はづきルーペ

ミシンを踏んで何か縫うのは楽しいが、正確な縫い目が欲しいときや、糸をミシン針に通すとき、老眼鏡と虫眼鏡では到底無理だし、何より片手が塞がるから、糸を通すだけで時間がかかり、縫おうというテンションが下がる。そこで、先日修理・調整してもらった同級生のミシン屋で取り扱っているはづきルーペを注文。これなら、両手使えるし老眼鏡の上からでも装着可能だ。朝、出勤前のちょっとした時間にはづきルーペをかけて縫ってみたら、まーよく見えること。三つ折りにした布のかなり外側もちゃんと見えて、ちゃんと縫える。老眼の強い味方。あとは、手元を照らす照明が欲しいところです。

早速ミシンで使用
つるは赤色を選択
はづきルーペが届いた

ズサタンヘルメット完成

ズサタンは爺様探検隊の略称、そのヘルメットに爺様探検隊と描いても何ら面白くもないので、この際、70年代安保闘争などで使われた革マル派や中革派、中ピ連などのヘルメットの図案を参考に、全爺闘(闘は略字)にした。その名も「全国爺様闘争連合(架空団体)」の略だ。全学連がデモを繰り広げていた時代、僕は小学3年~5年ぐらいだった。白黒テレビに映るデモ隊と警官隊の衝突を見て、この人たちは何をやってるのだろう?と思った。中学に入った頃はそんな学生運動も下火になり、過激な思想家は地下に潜行した。世間はやる気のない若者が増え、無気力、無関心、無責任の三無主義に無感動を加えた四無主義が横行し、シラケムードこそが美徳だった。そんな時代に思春期だった僕は革命の終結や祭の終わりに必ずくるそんな雰囲気だけを賛美し無気力を装っていた。担任の30代の教師には「お前の考えはいつも上滑りだ」と叱られたが、その時代、その意味がわからなかった。革命や闘争もせず、血も流さないで、あたかも傷ついた戦士をきどっているように見えたのだろう、今になって思う、勉強だけがすべてではないと思いつつも、とただ単に受験に対して腰が引けていたのだ。そんな、半端な僕も、すでに中年の爺様になり、ズサタンの思想のもと、秘境探検に精をだしている。そんな、ズサタン活動の中で、意外とターゲットになるのが岩屋とか鍾乳洞だ。このようなフィールドを散策するための必需品がヘルメットだ。とはいえ、ただの白いヘルメットじゃつまらないわけで、少年時代にみた学生運動時代のデザインをフューチャーしたヘルメットを制作した。全爺闘のロゴは当時の書体を真似、イラストのだよーん、バカボンパパ、丹下段平などはその時代に学生等に支持されていた少年マンガのキャラクターだ。

バカボンパパ
丹下段平の絶叫
ずさたん、だよーん
ずさたん・ハレハレ軍団
だよーんで武装

足踏みミシンな日々

多趣味な私の趣味の中に、新たにソーイングが加わりました。つーか、前からミシンには興味があって、できたら、ダメージジーンズなんか、自分で作りたいって思っていました。実家を探索したらミシンは見つかったのですが、それは昔のミシンではなく、ちゃちな電動ミシンでした。しかも部品が欠品。そんなわけで、足踏み式のまともなミシンが欲しいなと思っていました。しかも、どうせ入手するなら70年代のおしゃれな格納式足踏みミシンではなく、無骨な50年代のミシンがいいなと思っていました。その昔、初期のジャンプに連載した『ど根性ガエル』の主人公のヒロシの家のかーちゃんがいつも踏んでいたミシンのような、そんなイメージのものが欲しかったのでした。そしたら、なんと、いつも顔を出すいつものリサイクルショップに昭和20年代のギョウダミシンが入りました。即、欲しい旨を告げたのですが、ショップも高値で売りたいらしく、一端、手付けはキャンセルとなったのですが、価格が折り合わず、結局言い値で即金売却となりました。しかし、家に持ち帰ったのはいいのですが、いまいちミシンの調子がよくない。欠品確認や調整を兼ねて、高校時代の同級生のミシン屋を呼んで調整してもらいました。その結果、ベルトを交換し、家庭用の針でタイミングが合わなかったことが判明し針を工業用に交換など、様々な調整を施し、ミシンが復帰しました。はっきり言って、ミシンはハマります。こんごは穴が空いてしまったジーンズやカーゴパンツ、チノパンツを修繕し楽しみたいと思っています。めざせ、ソーイングおやじです。

部屋に足踏みミシンが仲間入り
何となくミシン掛けに挑戦
行田工業用ミシン、シブい!
ミシン屋を呼んで調整してもらう
ロゴはMEET。肉かよ。

震災追悼ライブ

今年の3.11は震災から七年目ということで七回忌だという。追悼の節目だということで、報道陣の入れ込みようも凄いもので被災地各地に記者やレポーターを配置して大々的に取材攻勢をかけたようだ。政治家先生など偉いさんも被災地を訪問するとかで警備のヘリコプターも飛び回る。自分とすれば従兄弟が本町と金浜で流され亡くなったこともあり、毎年3.11は常安寺の震災慰霊碑に献花して黙祷するのだが、今回はなんだか、大勢の人がいてびっくりした。地震発生時の午後二時四十六分にサイレンが鳴り、寺の梵鐘が打たれる。皆合掌して黙祷する。「相変わらず自分は小ずるく生きております…」と心につぶやく。小雪がちらつく空模様は、震災があったあの日のようだった。
寺詣りのあと、友人知人の墓所をめぐりご挨拶。その後は、異人館で、かってに鎮魂ライブを挙行。津波後に発表した「約束の日」「Foreverみやこまち」などをうたった。お客は盛岡からの常連さん、市内の親子の四人。2ステージの予定でしたが、お客が帰ったところで撤収。スーパーで夕食の食材を買っていつもの週末となりました。

今年も常安寺で慰霊
今年は震災から七回忌とあって人も多かった
異人館で勝手に震災追悼ライブ
たまにはおしゃれして弾きます
異人館店内でライブ