「バイクでGO!!」カテゴリーアーカイブ

ファンネルからパワフィルへ

ファンネルを外してパワーフィルター装着
バッテリーを縦に装着したい

暖かくなったのでまずはGB250のキャブレターを、ファンネルからパワフィルに変更した。以前もパワフィルだったが5年ほどでフィルターが詰まってしまい吸い込みが悪くなった。ネットで調べたらパワフィルの紙部分は特殊な溶剤で洗って乾かして再びフィルター用の油を塗布すれば再利用できるような事が書いてあったが、ド田舎のホームセンターにそんな特殊な溶剤なんて置いてないし、ネットで買うにしてもややこしい。んじゃ、パワフィルやめてもともと持っていたファンネルにと交換してはいたが、ファンネルは網もないからキャブにゴミやら虫やらを吸い込んでしまうし、車庫に止めて置く際にはファンネルをウエスで覆ってほこりの侵入を防ぐ手間もかかる。やはりパワフィルの方が楽でいい。というわけで昨年暮れにパワフィルをヤフオクで落札、今回そrrを装着した。ついでにやはりヤフオクで落札したバッテリーケースも装着しようと、バッテリーやらイグナイター周りをハラしたけれど、素の状態ではバッテリーケースは装着できそうになかった。つーか現状でさえパワフィルにするスペースを確保するためバッテリー位置を横置きで数センチ後方に移動する強引改造だから、基本、縦位置にするにはゼロからステーを考えないといけない。昔はそんな障害も何のそので、ひたすら工夫を重ねたものだが近年、歳をとってその根気が続かない。まっいいか、と先送りするのも年寄りの特徴だなと自ら認めてしまうのだった。でもこの後、組みなおしてしっかり走らせて速度警告灯も点灯させた。

初乗りはGB250にした

OVERのマフラー、やっぱいいな

あまり寒くもないし何より雪が降らないから、バイクも初乗りしてみた。寒くはないといえセーターに皮のバトルスーツ。ワークマンの暖パンに防寒手袋。FTR223の方は11月にバッテリーが上がってセルが回らないから、いつものGB250を引っぱりだした。こちらのバッテリーも4年目だから相当弱っているわけで、もしかしたら掛からないかも?となかば諦めてチョーク全開でセルを回したら一発始動。それからアイドリングまで温めて一端エンジンを切って暖房装備をして跨った。10月下旬に乗ってそれからヤマハの同期会とかあって母親のおむつ外し事件も重なりもう今年は乗れないと年を越したのだが、こうして正月明けに跨るとは。自動車専用道も走ってしっかり速度警告灯も点灯させた。今年は吸気をファンネルからパワーフィルターへ戻し、バッテリーケースをおしゃれなメッキ物に変更する。パーツは揃っているが作業開始は温かくなってからだと思う。

FTR223 無事に初乗り

モザイク入れたけどあまり意味ない

今年も雪が少なかったので正月早々、セパハンのクラブマンには2度乗ったのだが、いつも隣に止まっているFTRの方は11月下旬に乗ったきりで冬ごもりのままだ。乗れば排気量が若干小さいFTRの方が軽快に吹け上がるし加速も早いのだが、ついつい前傾姿勢のロード系にばかり乗ってしまう。FTRはオフロード系だがスカチューンして街中用にしてるから、基本はグラベルでも本質はターマックに合わせてキャブもセッティングしてある。というかこのキャブでは林道をトコトコ走るなんてできず、とにかく回転を上げてぶっ飛ばすしかできないから、はっきり言って怖い。実際に数年前に転けているからそのトラウマもあるし、フロントフォークも3㎝アップ、リアサスも3㎝アップでバイク本体の佇まいはいい感じだが脚の短いオヤジとしてはかなり乗りにくい。それでも自分にとってはFTRの方が先妻だからたまには乗ってあげないと不調をきたす。そんなわけで陽射しも暖かくなったので久々に引っぱりだした。そしたらセルモーターが固着しかかっていてイマイチ調子が悪い。何度かもたつくセルを騙しながら始動させて、いつものコースの下道のみをひとまわりした。初乗りはトラブルがつきもので、今回は左ハンドル集中スイッチのウインカーの戻りボタンがキツイ。真鍮のスライド端子のとこだな…バラして掃除しないと。などと思いながら無事に帰宅。お疲れ様でした。

クラブマン初乗り

爺様が無理しております

正月休みも長いと飽きるわけで、年寄りの冷や水を覚悟で雪も降らないからバイクの初乗りをすることにした。革のバトルスーツ、裏地がついた暖パン、防寒グローブで完全防備で浄土ヶ浜方面まで一回り。高速道路を80キロで巡行して次のインターまで走るにはやはり寒い。そこまでしなくともちょっとしたバイクらしい加速感を味わうだけで十分なのだ。クラブマンの改造もある程度まできていて次にやるのはライトとメーター回りなんだが、最近はボロいのもけっこういいなと思えるようになっていて、バイクも人生もある程度までいったならそれ以上は無理することはないなと思うようになった。自分の足でバイクを支えられる限り乗り続けたいし、クルマにはない加速感と排気音、カーブで車体を傾ける感触は何歳になっても快感だ。あくまでも法定速度内でのことです。60キロの速度まで何秒で達するかがいいのであってその足の速さがバイクの魅力だ。ま、安全運転義務違反と言われたらしゃーないですけど。

真崎海岸

まだ薄着で走れる気候だったんで、Gジャン程度をはおってバイクにまたがった。いくあてなどないんだが、最低30キロぐらいは走りたいと思い、久々に旧国道45号を田老方面に向かった。田老なんて自動車専用道の三陸道で行けばすぐなのだが、旧道をとぼとぼ走るのがまた味があってよい。どうせ田老にいくんだったら、久しぶりに真崎海岸にでも行ってみっか。というわけで震災後に開発された高台、山王団地から真崎へ。
真崎海岸といえばまだもう40も前、今と違ってバツのないキレイな独身だった頃、この海岸は一番のお気に入りの海岸だった。この浜にはいろんな思い出があってその思い出の数だけあの頃の女がいる。泳いだりキャンプしたり、夜中にドライブできたり…と色んなことがあった。今ではその時の彼女らはまったく違う人生を歩んでいて自分と真崎海岸にきたことすら覚えていないだろうが、彼女たちの水着姿だけが記憶に残っていて懐かしい。20代の暑い夏だった。
勝手にいい感じの思い出に変換して美味しいとこだけおぼえているってのはちょっとズルいけど、青春というほどではなかったが真崎海岸には思い出が残っている。今は震災後海水浴場としてもあまりメジャーではなくなったけれど、弓なりの海岸線は今でも美しい。そんな海岸と青野滝の明神崎をバックに自撮りで一発。

うみねこ丸とFTR

山田町の造船所で今年の7月から運航する、浄土ヶ浜の観光船・うみねこ丸と記念写真を撮った。この船は知床半島の事故で沈没した観光船と同じトン数の19トンの双胴船だ。20トンから規制とか安全装備にハードルがあるため19トンなのだと思う。かつて宮古港から相当数が出港し、相当数の船舶事故を起こした北洋サケマス船も39トンだった。これらも40トンから規制基準が変わるため39トンで申請したのだろう。三階建ての高さほどの波が地下三階ほどまで下降する振幅の中でひたすら幸運を祈ったものだと当時その漁に出ていた叔父が言っていた。また、中卒でそんな船に乗ってあっけなく死んでしまった少年も多い。港町の暗部であり辛い昭和の記憶でもある。

国旗とwillとクラブマンと信楽タヌキ

文化の日は国旗を揚げた。僕は右翼指向ではないが国旗掲揚は嫌いじゃない。ただ、一年中のすべての祝日に国旗を揚げるのではなく、本当に意味ある祝日に国旗を掲揚する。海の日とか山の日なんて本来「旗日」ではないし、土日に連結されてしまうような祝日には興味がないからそんな日には国旗は揚げない。日本国にとって意味ある日こそ、国民の一人として旗を揚げて祝う。祝日って明治天皇、昭和天皇、大正天皇とかに関連する日なのだが時代と共にその意味が薄まり同時に名前も別になるから祝日から天皇を連想するのは難しくなった。また、旗と言えば日章旗というのがあって、軍艦旗として知られるが、僕ら世代にとっては暴走族の特攻を意味する旗印だった。赤信号に特攻バイクで道を割り、三方の交通を遮断して後続車が信号無視で連なる…そんな時代があった。僕が上京して貧乏暮らしをしていたころ、川崎には多くの暴走族のチームがあって、僕が住んでいた元住吉あたりには「元住吉連合」というチームがあって土曜の夜はバイク四つ輪を含め100台ほどが走り廻り暴走行為を繰り返していたものだ。補習授業と毎日の暮らしですっかり疲れた銭湯の帰り、なかなか渡れない中原街道の交差点で爆音を響かせるバイクを見ながら、ファミレスのディニーズにも入る金もない極貧の自分と、親から買ってもらったであろうバイクで走る同世代の「若さ」と「自由」に疑問を感じた。しかも旗に書かれた「全国制覇」って、戦国時代でもないのに、何考えてんだろって思ったものだ。

FTR223とイチョウの木

今年のバイクのシーズンもそろそろ終わるような気配の寒さだ。もうすぐ雪の便りもとどきそうなので今年最後と思ってオフロード車のFTR223にまたがった。数ヶ月前に岩泉中里の鍾乳洞探索のロケハンに使ったきりでしばらくエンジンをかけていない。タイヤの空気圧が下がってるんじゃないかと心配したが、現状でパンパンのままだった。FTR223はGB250と同じシングルだが27ccほど排気量が少ない。だが加速や吹け上がりのパンチはFTRの方が鋭い。いくらGB250のヘッドが複雑な高回転向きのDOHCだからといっても、エンジンの基本設計が古いから部品やベアリングなどのパフォーマンスが低いわけで、FTRの俊敏性にはかなわない。ただ、FTRは無駄にスカチューンしたあげく車高を3㎝ほど高くしてあるから、見た目はいいが足つきが悪く不安定だ。けれど跨って真っ直ぐ座るから目線も高くスピード感もさほどではない。これなら100㎞/hはいける。それに比べGB250はセパハンで前傾姿勢だから胴体視野は極端に狭く、さいきんじゃ70㎞/hぐらいが関の山、それ以上だとビビってしまう。そんなFTRでぐるっと高速、市内、林道と定番コースを一回りして夕方に小山田橋の袂で撮影。本当は一中のイチョウをバックに撮りたかったのだが、日曜で人がいたから公園を突っ切れなかった。ならば押せばいいのに。と後から思った。

山田まで走る

天気がいいときはバイクに乗るけれど、最近は遠くまで走ることはほとんどない。近場を走って満足するコースがあるからだ。まずは自宅から三陸道の宮古北インターへ向かう。そこから高速に乗って宮古中央インターのジャンクションへ。ここから宮古西道路で根市まで走り、専用道を降りて再び西道路で宮古中央インターのジャンクションへ。そこから三陸道で宮古南インターへ。インターを降りて国道45号線を山田方面へ走り。根井沢から花輪へ。というコースで約10キロは走る。今のコースを逆に廻ったり、入れ替えたりすれば別の感じで楽しめる。高速と専用道を使うから一般道より意外と安全だったりする。そんな感じで、お天気もよかったから久々に山田まで走った。アルミタンクにしてから6リッターしか入らないから遠出はしなくなった。年相応でこれもまたよし。スピードだって80キロも出たらもう十分。視力が落ちてるから100キロなんて勘弁してほしい。あと暗いトンネルもだめ。

アルミタンク装着への道②

SR400用のコックを購入しタンクの設置面を研磨してキッチリとパッキンが効くようにしてからクラブマンのタンクを外した。タンクはエンジン載せ替えやキャブの修理などで頻繁に脱着しているから手順は慣れたものだ。ただ、外したタンクには以外にも燃料がかなり入っていたのは失敗だった。
さて純正タンクを外してアルミタンクをフレームにあてがってアタリを見た。うん、いいじゃん。かっけーじゃんと喜んでいたのも束の間、なんとSR用のコックがクラブマンのフレームに緩衝してしまうのだ。コックを生かしてタンクを設置するにはタンクの位置を相当高くするか、フレームの分岐部分を削って補強するしかない。これは大掛かりだ。しゃーないコックは諦めてタンクから直でフィルター経由でキャブというラインしかない。そうとなったら再びコックを外し、落札時に付いてきたコックなしのラインを掃除して再びセット。タンクの後方のボルト止めは部品をワンオフで製作しなければならないので、とりあえずタンクとフレームの間にウエスを挟んでゴムバンドで結束。ガソリンを入れて一路、いつもの自転車屋まで走行し、鉄板でオリジナルステーを製作してもらった。うん、これでいい。やっぱ、アルミタンクはいい。オリジナルが満タンで15リッターも入るので重かったが、アルミタンクは満タンで6リッター。軽くなって心なしか軽快な走りだ。