梅酒を仕込む

窓辺に干すと部屋中が梅の香りに包まれる
飲みやすいキンミヤ25度で仕込んだ

行きつけの喫茶店で青梅をいただいた。最初は断ったが、去年漬けたという梅酒をほんのちょっと頂いたら、その気になった。うん、作ってみようと喫茶店のお隣の家の青梅約1キロをもらって帰った。青梅もサンショウ同様まずは洗ってけっこう多めの塩で揉んで、そのまま一昼夜塩水に浸ける。翌朝は1個ずつタオルで拭いて新聞紙を広げて夕方まで乾かす。梅は早く漬かるようにアボガドを切るような感じで種に沿って切れ目を入れて果実酒用のビンに入れる。ビンが小さいから砂糖を入れながら梅と交互に入れていく。砂糖は梅と同量というけれどそれでは濃いし、漬かったら早めの飲んでしまうから梅の約60%ぐらい、見た感じ半分よりちょっと多いぐらいにした。使った焼酎はキンミヤの25度。35度のホワイトリカーだと余った分を飲むのにキツいから、普通に飲めるキンミヤにした。つうか、キンミヤの梅チューって基本でしょ。漬かるのは三ヶ月後だから10月初旬。梅雨時期って憂鬱だけど梅酒は楽しみ。

サンショウを収穫

下処理していったん乾かす
早速麻婆豆腐で初物を堪能した

札幌からの来客を連れて千徳城を案内した翌週に、タウン誌の記事を書くため再度千徳城をトレッキングして細部まで調べたのだが、その際、時期的にサンショウの実を発見した。そうか、そんな時期だったか。数年前も田老樫内の栃内浜でもサンショウを取ったっけ。ああ、そのもっと前の花原市の鉱山跡を探しに花原市山中を彷徨った時もサンショウ実がなっていたな。あの時はもの凄い気温で熱中症でダウンしたんだっけ。などと昔を思い出しながら、リュックにいつも持参しているジップパックにサンショウの実を摘んだ。サンショウは柑橘系で実をよく見ると青い檸檬のような模様がある。株は雄と雌があって実がなるのは雌株だ。ウナギや焼き魚にのせる木の芽的はっぱは森の中によくあるのだが、実がなっている雌株は少ない。目を皿のようにしてそれをみつけて摘みとる。
サンショウの下処理はゴミをとって実からちいさな枝を取って塩で揉んでしばらく水に浸けてから熱湯で5分ほど茹でて乾かしてから冷凍する。今回はまず下処理してから即、刻んで丸美屋の麻婆豆腐で初物の「ホーホー感」を堪能した。

千徳城の因縁

千徳城への分岐には立派な看板が建っていた
二台のスマホで主郭の位置を確かめる

昨年暮れに北海道在住の方から電話があり、自分は「千徳城興廃実記」に出てくる千徳氏、そして「千徳城興廃実記」の執筆に関わった明治時代の千徳瀬兵衛の子孫だと言うのだった。過去に自分がタウン誌「みやこわが町」で特集した閉伊氏、千徳氏、払川氏など千徳関連の冊子は本誌のバックナンバー販売サイトから購入済みらしく、フレンドリーな感じでの問い合わせだった。その内容は冊子うんぬんではなく、明治時代に先祖の千徳瀬兵衛が宮古の千徳村を訪ねて「千徳城興廃実記」の執筆に関わったように。自分も瀬兵衛の足跡を辿りたいということであった。しかし今はコロナの時代であり簡単に出歩くのも難しいから、終息後に是非とも宮古に行くのでその時は面談し千徳城を案内してほしいというものであった。それから約半年が過ぎコロナも五類となり、札幌在住の瀬兵衛の子孫を名乗る方から連絡があった。自分たちも大病から復帰し年齢も70近いので今回を逃せば宮古行きは難しいであろうから、是非とも伺いたいとのことだった。そんなわけで6月中旬、千徳瀬兵衛のやしゃ孫に当たるという、本田氏、今氏の二名が札幌から訪ねてきた。まずは編集部で会ってその由縁を聞き、その足で早速千徳城へ向かった。城址を案内して、千徳氏由縁の寺、善勝寺と中世末期に南部氏に追われ千徳氏末裔が落ち延びたとされる岩船集落を訪ね、夜は市内の某焼き鳥屋で懇親会となった。これまた何かの縁、歳をとると色々な積み重ねが実を結ぶということは意外と多く、少年時代に遊び回っていた千徳城がこうして人の出会いにまでなるとは夢にも思わなかった。

金勢神社の宵宮でライブ

ポスターを作って町内に貼った
ご本尊前にて記念撮影

うにまるの楽曲に「マンボこうせい様」というのがある。この曲は鍬ヶ崎日影町にある金勢社という神社をモデルに、鍬ヶ崎上町付近に昭和時代まで普通に賑わっていた花街をテーマに。売られて買われる遊女をテーマにした歌詞が特徴だ。曲はうにまる時代よりさらに昔の僕が30代前半に友人と組んでいた「潮吹き温泉BAND」というグループ時代に書いたもので歌詞は僕、曲調は当時一緒に活動していた高橋政彦くんが担当したものだ。グループとしてこの曲を人前で演奏したのは1回のみで、その後はお蔵入りになっていたものを、うにまるをやるようになって再アレンジして演奏したものだ。当初はうにまるも大きな音を出すバンド編成だったから「マンボこうせい様」も結構難しい制約があって演奏は難しかったが、近年はうにまるの演奏活動もアコギ2本のみだから、意外と自由に唄って演奏するパターンとなっている。後半は有名な「港のヨーコ」をもじった宮古弁のおばあさん探しのセリフで進むストーリーで聴く人たちを笑わせながらの語りと演奏になる。そんな持ち歌があることにも関連して、その歌を実際の金勢神社のお祭りに演奏して奉納するべぇ、というノリで、当神社の例大祭を運営する日影町町内会に企画書を提出して許可をいただいた。そんなこんなで6月の第2土曜日7時から金勢神社御宮内でうにまるのライブステージが行われ、約20人ほどの観客の前での演奏となった。しかもこれも何かのお導きだったのか、この神社の代表を務めていた方は、僕が子ども時代に藤原のお婆さんに面倒をみてもらっていた家の隣の家にいた家族の親戚だった人で、僕のこども時代のことをしっかり知っている方だった。おかげで藤原に一緒に遊んでいたお隣さんの兄妹の消息も聞かされた。世の中やはり意外と狭いなと思った。

昔に比べて男根はかなり少なくなりました
足にマジックで書いてみました