2019ズサタン総決算

ズサタン(爺様探検隊の略) は、歩けるうちに行くべき所は見ておこうという、老齢間近自家脅迫的症候群における晩年トレッキングである。そんな本年度のズサタンも12月初旬の小国大梵天舘クマの糞場おののきトレッキングで幕を閉じたわけだが、思い起こせば今年もあれやこれやと歩き回った。そんな今年のズサタンを年末を期にトピックで振り返ってみよう。

内間木洞の氷筍
問題のコロッケ屋台
ズサマ湯に浸かる
冷たい水で腹をこわす
この後、腹が下る
全面雪道を行く

まずは手始めに久慈市へ遠征しての内間木洞の地下水の滴りでこの時期だけ発生する氷筍の見学ツアーだ。内間木洞は普段は入洞禁止なのだが、この時期と夏の内間木祭りの時だけ一般公開される。そのため前年暮れから取材を申し込み2月の厳冬期、安家から旧山形村に抜ける大月峠を経て山形地区まで雪道を遠征した。無事取材を終えて極寒の地で冷えた身体をべっぴんの湯で温めたまではよかったが、海沿いを帰路に途中立ち寄った黒崎で内間木の会場で売られていたコロッケの油にやられて腹痛発生、周辺のトイレは冬期間使用中止で三鉄田野畑駅で無事、用をたし安堵。あぶなく野外で氷筍ではく便筍を造るところだった。

赤平金剛
霞露丸から撮影する
緑色花崗岩の岩塊
多々羅山の三角点
対岸の牛ころばし峠にて
田鎖船長

次いで船越半島多田羅山を攻略。船越半島は暮れにエフビーの田鎖氏が所有する釣り船に乗せてもらい海側から堪能しており、今回は以前の秀全和尚の大網観音の探索に引き続き半島の南を攻めたもの。戦時中に掘ったという抗道があるという話だったが発見できず、しかも頂上付近でいとも簡単に迷ってしまった。

3個の花でフリンソウ
鬼米内大滝

翌月は釜石の尾崎半島をトレッキング。数年前の山火事の惨状が残ったままだった。そして、定休日の単独行で、ズサマ相方は鬼米内沢でGPSガーミンを落とすという事件発生。翌週、再び鬼米内沢に入りくまなく探すも見つからず。野生動物が咥えてどっかへ持って行ったかも?と言うが、山菜採りが拾ってそのままゲットというのが濃厚だ。落とし物として警察に申請はしたが、未だ連絡はない。

ツタウルシを除けながら
狭窄部は腹這いで通過

夏前は豊間根荒川上流部のトハナ鍾乳洞を攻略。これは地元の猟師・芳賀氏の道案内によるもの。穴は二度の接触編のうち一番最初に探索した岩盤の中腹にあった。これでは今までの鍾乳洞の概念では見つかりっこない。内部はクマの越冬場所であった。

初夏は一ツ石山の廃墟展望台と猿屋裏湿原を散策。廃墟の窓から見る早池峰山は格別だった。山ばかりなので、6月に八戸から福島まで全線開通したという三陸ジオパークの潮風ロードのうち樫内から田老へ至る遊歩道を歩いてみた。ここで野生のサンショウをを収穫。

賢治も来た七折ノ滝
大仁田のかぐら堂と椹
晩秋の大仁田牧野
落差80mはありそう
日暮れも近い白滝にて
笛貫ノ滝は伏流水

秋には早池峰山小田越峠から大迫に至る途中のある笛吹きの滝、七折れの滝という変わった滝をトレッキング。帰りは紫波町を回りブドウを買って帰還。晩秋は以前から地図の表記で気になっていたmwずらしい廃道の峠、躑躅峠をトレッキング。山神の石碑があるという情報であったが石碑は発見できなかった。

11月にはほとんど落葉したサクドガ森の北にあるという、医者待ち沢の白滝を探しに、道無き沢をひたすら歩き日の暮れ近くに標高1000mを越す露岩岩盤を流れる80mはあろうかという白滝を発見。この滝は地元の猟師以外、近年誰も訪ねておらず発見は困難を極めた。情報を集めて夏にも接触編として周辺を探索しており、滝の発見の喜びはひとしおだった。

腹を下し、ガーミンを紛失し、脚の筋肉の衰えで沢で転び痣を作り、翌々日の筋肉痛のしかめ面で仕事に追われるのだが、ズサマはまだ懲りていない。来年もやれる範囲でズサタン(爺様探検隊の略)がんばるつもりです。


石油FFヒーターのトラブル

パッキンが切れている
百均のタッパーを使う
応急処置した
水が侵入、凍結

12月らしく冷え込んだ朝、ラジオのローカル天気予報でIBCの菊地幸見さんが、本日の宮古の最低気温はマイナス4.7度でした、最も冷え込んだのは藪川のマイナス15.5度でした。などと告げていた。どうれ、今日も頑張るか…と、起床し台所へ。そしたら寒い。え?昨夜トイレに起きた時に予約のスイッチ入れたのに。ん?表示窓を見ると[EL]のエラー表示。ストーブは今年の春に買い替えたばかりなのにエラーかい!!と思いながら説明書を引っ張り出す。なになに給油エラー?もしかしてタンクが空?と外へ出てタンクのメーターを見ると「満」。再度スイッチを入れたり、一端コンセントを抜いてリセットしたり。しかしダメ。こんな寒い朝に限って、これかよ。仕方ないのでエアコンを暖房で運転、二階から石油温風ヒーターを降ろして部屋を暖めた。こんな日に限ってばばあ、早起き。8時までにゴミ出しもしなきゃ。それから朝食を作り、ストーブを買った得意先へ電話。9時過ぎに修理にきてくれた。原因はストレーナーの水混入と、その水が寒さで凍ったため石油が遮断されストーブにきていないのだった。ストレーナーのカップを外し氷を取って掃除、ついでにドレンを抜いて入っていた水を抜いた。水混入の原因は残量メーターの窓のゴムパッキンの劣化。見ればゴムが切れている。うーん、ここから水が侵入したのか。部品はあると言うので日焼けして見えにくくなったメーターごとパッキンも交換することにした。パーツが来るまでその場しのぎの雨除けは百均のガラスタッパーを使った。

また珍遊記を買ってしまった

漫★画太郎の珍遊記

漫★画太郎の珍遊記を買ってしまった。コンビニサイズの愛読版だ。元々、このマンガ、週刊少年ジャンプ連載時からリアルタイムで読んでいて、その後、古本関係の仕事をしていた時期に、コミックスで揃えて持っていたのだが、知り合いの息子があまりにも、気力のないマンガばかり読んでいるので、喝を入れるため珍遊記を読ませたところ、あまりにも感動したので「よし、それならくれてやる、もってけ」とあげてしまったのだった。その後、しばらく漫★画太郎からは離れて暮らしていたのだが、先ごろ、ヤフオクに手ごろな物件を発見し、全3巻完結・390円で、つい買ってしまった。しかもコミックスよりサイズが大きくて読みやすい。昔のマンガはやはりいいな。あとは江口寿の「ストップひばりくん」、小林よしのりの「東大一直線」また見たいな。ちなみに「孔雀王」は現在コンビニで買ってます。

腕時計を洗濯してしまった

セイコー婦人用腕時計
部品交換してもらった

11月、ばあさんのデイケアでの汚れ物を洗濯した際、ばあさんの腕時計を洗濯してしまった。つーか、この時計、元々壊れていて数時間しか動かない。しかも、デイケアに行くときは時計をして行かないよう、毎回言っているのだが、ばあさん、たまに時計をしてゆく。盗った盗られたがあるから、貴重品は持って行かないようになっているのだが、やはりオシャレとかしたいのだろう。そうやって、お風呂の時間に時計を外しポケットに入れたり、靴下の中に隠す。風呂から上がれば着替えを持たせてあるから全部衣類はお着替え。入浴前に隠した時計は汚れ物の中となる。それでも、尿取りパットやあめ玉、お菓子が入っている時があったので、洗濯時ポケットは確かめるのだが、靴下はあまり調べない。今回は久々にやられた。ちなみにもう一個ある電池式の腕時計も二度ほど洗濯しており、こちらはついでに電池交換した。今回洗ってしまったのはセイコーの70年代のアーモンドという型の手巻き時計。これは当時の石原時計店で買ったものだ。確か親父のボーナスで買ったはずだ。受け渡しの日、小学4年生ぐらいだったが、母親と一緒に時計屋に行った記憶がある。当時、この時計は最新式で週刊誌の裏表紙なんかにも載っていたと記憶する。それまで安いゴムバンドの金色の時計を使っていたばあさんは、メタルチェーンのこの時計がお気に入りで、どこへ行くにもこの時計をして大切にしていた。その後、壊れてずっと引き出しに入っていたのだが、たまたま出して腕にはめてそのままデイケアに行き、その後汚れ物と一緒に洗ってしまったわけだ。水没後、巻いたらそれでも何とか動くけれど、このままでは錆びてしまうので、宮古の時計職人ならこの人といわれる、カワト時計店に修理に出したのだった。そして、12月半ば、修理と分解掃除が完了して戻ってきた。カワトさんには自分が愛用している昭和37年のセイコー5やダイバーも修理してもらっており、かなり顔なじみの昭和の時計職人だ。

宮古弁ラジオ今年最後の収録

スタジオの外に整列
校外実習らしい

ローカルFM局で宮古弁トークの番組を担当して、もう一年が経った。長いようで短いようで、やっぱ長い。最近は一気に四週とか五週も録ってしまうのだが、そのぐらい録ると、小一時間はかかってしまうから、結構、ノドとかに負担がかかる。ま、そんなのは、自分の地が本来、おしゃべりだから何とかなるのだが。さて、12月上旬の木曜日、録音のためスタジオに行ったら、なんとスタジオ内に小学生がわんさかいた。外にいたスタジオのチーフに聞いたら市内の小学校のスタジオ見学と、出演なのだそうだ。子どもたちの相手をしたのは、僕の宮古弁コーナーの助手をしてくれてる、高畑ゆりかちゃんだった。この日、ゆりかちゃんは小学生とのトークをやって、それから、僕の宮古弁のお相手だから、相当に疲れたようだった。最近のお子様たちは将来はユーチューバーになるのが夢だと言うらしいが、人の目を引くには動画も重要だが、何より人を引き付けるには「しゃべり」も重要だってことをラジオを通して知ってもらいたい。そして「タレンティッド」ってことは、勿論、顔やスタイルも重要なんだけど人気者になりたいなら、容姿+知性が必要ってことを知ってほしいね。そして、知性ってやつは学校の勉強では得られないもんだってことをさらに知ってほしい。と、ズサマは思うのでした。

今年もうんこイルミの時期がきた

接合部はカットした
透明のホースを使った
これで夕方のみ点灯
立派な巻きグソだが…

今年も12月になってうんこイルミの季節となった。今年は昨年の失敗を踏まえて、うんこ巻きの三段をお供餅えみたくすると、点灯時にうんこじゃなくモミの木に見えて、下品さに欠けるというか、制作側の意図が伝わらない。そこで今回は色々思案したがうんこのシルエットを主張するラインを強調するためビニールホースの中に電飾コードを入れる方式にした。ホースは縦に割ってその中にコードを入れて金網に固定した。昼間にみたら本格的巻きグソだと納得したが、点灯すると、やっぱ、まだ、お供餅えであった。二年前に最初にやった電線が細いイルミで2回同じ所を通過する一筆描きのうんこが一番いい出来だったのだが、そのイルミは線が細く夏の紫外線で劣化し一年で断線。その後コードが太い野外防水の現在のイルミにしたが、これは線が太いゆえにカーブの表現がいまいちなのだった。ま、今年はビニールホースで我慢しよう。いつしか、だれが見ても納得するうんこイルミを作ってやるぞ、と心に誓うのだった。

WiLL viの排気管修理

頼りになる昭和老整備士
グラインダー登場
接合部に手こずる
落札した部品が無駄になる
あとはベルトで固定
下回りはヤレている

ウィルの排気音がおかしくなったのは10月頃で、なんかタイコの付け根辺りから漏れている感じだった。タイコは右リアタイやを外さないと目視できないため、面倒くさくて暇なときに見ようとかまけていたが、次第に音が大きくなり、特に始動時のアイドリングが高い状態のときはかなり気になるようになった。仕方ないのでタイヤを外して状況を確認することにした。その結果、マフラーを吊っているタイコ側の前方のステーが錆びて外れていることが判明。吊りが後部のみのため、マフラー接合部に負担がかかり亀裂が入ったように見えた。それではと早速、中古のマフラーをヤフオクで購入、ちなみに2500円だった。これを取り付けるため、昭和の整備士・いつもの中古古市場のNさんの協力を得て寒空の下で作業に入った。しかし、ウィルのマフラーパイプとタイコ接合部は以前に荒業で修理されており、液体ガスケットとコーキング材でガチに固められていて分割できなかった。しかも接合部のバンドのボルトは固着しておりバーナーで焼き最終的にはグラインダーで切るという大作業となった。結局はタイコが外れないのだからヤフオクで買ったマフラーの出番はなし。その代わりモノタロウで買ったマフラー穴を塞ぐガムとステンレスのバンドで接合部を補強し穴を塞いだ。これで何とか排気漏れは修理したが、おそらくは来年の車検までは持たないだろう。再び修理が必要となるか、フロントガラスの傷もあるし、また、車の買い替えをせねばならないか。まったく被災地の道路は困ったものだ。ウィルはせめてあと一回は車検を通したかったのだが。あと、修理後、マフラーのタイコの取り付けゴムブッシュから取り付けアームを外してまた差し込んだ際に排気系のアングルが変わったらしく、エキパイからくる触媒あたりのマフラーの遊びが大きくなって、凸凹道を走るとマフラーガードに当たるようになった。買うのはいつも中古車だから前の修理の状態まではわからないから仕方ない。だって、もう経済的にも新車なんか買えるような身分じゃないからね。きっとまた中古買って一生同じようなことを繰り返すんだと思う。