「アートな出会い」カテゴリーアーカイブ

百均コスメ

この手は集めだすとやめられない

100円ショップに行ったついでに、ロン毛の自分はいつも髪関係の小物を物色するが、そのコーナーはレディースなんで、並びにはつけまつげとかファンデとかが置かれている。いわゆる百均コスメだ。そのなかにマニキュアがあってこれが小ビンのボトルで色々種類がある。ベタなカラーからラメ入りまでこのクオリティーで100円かい、タミヤのプラカラーみたいでかっこいいじゃん。実際に小さなフィギュアとかはこれで色付けたらかなりいい感じだ。ふうーん、おもしれーんじゃ一個買ってみっかとくすんだミントグリーンを選択、さっそく左手の指三本に塗ってみた。簡単じゃん、と思ってブラシを持ち替えたら利き腕じゃないからすこぶるむずかしい。うーむ、失敗したときにふき取るリムーバーと綿棒が必要だななどと思い、後日再びマニュキア売り場へ。そしたらこんなに買ってしまった。しかもグレーがないから、そっちは薬王堂のコスメ売り場で購入、こっちは一個330円だった。ライブの時に左手の爪に塗ればかなり目立つな。こうして少しづつメイクの深みへ入っていきそう。次なる興味はつけまつ毛とマスカラ、アイライナー。眼の周辺はおもしろそうだ。

ミントグリーンを塗ってみた

銭湯通い再び

旭湯正面いりぐち、右が男湯。これって全国共通だよね
七福神が描かれたのれん

すっと好きで通っていた田の神湯が一月末に休業のポスターを出したまま閉まった。内容には再開の見込みは当面ありませんと書かれていた。広さといい湯の温度といい自分好みだった銭湯だけに悲しい。この銭湯に8時頃に入って、向かいの生協ベルフ店で値下げになった総菜を買って帰って一杯やるってのが自分のスタイルだった。仕方ないからしばらく茂市のゆったり館に通ったが、ここは遠いし入浴料もちょっと高い。そして何より湯の温度が低い。カリッとした熱い風呂がいいのだ。とはいえ豊間根の嶋田鉱泉や光山鉱泉のような激熱の湯はさすがに入れない。だからと言って温い風呂では満足できない。しかたない、ここは宮古市に残る銭湯二軒のうちの駐車場がある「旭湯」に行くしかあるまい。そして向かった旭湯、ちゃんと熱い風呂がある。湯温は設置された温度計で見ると48度。しかし入ってみるとそんなに熱くはない。おそらく43~46度ぐらいだろう。温い方は42度ぐらいだ。旭湯は以前何度か入ったのだが、湯船が狭いのが難点で大人二人が脚を伸ばせば三人目が入れない。洗い場も真ん中にもある三列構成だから狭さを感じる。カランやシャワーは新しくタイルや壁も清潔でキレイだ。しかもロン毛の自分にとってドライヤーは必需なのだが、なんと三分で10円は破格だ。洗濯機もあって200円で使える。こんじんまりしたアットホームな銭湯っていう印象だ。午後三時頃は話好きのじいさんが多く混んでいるから、夕方5時ごろがねらい目だ。入浴料は450円。

セメダインのホーロー看板

玄関の展示スペース

僕らの少年時代はプラモ全盛期だった。小学生とは言え硬派のモデラーは「オレは戦車しか作らない」とか無理に専業化していて、戦艦もウオーターラインのみ、飛行機はハセガワだけ、タミヤの35分の1だけとか、ムキになっていたような気がする。自分は今も昔も五目、こだわりはまったくない。だから飛行機、戦艦、戦車はもちろん、自動車、お城、鬼太郎、リボンの騎士から刀剣、透明人体など何でも作った。ただ、戦車は一度、タミヤのドイツ軍タイガー戦車で完成に至らず挫折してしまいトラウマになって、それから戦車はやめた。それ以来あのサンドベージュの色を見ると失敗したプラモを思い出してしまう。もマブチモーターを二個使うタイプだった。親にねだって、ねだって買ってもらった以上、未完は許されなかった。子どもの自分には仕事が重すぎたのだろうかなりのプレッシャーだった。好きなのは潜水艦だった。ゴム動力もいいが当時はマブチ水中モーターというのが流行っていて、水に浮く系のプラモにはその接続フックが成形されていた。マブチが強かったかプラモメーカーが強かったかは知らないがそうとうのパテントだったろう。
そんな時代の晩期、プラモに付属してくる安っぽい接着剤では雰囲気が出ない。あの尖った蓋を逆さまにしてチューブに穴を開けるのも素人くさい。ならば接着剤を買ってしまえとビン入りのセメダインを買った。今でいう透明マニュキアのようなもので、蓋の先がブラシになっていて作業もはかどるしプロっぽい。セメダインにはそんな思い出もあって、かつての大通り一丁目にあった雑貨屋「たかせん商店」の店内の柱に掲げてあったホロー看板を●万円で購入。今ではかなりレアなお宝だ。震災前に救った文化財でもある。玄関にホーロー看板とお召し替えをしたチャコちゃん人形とブリキのマルサンキャデラック。見る人が見れば「うーむ」と唸る品だが、あいにく家に来るのは介護の方々のみでマニアはこない。

半襟をちくちく縫う

糸を通すのに苦労しながら縫うのも、着物の魅力かも
花王フェザーシャンプーの年代物ブリキ缶

月末前の土日に市内のせんべいやさんの工場祭があってそのステージに出演依頼がきた。今年になって初のライブだからと奮発して黄色の着物に博多帯びで演奏することにした。昨年暮れは某町内の敬老会に出演したのだが、その時は手抜きして「うそつき衿」に半襟を両面テープで貼ってごまかしの着付けだった。客席のばあちゃんに衿が変だと直されて手抜きがばれたりして。しかもその後、両面テープで貼った半襟を剥がすのが大変だったこともあり今回はまじめに糸で縫い付けた。面倒くさい作業だが着物を着ると女子力が上がるってのは、着物着付けにはこんなささいな作業があるからだと思う。立体的になる部分なので前後左右別々に4回縫わなければならないのだが、この老眼、とても針に糸を通せない。通ったと思ったら途中で抜けてしまったり、指ぬきを探しているうちに針が落ちたり。とにかく眼が悪いと効率も上がらない。それでも何とか縫い付けて「うそつき衿は」二部式襦袢に安全ピンで取り付けた。ま、何事もこんなもんさ。工夫が一番。裁縫箱は昔の花王ーフェザーシャンプー(10円)の缶。これが銭湯の番台に置いてあって、髪を洗う人は必ず買っていた。その後液体のエメロンシャンプーが登場、シャンプーが粉石けんの時代は終わったのだった。

今年も猫の日

会社の物置で生まれたニケももう立派な成猫。去勢されてます

毎年恒例の222と2が三つ並ぶ、2月22日は猫の日だという。昔、養蚕全盛期の頃はお蚕や繭を狙うネズミを退治するため猫は重宝がられたが、今は猫が人のためにやれることは飼い猫が愛玩動物として人の癒しに役立つぐらいで大半のノラ猫は邪魔者扱いだ。生まれてから一度も人と接触したことがない猫は野生動物と同様で人にはほぼ慣れない。もし慣れたように見えてもそれは食べ物を得るポーズだけで身体を触らせたりはしない。特にメス猫は子を産むという本能から飼い猫でも身体、特におなか周りを触られるのを極端に嫌う傾向が強い。そんなメスのノラ、サクラを飼いならしてベットで一緒に寝るようになるまで2年かかった。今では多少嫌がるがおなかの毛や尻尾、乳首も触らせてくれるようになった。これもまぁ気長な努力の結果だ。動物を飼ったことのない人にはそんなのどうでもよくて、猫とコミュニケーションを取るなど無駄な努力だと思うだろうが日々の暮らしの中に動物がいるというのはけっこうな潤いでもある。餌代とか猫が入り浸っているから泊まりがけで遊びに行けないとかの不便もあるが、その縛りを我慢するのも意外と快感だったりする。

正月はゲーム三昧

オープニングはこんな。彼女とスキー場にきてペンションに泊まるいかにものお話
彼女が国際的エージェントだったという唐突な設定がおおらか
江口寿の出世作。ギャグセンスは鴨川つばめの「マカロニほうれん荘」といい勝負

毎年暮れになると正月休みを遊んで過ごすためのオモチャを買ったりするのだが、今年は昨年に続いてスーファミのゲームソフトだ。去年は任天堂のファミコン鬼ヶ島①②だったが、今年はチュンソフトの「かまいたちの夜」にした。このソフトはゲームノベルという特殊なジャンルのソフトで、会話や選択肢で選び進むアドベンチャージャンルに似ているが、途中の選択肢にいくつかの分岐点があって運良く分岐を進めば1本のソフトで数種類のストーリー展開を楽しめるマルチエンディング形式のソフトだ。自分が現役でスーファミの仕入れを仕事にしていた時代に出たソフトで、たしか「弟切草」という同系のソフトがあったはずだ。もちろんこの「かまいたちの夜」も店頭で口八丁のセールスで何本かを売った記憶がある。今回はヤフオクで箱・取説付きを3000円で即落で購入。正月明け、ばあさんのデイケアがはじまって誰もいなくなる3日にゲームスタートとなった。地震で正月特番も相当お流れになったみたいだからゲームをするにはうってつけだった。当初、適当にダラダラとスタートしたら「みんな死んでしまった…パターン」のバットエンディングの真っ赤な画面でゲームオーバー。ならば攻略法を…とネットで検索し、分岐をクリア彼女が実は凄腕の国際スパイエージェントだったというスパイ編に突入。仲間の裏切りを経て複雑な展開やスノーモービルでのチェイス、格闘を経てなんとかエンディングを向かえた。この他に彼女が変身する「妖怪編」があるようだが、それはこの次ぎに機会があれれば。この他に正月用と思って懐かしい70年代後期に江口寿が週刊少年ジャンプに連載していた「すすめパイレーツ」のコミックス全11刊なども購入して読破。意外と長い正月休みを堪能したのだった。

反射ストーブとサクラ

外から帰るとここからしばらく動かない

レトロな反射ストーブだが災害時には重宝する。電気が要らないしお湯も沸く。温風ヒーターのような快適さはないけれど暖房と湯沸かしの利便性は捨てがたい。しかもこの天板で市販品の鍋焼きうどんを調理したリ、餅を焼いたり、煮干しのダシを取ったり、お酒の燗をつけたりして、それも冬場の風物って気がする。そして反射ストーブ、待ってましたが猫だ。ネコちゃんは基本的に温風ヒーターはダメだ。風ではなく赤外線的温みが好きなのだ。外から帰還したサクラは反射ストーブの前に座ってしばし火を眺めて毛繕いをしてぬくぬくになってからベットにのっかってくる。それから火を消すのが冬場の夜のパターンだ。

ストップひばりクン

誰も客はこないけど、玄関の飾りに

2年前、盛岡の県立美術館で江口寿の美少女イラスト展があってミュージアムショップにて記念にひばりクンのお皿を買った。香蘭社製でたしか8800円だったと記憶する。最近は古伊万里とかではなくこのようなお皿も衝動買いするようになってしまい、蒐集家としてほんと軟弱になったのだが、骨董なんて所詮上には上がいてどこまで行っても到達なんてできないわけで、それなのに突っ張って何の意味がある。好きなモノを買って眺めて何が悪いってな感じで60も過ぎてやっとそんな気持ちになれたようだ。ひばりクンのお皿にはやっぱひばりクンのイラスト。ポップな組み合わせだ。
ストップひばりクンは週刊少年ジャンプに連載して、リアルタイムで読んでいた。作者の江口氏はその前に「進めパイレーツ」というギャグマンガで連載し、その後読み切りの「日の丸劇場」などを経て「ストップひばりくん」を連載した。このマンガは当時の少年マンガにおいて完全に欠けていた「おしゃれ」や「デザイン」という分野を押し開いた作品でありその、トリミングと絵のセンス、そしてギャグもすばらしかった。ただ難点は江口氏の休載が多いこと。だがそれも内輪ネタで結構おもしろかったものだ。しりきれとんぼで最終回を迎え、江口氏はアニメ界へ転向「老人Z」で話題を呼んだが、その後はイラストレーターに転身した。ひばりクンは女装男子の先駆者でもあり、そのテの男子のバイブルでもあるらしい。

お人形さん、お召し替え

左が秋バージョン、右が冬から春バージョン

この人形は山口団地にあったかつての雑貨商、通称「ボロ屋」から引き揚げたもの。キレイにしてヤフオクで売ろうと思って出品したのだがまったくだめだった。あまりにも安い値段で落とされそうだったので引いてそのままお蔵入りだったが、あるとき子供用の洋服を買って着せてみたらけっこうおもしろい。んじゃイメチェンで子供用の金髪ウイック被せてみようと、やってみたらけっこうかわいいじゃん。んじゃ下着や靴下も買って履かせようとやっているうち手放せなくなった。年に数回着せ替えをして玄関に飾っているのだが、家を訪ねてくる介護関連人たちがどれだけお着替えに気づいているかどうかは知らないが、介護老人と中年男しかいないのにまったくおかしな家だと思っていることだろう。

髪を染めた

こんなになるなら苦労はしない。過激なブリーチ必須

人生最後の希望は髪の毛をキンパツに染めることだったが美容院で見積もりしたらカットなしで18000円ぐらいだと言われた。ブリーチ2回とカラーリング2回らしい。しかもその所要時間たるや5時間強。やってらんない。しかたないから自分で染めることにしたが今更ブリーチやって髪を痛めてしまうのも辛いから、キンパツ系は諦めて、おとなしく白髪染めにした。白髪になっている部分をアッシュグレーメタリックにそめることにした。茶髪はさすがにいい歳だからやめて、落ち着いた色で手を打つのが無難であろう。ブリーチは何度もやったことはあるが毛染めは初体験だ。知り合いから色々と情報を集め洗面所で敢行。ここなら電気ストーブもあるし半裸でも風邪ひかない。あれこれやって溶剤塗るのに30分、定着に30分でなんとか白髪部分が黒というかグレーにそまった。やってみてわかったことは髪を染めると一気に5歳ほど若返るけれど、きっと色が落ちてくると不安になってまた染めてを繰り返すのだろうというのがわかった。鏡に映る姿は50代後半ぐらい。離婚したばかりの頃の自分に見えた。髪って、やっぱ、ハゲに白髪などなど、見た目にすげー影響してるんだなと実感した。