「爺さま探検隊が行く」カテゴリーアーカイブ

強風吹きすさぶ安家森と鹿糠平

奥が遠別岳、手前が安家森
今回のログ

ズサタンは安家川と馬淵川の源流となる安家森へ。前日、日本海にあった寒冷前線通過の速度がことのほか遅く、太平洋側に雨が降ったのは翌朝になってからだった。雨はさほど強くはなく午後から晴れ間が覗くという天気予報だったので、小雨の中、葛巻の袖山高原を目指して340号線を北上。昼過ぎに袖山高原・俳句の丘駐車場に到着。しかし天気はまずまずであったが寒冷前線に向かって吹き込む強い西風。平地でも最大で20mは吹くと予想されていたから標高1000m超の遮蔽物のない牧野は尋常ではない風だ。車のドアなどバキッともっていかれそうな勢いで、大げさだが足元がもたつくほどだから瞬間には30mほど吹いたかもしれない。そんな風のなか標高1281mの安家森へ向かった。空を流れる雲の速いこと速いこと。天気はころころ変わり小雨が叩きつけたり虹がでたり。それでも牛を再放牧することで野芝を復活させたという「鹿糠平」の草原の海を渡り無事帰還、帰路は安家川沿いの大坂本地区へ出て、安家から龍泉洞を経て三陸道へ。大坂本では相当にレアな廃車を見つけて撮影、数か月分の連載の元をいただいてラッキーだった。

安家黒森山の牧野から岩手山を望む

1000mを超す牧野で牛がゆったり草をはんでいる
今回のログ

ズサタンは岩泉町北東部に聳える折壁岳(1076)に向かった。聳えるといっても折壁岳は尖っているわけではなく、のっぺりした尾根が膨らんだピークで、頂上は全体的にブナとダケカンバの森だ。そのため頂上からの眺望はまったくなく、単に三角点を探しに行くような感じの登山になる。ただ、折壁岳の南東に聳える安家黒森山(1196)との尾根は標高1000mほどの準平原が連なっていて、そこが南北に開墾され牧野になっているためそこから西側は180度のパノラマで北上山地が一望できる。まずは海側に月山、十二神、霞露ヶ岳の海側の山、そして堺ノ神山の尖りの向こうに早池峰、そして中央に姫神山と岩手山、右には安家森、葛巻町の風車群、と穴目ヶ岳が聳える。ま、実際には向かった折壁岳はかつて牧野だったらしく廃牧野はササが生い茂ってササのプールを泳ぎまくった。そして牧野ではでかい牛がちかくまで寄ってきて威嚇されビビった。

深山の滝、山姥の水浴び

標高910mのツボケ沢のよどみにて
8mほどの滝で。腰巻は仕込みです。ほぼ後姿は女、まさに山姥の水浴びを演出

真夏日が連続していた8月に向かった御山川の最深部でありいくつもの青線が集まった源流のツボケ沢にある両門の滝に向かい、撮影後長靴が水没し腰まで浸かって全裸で滝の淵を撮影、その後に滝の下でノバで泳いだわけだが、その時は急遽だったので単に泳ぐだけで終わり面白くもないというので、今回は色々と仕込んで再びツボケ沢の滝に向かった。今回は前回向かった両門の滝よりさらに上流にあるツボケの滝に向かった。この滝こそが国土地理院の地図に滝マークで表記される滝であり、落ち口が二つある両門の滝は地図表記にはなっていないのだ。滝があるのは標高約930m付近だから両門の滝より100mほど標高が高い。とは言え位置的には両門の滝からたった200mほど上流で完全に濡れる覚悟の沢登りの装備ならさほど時間もかからない。しかし、沢を巻いて森を行くとなると沢の流れの100m標高を上げるのは難しい。なんせルートとなる道がないのだ。しかもツボケ沢は滝が多い大岩地帯だから上り下りはたやすくはない。最初はしばらく沢沿いに森を歩いていたのだが、その沢はツボケ沢ではなく両門の滝の上でツボケ沢に合流する無名の青線だとわかった。両門の滝は流れの上に分岐があって上流に向かって右手の斜面を巻かなければ本流から離れてしまうのだ。この事実に気づいて途中から無名の沢を渡って尾根越でツボケ沢本流に到達、ヒノキの倒木が重なった急傾斜のガレ場を降りてやっと目標とした地理院にマークがあるツボケ沢の滝に到達した。滝は深成岩の大岩を流れ落ちる約5mほどの直瀑だった。この滝からさらに150mほど登った付近に25mほどの岩場を流れるツボケ沢幻の滝があるというが、両岸はほぼ崖になるからそれこそ沢登りの装備がないと向かえない。60過ぎのズサマにとってこれ以上の遡上は無理とみて、今回はここに到達したことで良しとした。撮影後、ランチを食って。記念に今回は髪をといで腰巻をつけ水に入り深山の滝つぼで水浴びをする時代劇コスプレを撮影、ついでにひと泳ぎ。

納涼、ノバでひと泳ぎ

腰まで入って撮影
標高850mの淵でシンクロナイズド

早池峰山(1917)から西に連なる峰に鶏頭山(1444)がある。鶏頭山は市町村境界の山で西は盛岡市、南は花巻市、北東が宮古市なる。その宮古市側の北東斜面の標高1100mあたりが水源になっているのが御山川だ。そしてこの川源流部がツボケ沢でこの沢に滝の表記がある。その滝はめったに人が訪れない秘境滝で行くには家や車ほどもある岩が転がった沢を登るか、遠回りだが相当に高巻きしてGPSを使って狙うしかない。そんなわけで、今回は秘境滝までのお膳立てとしてツボケ沢にある「両門の滝」という落ち口が二つある滝に行ってみた。林道から歩いて藪漕ぎして約1キロほどなのだが、そう簡単には姿を見せてくれない。しかも撮影時に長靴に水が入ってしまい濡れてしまった。こうなるともう、ヤケだ、服を脱いで滝壺下まで行って撮影した。もち、ノーパン、フリチン。ついでに滝の下にある大きめの淵でひと泳ぎ。これぞ納涼・滝めぐり、標高850mの渓谷は爽快感フルスロットル。そうそう「ノバ」とは野放しのこと。フンドシを締めず自由にさせるという宮古弁です。

漂着したカルイシを拾う

拾った軽石は銭湯アイテムとして利用

先日、ズサタンの取材で青森県の種差海岸を含む潮風トレイルのコースを歩いた。その際に約2キロほどの海岸線が続く大須賀海岸を歩いた。この海岸は人工物がない砂浜で映画のロケなどに使われるらしい。海岸の南側の付け根は漁港と白浜海水浴場になっていて、海水浴客が楽しんでいた。浜を分断する沢が流れていてその先の北側が大須賀海岸で遊泳禁止らしい。遠浅の海岸はいい波が寄せるのでサーフィンのポイントになっているようだ。そんな海岸をビーチコーミングしながら歩いてタコノマクラやスカシパンを拾ったが、そんな収穫に軽石があった。もしかして昨年に噴火して大量の軽石被害を出した小笠原の海底火山の軽石なの?つうより、あの漁船のエンジンを焼き付けさせるという軽石はどこへ行ったんだろう。きっと世界中の海に広がって最終的には粉砕されて沈んだり、こうして一部は海岸に打ち上げられたんだなぁなどと思った。こりゃ、何かの縁だ、拾って帰ってその日の銭湯へ持参、かかとをこする風呂用に使うことにした。

南部潜り

民俗資料館の南部潜り顔出し看板

先日の種差海岸潮風トレイルの追加ネタとして、洋野町の民俗資料館に寄った。洋野町は平成18年1月1日に九戸郡種市町、大野村が新設合併し発足した新しい行政区だ。県北久慈市に隣接しているが青森県の八戸都市圏に属していることから、八戸市との将来的な越境合併も視野に入れているらしい。実際、すでに岩手県というイメージは希薄で、なんだか青森県の延長という感じがする。歴史的にも世継ぎを残さず没した南部藩主に対するペナルティーによって幕府が分割して新たに新設した八戸南部であり、これが明治維新後廃藩置県で青森県に取り込まれている。かつての南部藩の領地は恐山にいたる下北半島を含んでいたが、江戸中期の八戸南部藩の新設、明治維新の伊達藩寄りの佐幕思想政策が裏目に出て維新後に北側の領地を失っている。とは言え、藩境、県境の市町村は越境しても大都市圏との共存を求めるのは当然だろう。種市には南部潜りという特殊な潜水土木に関する技術が伝承されている。詳しい詳細はパンフレットに記載されるが、種市高校にその専門科があってそこを卒業すると潜水夫として特殊な仕事に就けるという。資料館にはそんな南部潜りの資料と、幕末に大量に鋳造されたらしい「鐚銭(びたせん)」などが大量に展示されていた。そんな資料館入り口の潜水夫顔出し看板で記念写真を撮った。

国土地理院地図が間違っている

千丈ヶ滝の数十m下流でランチタイム

ズサタンは釜石の両石地区を流れる水海川の最深部にあるという、千丈ヶ滝へ。まずは、地図にも大きく出ているし楽勝だろうとナメて挑戦。水海川の門番・一ノ滝をかわす術もなく道に迷って見当違いの尾根を登ってしまい体力を使い果たす。その理由はなぜかその日、スマホアプリ、ナショナルジオグラフィカの調子がいまいちで、GPSの電波を受信できなかった。電波受信ができないということは目的地も現在地も表示できないという状況なわけで、しかたなく以前は頼りにしていたが最近二軍にまわっている登山用GPSツールガーミンを使用したが、ガーミンの地図は英語版を翻訳した地図で、目的の滝は地図に表記されていない。けっきょくはろくにGPSを使えない状態で大敗となった。翌週はスマホアプリの設定でGPS受信値を最大にして再トライ、水海川南面から斜面をつたって千丈ヶ滝に到達。そしてわかったことは国土地理院地図に表記されている水海川の千丈ヶ滝の位置は実際の滝より350m上流であり、滝マークの記号表記が間違っているということ。過去には滝までの道も整備されていたようだが、台風などの増水で道は流され現在、滝に至るルートはない。完全に秘境滝のレベルで、しかも地図表記が間違っている。高度400ほどの森で350mの誤差は大きい。今後水海川最深部・千丈ヶ滝を狙う人がいたら要注意だ。

赤穴でドローンを飛ばす

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桃ノ木洞に同行した小林君はドローンの操縦もかなり上手だ。今回も年々上空や年々大滝などの空撮をお願いしたが、帰路、まだ電池があるというので岩泉町の「かけ山」付近の石灰半断崖にある「赤穴」の撮影を依頼した。赤穴は縄文人の痕跡が残る岩棚や岩庇的洞穴だ。女神橋付近から見ると石灰岩露岩が赤く酸化した状態で見えこの色が赤穴の由来にもなっている。この穴へは崖をつたう相当な装備がないと行けないし、現地まではかなりの迂回も必要だ。その点、ドローンなら真下から垂直に120mも上がれば穴の全容が見えてくる。その画像から見れば赤穴の深さはさほどでもなく、せいぜい10m前後で、相当に崩落が進んでいるようだ。穴は隣り合って二個存在するが、どちらかの穴には江戸時代に岩泉の鉄山代官所に詰めたと思われる役人が登っており、その役人の墨書きによる落書きが存在するのだという。ま、それを確かめようにも赤穴の難易度はズサタンのレベルでは到達は不可能だ。それほど岩泉町の石灰岩断崖は凄すぎるのである。

ズサタン3連チャン

8月は何かと立て込むので、7月のうちに来月分までやっつけてしまおうというので、ズサタンは3連チャンとなった。まずは岩泉の奥・神滝。翌週に里の神滝とその上流部にあるゴルジェ。そしてま翌週には、バイク2台をアクアに積んで、気仙の大島まで足を伸ばし、島をサイクリングした。世間はオリンピックとコロナの感染拡大で大騒ぎだが、ズサマらはマイペース。しっかり両腕日焼けしました。

2019ズサタン総決算

ズサタン(爺様探検隊の略) は、歩けるうちに行くべき所は見ておこうという、老齢間近自家脅迫的症候群における晩年トレッキングである。そんな本年度のズサタンも12月初旬の小国大梵天舘クマの糞場おののきトレッキングで幕を閉じたわけだが、思い起こせば今年もあれやこれやと歩き回った。そんな今年のズサタンを年末を期にトピックで振り返ってみよう。

内間木洞の氷筍
問題のコロッケ屋台
ズサマ湯に浸かる
冷たい水で腹をこわす
この後、腹が下る
全面雪道を行く

まずは手始めに久慈市へ遠征しての内間木洞の地下水の滴りでこの時期だけ発生する氷筍の見学ツアーだ。内間木洞は普段は入洞禁止なのだが、この時期と夏の内間木祭りの時だけ一般公開される。そのため前年暮れから取材を申し込み2月の厳冬期、安家から旧山形村に抜ける大月峠を経て山形地区まで雪道を遠征した。無事取材を終えて極寒の地で冷えた身体をべっぴんの湯で温めたまではよかったが、海沿いを帰路に途中立ち寄った黒崎で内間木の会場で売られていたコロッケの油にやられて腹痛発生、周辺のトイレは冬期間使用中止で三鉄田野畑駅で無事、用をたし安堵。あぶなく野外で氷筍ではく便筍を造るところだった。

赤平金剛
霞露丸から撮影する
緑色花崗岩の岩塊
多々羅山の三角点
対岸の牛ころばし峠にて
田鎖船長

次いで船越半島多田羅山を攻略。船越半島は暮れにエフビーの田鎖氏が所有する釣り船に乗せてもらい海側から堪能しており、今回は以前の秀全和尚の大網観音の探索に引き続き半島の南を攻めたもの。戦時中に掘ったという抗道があるという話だったが発見できず、しかも頂上付近でいとも簡単に迷ってしまった。

3個の花でフリンソウ
鬼米内大滝

翌月は釜石の尾崎半島をトレッキング。数年前の山火事の惨状が残ったままだった。そして、定休日の単独行で、ズサマ相方は鬼米内沢でGPSガーミンを落とすという事件発生。翌週、再び鬼米内沢に入りくまなく探すも見つからず。野生動物が咥えてどっかへ持って行ったかも?と言うが、山菜採りが拾ってそのままゲットというのが濃厚だ。落とし物として警察に申請はしたが、未だ連絡はない。

ツタウルシを除けながら
狭窄部は腹這いで通過

夏前は豊間根荒川上流部のトハナ鍾乳洞を攻略。これは地元の猟師・芳賀氏の道案内によるもの。穴は二度の接触編のうち一番最初に探索した岩盤の中腹にあった。これでは今までの鍾乳洞の概念では見つかりっこない。内部はクマの越冬場所であった。

初夏は一ツ石山の廃墟展望台と猿屋裏湿原を散策。廃墟の窓から見る早池峰山は格別だった。山ばかりなので、6月に八戸から福島まで全線開通したという三陸ジオパークの潮風ロードのうち樫内から田老へ至る遊歩道を歩いてみた。ここで野生のサンショウをを収穫。

賢治も来た七折ノ滝
大仁田のかぐら堂と椹
晩秋の大仁田牧野
落差80mはありそう
日暮れも近い白滝にて
笛貫ノ滝は伏流水

秋には早池峰山小田越峠から大迫に至る途中のある笛吹きの滝、七折れの滝という変わった滝をトレッキング。帰りは紫波町を回りブドウを買って帰還。晩秋は以前から地図の表記で気になっていたmwずらしい廃道の峠、躑躅峠をトレッキング。山神の石碑があるという情報であったが石碑は発見できなかった。

11月にはほとんど落葉したサクドガ森の北にあるという、医者待ち沢の白滝を探しに、道無き沢をひたすら歩き日の暮れ近くに標高1000mを越す露岩岩盤を流れる80mはあろうかという白滝を発見。この滝は地元の猟師以外、近年誰も訪ねておらず発見は困難を極めた。情報を集めて夏にも接触編として周辺を探索しており、滝の発見の喜びはひとしおだった。

腹を下し、ガーミンを紛失し、脚の筋肉の衰えで沢で転び痣を作り、翌々日の筋肉痛のしかめ面で仕事に追われるのだが、ズサマはまだ懲りていない。来年もやれる範囲でズサタン(爺様探検隊の略)がんばるつもりです。