ズサタン(爺様探検隊の略) は、歩けるうちに行くべき所は見ておこうという、老齢間近自家脅迫的症候群における晩年トレッキングである。そんな本年度のズサタンも12月初旬の小国大梵天舘クマの糞場おののきトレッキングで幕を閉じたわけだが、思い起こせば今年もあれやこれやと歩き回った。そんな今年のズサタンを年末を期にトピックで振り返ってみよう。
まずは手始めに久慈市へ遠征しての内間木洞の地下水の滴りでこの時期だけ発生する氷筍の見学ツアーだ。内間木洞は普段は入洞禁止なのだが、この時期と夏の内間木祭りの時だけ一般公開される。そのため前年暮れから取材を申し込み2月の厳冬期、安家から旧山形村に抜ける大月峠を経て山形地区まで雪道を遠征した。無事取材を終えて極寒の地で冷えた身体をべっぴんの湯で温めたまではよかったが、海沿いを帰路に途中立ち寄った黒崎で内間木の会場で売られていたコロッケの油にやられて腹痛発生、周辺のトイレは冬期間使用中止で三鉄田野畑駅で無事、用をたし安堵。あぶなく野外で氷筍ではく便筍を造るところだった。
次いで船越半島多田羅山を攻略。船越半島は暮れにエフビーの田鎖氏が所有する釣り船に乗せてもらい海側から堪能しており、今回は以前の秀全和尚の大網観音の探索に引き続き半島の南を攻めたもの。戦時中に掘ったという抗道があるという話だったが発見できず、しかも頂上付近でいとも簡単に迷ってしまった。
翌月は釜石の尾崎半島をトレッキング。数年前の山火事の惨状が残ったままだった。そして、定休日の単独行で、ズサマ相方は鬼米内沢でGPSガーミンを落とすという事件発生。翌週、再び鬼米内沢に入りくまなく探すも見つからず。野生動物が咥えてどっかへ持って行ったかも?と言うが、山菜採りが拾ってそのままゲットというのが濃厚だ。落とし物として警察に申請はしたが、未だ連絡はない。
夏前は豊間根荒川上流部のトハナ鍾乳洞を攻略。これは地元の猟師・芳賀氏の道案内によるもの。穴は二度の接触編のうち一番最初に探索した岩盤の中腹にあった。これでは今までの鍾乳洞の概念では見つかりっこない。内部はクマの越冬場所であった。
初夏は一ツ石山の廃墟展望台と猿屋裏湿原を散策。廃墟の窓から見る早池峰山は格別だった。山ばかりなので、6月に八戸から福島まで全線開通したという三陸ジオパークの潮風ロードのうち樫内から田老へ至る遊歩道を歩いてみた。ここで野生のサンショウをを収穫。
秋には早池峰山小田越峠から大迫に至る途中のある笛吹きの滝、七折れの滝という変わった滝をトレッキング。帰りは紫波町を回りブドウを買って帰還。晩秋は以前から地図の表記で気になっていたmwずらしい廃道の峠、躑躅峠をトレッキング。山神の石碑があるという情報であったが石碑は発見できなかった。
11月にはほとんど落葉したサクドガ森の北にあるという、医者待ち沢の白滝を探しに、道無き沢をひたすら歩き日の暮れ近くに標高1000mを越す露岩岩盤を流れる80mはあろうかという白滝を発見。この滝は地元の猟師以外、近年誰も訪ねておらず発見は困難を極めた。情報を集めて夏にも接触編として周辺を探索しており、滝の発見の喜びはひとしおだった。
腹を下し、ガーミンを紛失し、脚の筋肉の衰えで沢で転び痣を作り、翌々日の筋肉痛のしかめ面で仕事に追われるのだが、ズサマはまだ懲りていない。来年もやれる範囲でズサタン(爺様探検隊の略)がんばるつもりです。