バイクの乗り出しって毎年トラブル

6年目のバッテリー交換
泥が跳ねる
アクセルワイヤ断線
キャブ側が断線
品番をメモっておいた
室井ヶ沢砂防ダム

まだ風は冷たいが、太陽はすでに春めいていて裏の山ではウグイスらしき野鳥の囀りもここえる。そんなわけで今年もそろそろバイクの季節だ。とは言え、クラブマンの自賠責は1月で切れたまま更新していないままだ。なにしろ今年の寒さは尋常でなかったため例年通り防寒して寒風のツーリングなどそんなことできるはずもない状態だったこともあり、乗らないバイクの自賠責更新などするわけないのであった。自賠責更新はFTR223も今年なのだが、こちらは6月なので、そんじゃま、久々にエンジンかけるか…と、セルを押したがなんか変。セルのリレーがブルブル振るえて異音がする。毎年春の乗り出しってトラブルが発生するのだが、ああこれって、バッテリーあがり?それともセルリレー故障?それともセルモーター本体の故障?などと頭を巡らしたが、基本のバッテリーを調べるにもブースターケーブルなど持ってないわけで、その日はFTRの始動を諦め、後日、知り合いから借りてきたブースターケーブルで愛車WiLLとつないで、再びセルを回したら、簡単に始動。なんだよ、バッテリーか。相変わらず要らぬ心配をしてしまった。原因がわかったのでバッテリーを注文。考えてみれば、このバイク組み立てて6年目だ。バッテリーも弱って当然なのである。またまた、後日、購入履歴が残っていたアマゾン経由で届いたバッテリーをFTRに接続しこちらは復活。
クラブマンの方はFTRに不具合があった日に、ついでにエンジンかけておこうと思ってアクセルを開けたところ、なんかきつくて変だなと思っていたが、急に軽くなった。あれ、ワイヤー外れた?そんな感じだったが、クラブマンのキャブのアクセルワイヤが掛かったタイコはパワフィルがじゃまで見えない。仕方ない後で調べようと放置していたわけだが、本日はその原因を探るためアクセル部分をバラしてタンクとシートを外し原因を探ったところ、なんと、ワイヤーが切れていた。ああ、キャブのオーバーホールを依頼した時に、ワイヤーに注油するべきだった。しかも自己流の引き戻し調整がきつかったもんな、すぐに直しておくのだった…と反省。その日に初期型クラブマンのアクセルワイヤー中古をヤフオクで発見、佐賀県の業者から落札した。
その日は復活したFTRで近所を周り、今回は手始めに岩船山から千徳室井ヶ沢に降りる林道を一回り。このコースは自分が中学校時代にクラブ活動で走らされたコース。中間の砂防ダムと峠の一本松が目印だった。懐かしくて一本松を探したがすでにその大木はなくなっていた。今から44年前にこの道をマラソンしていた自分がこんな大人になるなんて想像もしていなかったな。中間の砂防ダムで記念写真を撮った。

ズサタン、再び、猿沢の穴へ

エイリアンの牙
ワイヤ発見先達あり
クレバスを行く
探検の雰囲気
フキノトウを収穫
木偶人形と記念撮影

昨年の暮れに訪れた、猿沢外山大穴、俗に言う畑の大穴へ再度トライしました。去年は鍾乳洞入口の池をクリアするのに手間取り洞窟入口から10mほど進入したクレバスで引き返したのですが、今回はロープなどを装備しズサタン史上でも万全のレベルで向かいました。まずは前回と同じに下加倉の外山爺さんの声をかけて車を置かせてもらい装備を整え相沢支流の林道沿いの沢を登る。前回は積雪だったが今回は小春日和で野鳥の囀りなど聞きながら目的の大穴に到着。まずは入口池を渡るための橋となる倒木をノコギリで切断し運ぶ。当初からある腐った丸太橋に三本の倒木を乗せて橋の強度を上げた。その後、一端、洞窟前で早めの昼食をとり、ヘルメットのライトなどを付けたりして洞窟へ進入した。そしてまずは難関のクレバスへ。当初、このクレバスを降りて下部の池の脇にあると思われる支洞へと入るつもりだったが、なんと支洞はクレバスの上部にあった。そのためロープは万が一のための命綱として腰に巻いて、一人がクレバス手前に残ることになった。クレバスは奥に進むにつれ右側に約曲がっており支洞はその先だ。足場がなく両手と身体で壁に突っ張るような形で洞内を進む。しかし、眼をこらすと僅かな凹みや出っ張りがあって、そこが磨かれたようになっている。これが多くの先人がつけた足場の跡なのだ。それを頼りになんとか10mほどの難所クレバスを突破した。命綱を外したことを相方に伝え、そこからは入り組んだ鍾乳洞が続いて支洞へと向かった。ヘルメットの明かりに照らされた鍾乳洞は複雑に迷路となって続いている。気温は意外と低く天井から垂れる雫でコウモリの糞でできたグアノは泥状になっている。しばらく行くと先人の探検隊が『エイリアンの牙』と命名したカマキリのたまご状の鍾乳石の塊を発見。ここからさらに登ったり下ったりして支洞の交差点に到達。支洞の闇はまだその奥がある気配が漂っていたが、このあたりが一人で活動する限界であろうと諦め引き返すことにした。いつもなら二人で行動するため細かい所にも眼が行くのだが、一人でこのような洞窟を彷徨っていると、方向感覚に不安が起こり、ついつい細部を見落としてしまう。それでもデジカメの画面を確認しながらある程度の写真を撮って再びクレバスへ。ここで再び命綱を腰に巻き、両壁に突っ張ってなんとか足場を確保しながら戻ったのだった。ズサタン相方はもう来る事はないだろうと言っていたが、その最深部を確かめるため、いつの日か再挑戦したいと思うのだった。

異人館で弾き語りとトークライブ

満員御礼でした
カウンター前で絶唱
異人館で歌うのは二度目
3.11慰霊。常安寺
寅次郎を拝む
沢口さんを拝む

震災から今年で7年が過ぎた。これが長いのか、短いのか、まだその痛みは心の中に疼痛を残したままだ。とは言え、これまで言えなかった震災の裏ネタというか、報道では表に出てこないリアルな話もあるので、今回は3.11の震災があった日に、異人館マスターと鎮魂をかねて弾き語りとトークライブをやろうということになった。歌の方は昨年も、突然震災ライブと銘打ち異人館で行っているので慣れたもの。いつもの調子で5曲ほど演奏。ラストはお約束の震災を歌ったオリジナル曲『約束の日』。演奏が終わってマイクを二本使って自分が半ば進行役になって、あの日の裏ばなし、震災後の裏ばなしを披露した。集まってくれたのは市内から10名ほどと、県外の方、復興応援にきてくれている人たちなど、計20名。異人館は大入り満員札止めとなった。イベントを終えてその足で、打ち上げ。磯鶏の「福留」という寿司屋で刺身と純米酒でズサマ二人で盛り上がりました。

ズサタンは三陸町越喜来首崎へ

震災資料館・潮目
首崎灯台へ向かう
岬の剣ヶ峰だ
灯台で記念写真
烏頭ノ滝は渇水
廃虚散策

馬鹿と煙はなんとやら…という例えもありますが、ズサタンはやたら尖った先が好みのようで、今回はいきなり南下して釜石を通過、三陸町越喜来の首崎の突端を目指しました。前日はまさかの降雪で、探索を諦めロケハンに変更するというテンション低下もあったのですが、南に下ると積雪量も若干少なく、これならいけそうという雰囲気でした。それでもロケハンベースなので、越喜来で津波にもまれ水没したにもかかわらず生き続けるという、ど根性ポプラ、三陸町を代表する樹木、三陸大王杉などを取材、次いで、三陸町越喜来の震災資料館でもある手作り感満載の潮目を見学。この施設は津波の瓦礫を集めて感情の趣くまま無計画に作られた建物で、ちょっとしたアート感覚もあり、同じ震災被害者でありながら、その発想と心意気に感心してしまった。潮目を後にして、首崎を東に進み、崎浜集落手前から、半島北側の烏頭(うどう)集落へ向かう。ここには北里大学の海洋科学関係の施設があり、道路も整備されている。ここからその先の小壁漁港へ向かい、この分岐から首崎灯台へ向かった。泥濘の未舗装路約7㎞を慎重に走り昼前に灯台への分岐に到達。ここから歩きで岬の先端をめざした。三陸海岸屈指の絶景と言われる首崎は南北に剣ヶ峰のような断崖で先端に白いタイル張りの灯台が建っている。この日は天候に恵まれたから良かったが、強風時はとてつもない環境であろうと思われた。ロケハンのつもりが、本格散策となり、しかも南北の海に各岬を目視してこの絶景を堪能した。帰りは、海に直接落ちるというふれこみの、烏頭ノ滝を見に行ったが、こちらは渇水時で迫力不足だった。45号線の廃ドライブインや鹿供養の石碑などを撮影しながら、夕刻、無事に帰還し、夜はレストランで部活のようなシゴキで10時過ぎに帰宅。風呂で疲れを癒したら12時を回っていた。

懐かしいピンクチラシ

交通費込み
素人、日本人がウリ
ハズレなしって?
日本人専門店
10代専門ってね
裏は白紙が多い

最近、ヤフオクのウオッチリストの傾向が変わった。生活に必要な実用品の格安中古品と嗜好品はやたらくだらないものに触手が伸びる。以前は日本の陶磁器のカテゴリーから外れるものなどほとんど買わなかったのに、最近はやたら紙ものが多くなった。古いマンガや雑誌、そして今回のような印刷物だ。今回落札したのは、80年代末から90年代にかけて大量に出回った、手札というか名刺というか、小さなピンクチラシだ。これらは当時、屋外掲示などの規制が緩かったのに乗じて、公衆電話ボックスや駅の待合室、トイレなど、ありとあらゆる空間に貼られた、エロ勧誘チラシだ。ほとんど庶民が携帯電話を持たなかった時代、都会の電話ボックスのガラスの4面はすべて、これらエロチラシに占拠されていた。また、仕事で仙台あたりまで出て、ホテルに泊まると、いつのまにやら自分の部屋の入口ドア下にこれらチラシが何枚も置かれていて、ついつい手に取って見たりしたものだ。まっ、思い余って、だめもとでホテルから電話したりもしたもんだ。噂では盛岡あたりでも、その時代、このテの商売が繁盛していたらしく、映画館通りのオシャレな某ホテルなどは、かなり利用されたようだ。今回はそんな時代、見て棄てられたであろうこれらチラシ約80がセットになって出品されていたので、昭和から平成の個人的資料として落札したのでした。チラシの電話番号のほとんどが03だから東京都内のチラシであろう。

レコード仕切り板

EPレコード仕切り板
木の実ナナ
ブルーコメッツ

くだらない物を落札する楽しみは、あまりにもくだらなくて値が素のまま落札できてしまうことだ。100円出品が100円で買える。送料は定形外とかエクスパックライトならせいぜい350円前後でオッケーだ。500円以下で昭和が漂う品が手に入るならこれもまた楽しい。以前、自分がバブルで後先が見えなかった時代はマルサンの怪獣ソフビなどに入れ込んで100万オーバーの買い物をしたのだが、今はそんな熱も冷め、ひたすらくだらない物を買い漁っている。そんな中で今回はレコード店で使われた歌手別レコード分別板だ。レコード全盛時代、都会ならともかく地方では発売されているレコード会社各社の歌手のレコードを在庫するわけでなく、お店の好みやヒット情況において入荷したのだが、中には鳴り物入りでレコード会社が推す新人歌手のレコードなどは、販促品として目立つよう歌手名がプリントされたレコー板があった。田舎の店舗では目だってなんぼだから、このアイテムは有効だ。一発、ヒットが出ればその名は大衆の記憶に残るのだが、そこへ辿りつくまでが大変だ。歌唱力だけではなくタレンティットな特徴や容姿が必要なのだ。今回の木の実ナナはアメリカの有名男性雑誌・PLAYBOYのマークを使っている。PLAYBOYが日本においてレコードをプレスするわけなどなく、木の実ナナのお色気を雑誌PLAYBOYとリンクさせて売り込む戦略だ。それに比べジャッキー吉川とブルーコメッツはシンプル。しかし、彼らには70年代の大ヒット曲・ブルーシャトーがあるから、仕切り板はシンプルでもブルー(青)ならオッケーなのだ。

改造ベース再び

ソリ調整
ブリッジ調整
交換部品
これでチェック
久々に接続
弦交換

数年前、MTRの宅録においてベースが必要となってヤフオクでベースを購入したが、これがまたひどいもので、なんとネックの反りを直すボルトがねじ切れていた。このため、ネックのみを再びヤフオクで買って装着。ついでにブリッジなども交換したのだが、その時誤ってボリュームネジの付け根を壊してしまった。すかさず、サウンドハウスで部品を購入しついでにザリが出るプラグジャックのメスも購入した…。まではよかったが、それっきり熱が冷め部品交換もしないままになっていた。そんな折り、ギター関係のハンダ配線やその道に関しては詳しい友人に合い、修理を依頼したら快く請け負っていただき、久々にベースが復活した。修理後、再び弦高を好みに調整して弾いてみたら、うん、ま、いいんじゃない。日曜などは朝からアンプにつないで音を出しています。ちなみに平日は夜しか鳴らせないから、VOXのアンプラグベース用を使ってヘッドフォンでならしてます。ただ、ベースはいいのですが年寄には古いヤマハのプレベは重く、腰の筋が凝ります。

ブーブーねえちゃん

修理完了
風呂で洗って分解掃除
見ないで

顔なじみの中古屋に顔を出したら、何やら自分好みの人形を発見。ヌードの女性が切株に腰掛けるポーズで、素材がソフビだ。手に取ってみたら陰部に笛が仕込んである。これは押すと音が出るブーブー人形ではないか。さっそく押したが、無音。聞けばもの凄い汚れで放置されたままになっていたものらしく、洗ったが音が出ないという。音が出なければただの裸の人形だから何の意味もない。で、幾らなの?と問うたら洗い賃の500円でいいという。よし買った。その場でストーブで温めて陰部の笛を外し吹いてみたが、やはりだめ。その夜は、ブーブー人形をもって入浴をしてしばらく人形や笛をお湯に浸けて洗浄し、再び笛を吹くとほこりの塊が取れた。乾かして人形に笛をセット、足部分は洗浄のため糊を剥がしたため空気が漏れるけれど、そこを押さえて人形のオシリを握ると「ブーブー」と音が出る。うん、これならいい。エッチな意匠の人形やおもちゃは昭和の香りがして悪気がない。その点、象牙のエロ根付けや、中国の交合人形は悪意というか、エロ過ぎてげんなりする。エロもさわやかに人の笑いをそそる程度が丁度いい。