本日、いろいろやった

今日は、拭き掃除を土曜日にやっておいたので、朝から余裕。いつもの便所掃除もない。朝から余裕があるから、先週、仙台で手が付けられなかったカーゴパンツの修繕をやった。ミシン掛けを含め、午前中で終わった。それからいつものようにばばあにうどん食わせて、午後はバイクだ。今年初のgb250を出してズサタン本部異人館まで軽くツーリング。帰りは今年初のスピード警告灯つけて帰宅。それから、ギターなど積んでうにまる練習のため和見町へ。今度は5月6日に浄土ヶ浜でアコースティックライブだ。それが終わったら7月7日に某バンドの前座でオファーが入っているとか。ま、歳だから、やれるチャンスがあったらやった方がいい。

パーカスが歌うのは大変です
ギターいっぱいあるけど、いい音するのは少ない
一人で歌詞を再確認する

日本楽器ピアノ技術学校21期同期会in仙台

十代も終わる頃、都会の空の下、漠然とした何かに向かって進むため苦境の日々を歩んでいた。そんな時代に一緒に暮らし同じ飯を食っていた同志が難病と闘っているという。技術学校を卒業し約40年が過ぎ途切れ途切れの年賀状が届く程度の疎遠になっていた。そんなかつての同志が仙台で開催されるた同期会に家族に介護されながらも電動車イスで出席した。もしかしたら今回が自力で動ける最後かも知れないという。6年前の4月、何も無い被災地宮古で開催した同期会に出席してくれた時はそんな兆候はなく元気だった。しかし、仙台で再会した彼の姿は震災の頃からは想像も出来ないほど痛ましかった。病名はALS筋萎縮性側索硬化症であった。この病気は10万人に1人程度が発病する極めて稀な病気でその進行は発病からかなりの速さで進行してゆくという。彼の症状は中程度で自力歩行ができないうえ食べ物の嚥下ができない状態だった。しかし、今回の再会に合わせ電動車イスをレンタルし操作練習を重ねたのだという。同期会は二泊で開催され、彼の入浴介護は彼の家族から自分が指名された。技術学校時代、たった1年ちょっとであったが安いアパートで2人で暮らしていた。大量の洗濯物を抱えてコインランドリーに行き、その間に2人銭湯に入った。食う物も着るものも不自由した、そんな時代だった。卒業しその道に進んだ彼と、すぐさま路線変更した自分との針路はまったく違うものになったけれど、人生の中でもかなり濃密な時間を過ごした同い年の同志であった。そんな彼の頑張りがひしひしと伝わった3日間だった。仙台から帰り、再び過激な時間と仕事と介護に追われるも、彼からの「元気をありがとう」のメールに気持ちが温かくなるのだった。

今回の参加メンバー
秋保温泉・ホテル佐勘朝食

仙台東照宮青空骨董市

技術学校の同期会が仙台で開催された。連休の前週で仕事が立て込むというのに二泊三日という悠長な企画なのだが、前回諸事情からスルーしていたし、近場の仙台開催とあり参加した。集合は午後1時に仙台駅だったのだが、母親介護の状態で宮古からそんな時間に間に合う訳もなく勝手に行って合流することにした。最近は仙台までの交通機関は高速バスだ。往復キップなら5000円とちょっとだ。新幹線片道以下の金額で往復できるし、バスなら競馬予想をしたり寝たりしながら行けば意外と疲れも取れ、窮屈な新幹線より有意義な時間が過ごせる。仙台駅には1時30分に到着、早速、仙山線でひと駅の東照宮へ。ここで第四日曜日に青空骨董市が開かれるのだ。おとずれたのは今回で二回目で、東京の門前仲町の骨董市や、高幡不動骨董市に比べたら規模も小さくこじんまりしているけれど、母親介護生活に入ってからは骨董市なんてほんと、しばらくぶりでワクワクした。なのに、着いた時間が2時過ぎだったこともあり店終いする業者が多くなんだか肩すかしをくった感じだった。それでも、古いアイヌ玉を値切り、麻の布を値切り、鉱物標本や古い三越百貨店のホッチキスを購入。無理に買うことはないのだけれど、やはり来た証拠というか記念の思い出が欲しいのだなと修行の足り無さを実感。その後、家康公を祀った東照宮の別当寺でもある近くの天台宗・仙岳寺を見学し、技術学校の仲間に連絡。東照宮で拾ってもらい宿泊場所へ。軽く風呂に入り昼からビールでご満悦となった。

骨董市の午後はもう人はまばらだった
山門だけですごい迫力
徳川家康公を祀る東照宮
東照宮の別当は近所の天台宗・仙岳院
レスラー体形かも

ズサタンは大谷山鉱山探索

爺様探検隊・略してズサタンでは、今回、豊間根林道最深部にある今は閉山した大谷山鉱山の探索を行った。当初、計画は昨年訪れたやはり豊間根林道最深部にあるオソノエラ鍾乳洞の再調査とその反対側にあるというトマリアナとう岩屋、その近辺にあるという無名の鍾乳洞を探索予定だったが、急遽、オソノエラ沢とひと山隔てたネコイノ沢にある大谷山鉱山を散策した。この鉱山はマンガン鉱と石灰岩を産出したということだが、いつの時代に創建しいつ閉山したのかはわからない。戦前に稼働し戦後の昭和30年代後期まで存在したというが、おそらく晩年はいくつかの企業に転売されながら、本体の歴史の記録が薄れたのであろうと思われる。とはいえ、鉱山とその試掘坑道は100箇所を超えるというほどで、山の斜面には多くの穴が存在した。今回は林道沿いの穴と左斜面中腹の穴に入って周辺を散策した。

滑落状態で滑り下りる
ズサタンヘルメット
中が二又になった坑道へ入る
坑道には枕木がある
坑道入口付近の岩肌
ついにレールを発見した

アラ還ライブ・バンド編に出演

田老の美保子さんが主催するアラ還ライブ・バンド編に誘われて、うにまるで出演しました。今回はバンマス三上さんの友人のつてで、ベースの高屋敷さん、ギターの木村さんが加わり久しぶりにデカい音で演奏しました。自分は震災を歌った『約束の日』のみアコギで参加しその他の曲は楽器無し、ボーカルのみでした。演奏曲は5曲だったのですが結構歌に集中できてよかった気がします。特に今回はベースの高屋敷さんは演歌歌手のバックバンドやキャバレーなどでの演奏をこなしてきたプロですから、しっかりツボを押さえてくれ歌いやすいし息継ぎも楽でした。ステージは得意の宮古弁を散りばめて、オテライブとはひと味違う演奏でした。出演バンドも4バンドだったので最後まで付き合って片付けをして、打ち上げに参加しました。ただ、日曜だったこともあり、運転代行がもの凄い時間待ちだったのでタクシーで帰宅、翌朝、バスで街へ出て車を回収しました。ま、これもありだなと納得でした。
音源mp3でアップしておきます
アラ還ライブ・バンド編2017

♪swingせんすぺす ♪約束の日 ♪三陸観光ブルース
♪スターライト ♪マンボ金勢様 ♪ちょっと不便でちょうどいい

主催者の美保子さん
おやじ連はリハでバテる
打ち上げは楽しい
卓側から
マスター伊藤さん

継ぎ当てしてみた

ミシンを使って穴あきジーンズを修繕するのが目的でミシンを買ったのだが、足踏みミシンは慣れが必要なうえ、アームがないから筒縫いができない。そんなわけで、つぎあて用の布を足踏みミシンで作って、ジーンズの横の縫い付けを電動ミシンで、縦はジーンズ解体が伴うので、今回は全返しで手縫いした。ま、最初にしてはこんなもんだろうという出来映えだった。手縫いの糸位置は裏からだと見えないので一端しつけ糸で縫い付けてその3㎜外側を縫った。布は表が穴から見えると目立つからわざと裏を表にして縫い付けました。針仕事はやればやるほどスキルが上がって上手になるような手応えを感じます。今度はお尻に穴が開いたカーゴパンツ2本を修理予定。あて布を得るため、もはかなくなった、カーゴパンツ風半ズボンを解体した。衣服の解体もこれまた勉強になるもんだと一人で納得。ケーキ作ったりパン焼いたりするのも、いい匂いが家中に充満にて幸せ感を感じるけど、ソーイングもある種の幸せ感を得る作業だ。かといって「××男子」などと呼ばれる今風の男たちのように自分が女化しているわけではなく、人生には知らないことがまだまだたくさん、しかも身近にあるんだな、もっと勉強しなきゃと思うわけだ。つーか、自分で作ったり修繕してリサイクルするって、基本、貧乏性なのか、おれって。バイクをバラしてエンジン積み替えたり、服をバラして改造したり、これら作業の原点は同じ所にあるのかも知れないな。

じきに馴染むでしょう
穴あきジーンズにつぎあてした
チープな感じ
横は電動ミシンで
早速はいてみた

アラ還ライブ・バンド編に参加

美保子さんが企画するアラ還暦ライブ・バンド編にうにまるとして参加することになりましたが、ベースの良樹さんが仕事で参加出来ず困っていたところ、三上さんの古い友人の山田の木村氏を経由して田老の高屋敷氏をベースに迎えました。彼は元プロで、NHKのど自慢でベースを弾いていたこともあるベースマン。はっきり言って「レベルが違う」のですが、なんとかうにまるバンドで弾いてくれることになり、とりあえず練習しました。「楽譜があれば本番当日でもオッケー」と言われましたが、うにまるはアマチュアですから、練習は必須です。4月2日(日)はじめての音あわせでしたが、その弾きっぷりはさすが。歌も歌いやすい完璧なベースでした。また、今回は山田の木村氏も3曲ほどギターで参加します。久々のバンドで大きな音を出すのでちょっと楽しみです。ちなみに、3月にはリーダーの三上氏が心臓疾患で宮古病院に緊急入院。カテーテル手術で復活しました。三上、木村、高屋敷の三名は同級生らしいです。また、ドラムの佐々木くんは先月娘が出産。とうとう爺さんになりました。これでうにまるは完全にずさまバンドになりました。

山田の木村氏を交えて
あつっぴも孫が生まれた
今回すっけっと、ベースの高屋敷氏
先月入院したカテーテル三上