その都度、カップ焼きそはの器と油絵のパレットナイフで捕獲し外へ逃がすのだが、これでは麻雀ゲームどこではない。何かカメムシの巣でもあるのでは?と部屋を眺めたら、数年前の台風で雨漏りして溶け落ちた天井の石膏ボードに目が釘付けになった。そこの貼って穴を塞いでいた紙が伸びてだらりと口を開いているではないか。ここか。ここから天井裏のカメムシが明かりと温かい空気に誘われて飛来するのか。
翌日、さっそくその穴を見た。穴は意外と大きくA4程度の紙では塞げないようだった。紙を剥がすとそこにカメムシ。やはりここか。塞ぐ手段がないのでひとまずカッティングシートの余りを四角に切って貼ったのだが。天井材の表面が劣化していてシートの合成糊では密着しない。やはりここは和紙が効きそうだ。後日、要らない古文書の切れっ端と障子用の糊で穴を塞いだ。急遽貼ったカッティングシートにもカメムシ数匹が張り付いて死んでいた。見た目は悪いがこれで穴は塞がった。雨漏りの方は数年前に屋根のコーキングでごまかしたのだが、横なぐりの暴風雨だとまた雨漏りするだろう。その時はまた古文書で修繕だ。

春の大掃除

ベットを解体した
まずは掃除機をかける
王子製紙のパレット
軍用毛布を敷く
ベットを載せる
ベットを撤去し掃除

寒くてストーブはまだ手放せないが。恒例の春の大掃除を行った。掃除は定期的にやってはいるのだが、ベットを解体しての掃除は年に一回のみだ。ベットは電子部品組み立て工場で使っていたキャスター付きの板10枚ほどと、印刷用の紙が乗ってきた王子製紙のパレット4枚を組み合わせた台に、ニトリのセミダブルを乗せて寝床にしている。子供の頃からずっと布団暮らしだったのだが、離婚を期にベットに転向した。この方が楽だし腰も痛くならない。掛け物はシングルサイズなので寝返りも楽だし、横向きで本を読むときも快適だ。部屋はかつて納戸としてタンスなどが置かれた部屋だが、これをとなりの部屋の押入を解体しつなげてある。縦横を連結した「T」字型の部屋で窓も多い。枕は西向きで金運の相だが、当然ながら金はない、立派に貧乏だ。けれどいい部屋だ。そんな部屋を午前中かかって掃除した。夏は猛暑で、ほぼ全裸で寝るような状態だが、はやく夏がくればいいな。寒いのはもうたくさんだ。

FG130をノーマルに戻す

エンドピンはなし
オリジナルに戻った130
マイクを外しました
ラベルが見えます
zo-sanのハムマイク

このブログをスターさせる動機にもなった、今から15年ほど前に盛岡のリサイクルショップで買ったヤマハのFG130。このギターにフェルナンデスのぞーさんのハムバッキングマイクを取り付けてエレアコに改造した。その後、アースがうまくとれず何度も改造を重ねてきたが、今回、そのマイクを撤去してノーマルに戻した。
このギターは盛岡で買った中古楽器なのだが、これと同じ品番のギターを自分は持っていたのだ。しかも、そのギターは中学3年の冬に自分がはじめてバイトして買ったギターで、そのギターこそが自分のギター人生のスタートなのだ。社会人になって久々に音楽やるかって時に、自分が担当したのはベースだった。そのバンドもなんとなく立ち消えてしまい、その後ベース(ヤマハBB2000)はヤフオクの坩堝に消えた。その後はどこからかガットギターを手に入れてポロポロと弾いていたのだが、盛岡での仕事帰りに中学時代にひきまくった同品番のギターFG130に再会したのだった。値段はたったの2000円。ま、定価も13000円だからそんなもんだろう。盛岡の楽器屋で弦とチューナーを買ってきて、家で弾いた時の感動は未だ忘れられない。あの中学時代の音なのだ。そのチープで貧弱な音が「音」の記憶として脳に残っていたのだ。それから、中年アコギ人生がスタートし、いつしかエレキ系のバンドもやった。今はまたアコギ2本、あるいはピンで演奏するけれど。このギターとの再会が晩年の音楽人生を牽引したと言っても過言ではない。今や、所有するアコギは4本。エレキ2本、ベース1本、ジャンクが3本だ。結局10本のギターがある。そんな中で、また昔のFG130に新しい弦を張った。安いちんけな、そのくせ記憶の奥底に響き渡る音がした。あの時15才の少年は62才のズサマになってもギターを弾いている。