話せば長い話

小学校の頃であったか、母親がグリーンスタンプなる販促にはまっていた。当時、何かを買ってポイントが付くという先駆けのシステムであった。スタンプ帳にたまったグリーンスタンプで何と交換するか迷った末、自分の希望で電気スタンドと交換した。当時、グリーンスタンプの営業所はズサタン本部の安倍氏の家の斜め向かいにあり、なにやら因縁を感じる。交換したのは当時のナショナルの電気スタンドで、イタリアのガレのキノコ型スタンドをプラスチックで再現したようなデザインと、ガレに似てはいるがまったく別の狙いを持った工業デザインであった。当時の自分はガレとかイタリアとかはまったく知らない少年であったが、その独特なデザインに惹かれ、交換した電気スタンドを無理矢理独占したのだった。とはいえ、勉強するわけでも、読書するわけでもなかった。ただ、その工業デザインが好きで、中学、高校とそのスタンドを使っていた。その後、何十年も経って、その思い出のスタンドは、とある人の手によってゴミに捨てられた。僕はいたたまれなくなり、地区のゴミ捨て場からスタンドを回収した。捨てられた理由はスイッチを押しても電気が付かないとのことだった。原因はスイッチにほこりがたまり接触不良を起こしていた。スタンドは会社に持って行って修理し、怪しい配線を交換してスタンドはなんなく復帰した。しかし、その後、今度は本体と電源コード接続部の劣化により点灯しなくなった。そうして、スタンドは僕の人生のチャンネルが変わったまま、懐かしい荷物として僕の手元にたたずんでいた。そして今、こうして必要にかられその電気スタンドを修理して再び点灯させて、読書やPCの打ち込みの明かりとして使用している。かれこれもう50年も使っているのだ。あぶなく燃えないゴミとして廃棄されるところであった。この、かわいいデザインの製品を、ただの電化製品としか見ない人の気が知れない。電気スタンドは暗いところで本を読むためだけの道具ではないのだ。明かりというデザインを知るべきなんだ。デザインって、人生にとってかなり重要なんだと思う。今回、電気スタンド、直し再び点灯したスタンドはLEDの電球をセットして、古いデザインと最新技術が融合し、また、僕の人生の中に明かりをともしてくれるのであった。

LEDで電気スタンド復活
この部分をカットしました
組み立て完了
バラしてはんだ付けしました
はい、直りました

禰々子森の名称はどこからきたのだろう?

その昔、地図作成のため地元民の案内で現地調査が行われ、村や集落の名称や山の名前や沢の名前などを聞き取り調査で記録した際、地元での呼び名を漢字に置き換える作業はかなり難しかったと思われる。漢字にはそれぞれに意味があるからその土地の特徴を生かした漢字が割り振られたであろう。また、古文書などに古くから記載がありそのまま引き継いだ地名もあろう。しかし、中には地元民ですらその呼び名に該当する漢字を推測できずにカタカナ表記のまま今に伝わる地名もある。それらはタイマグラ、サンボトジ、タモンタワ、オソノエラなどで未だ漢字が割り振られていないまま地図に掲載され、アイヌ語ではないのか?などと勝手に推測されることもある。また、漢字表記されてはいるがその漢字から特徴がどうしても読み切れないものもある。だが、名前というものはそのものを表す特徴であり存在の意味やその命の根幹に相当する。従って適当に付けた名前というものは存在しない。そんな理由から禰々子森という名称を探ってみると、まず難字であり旧字の「禰」の意味を知らねばなるまい。禰は自分に最も近い先祖、すなわち祖父、父親の御霊屋(おたまや・霊廟)を意味する。となれば禰々とは遠い時代にこの周辺で暮らした人々の祖霊が集う巨大な霊廟だったのでないか。また「子」とは可愛いものに対する方言的装飾の「…コ(酒ッコ、鳥ッコなど)」ではなく北の方角を意味する「子(十二支)」であれば「子子子」で「ねねこ」「ねねね」と読むこともできる。三ツ石や大沢の開墾地では畑から縄文土器が出土しており、はるか昔、三ツ石から大沢付近には縄文集落があったことは事実であろう。集落近くに薬水が湧く井戸があり、その上流には巨大な滝壺をもつ滝がある。砂金の沢を登り蓬平を経て禰々子森があるのだ。現在より身近にリアルな霊魂が存在した縄文時代、そして狩猟と稲作が混同した縄文的弥生時代を経て禰々子森は先祖万霊を祀る森であったのではなかろうか。

三ツ石林道の最後の民家
山奥に縄文集落があったっようだ
薬水にはシートが被せてあった
薬水を汲んで持ち帰る

爺さまは、禰々子森へ

禰々子森は旧川井村と旧新里村の境に聳える1000mを超える二等三角点をもつ里山だ。山嶺東側には東北電力腹帯水力発電所の貯水ダムがある大沢、西には早池峰山塊を望み、尻石沢、中ノ又沢が小国川へと注ぐ。南東に延びた尾根は大沢源流部の蓬平を経て宮古、山田、大槌の境である東金沢壷倉牧場へとつながる。今回は腹帯三ツ石から大沢川に沿って林道を行き、台風被害で林道が損壊した場所から禰々子森へ歩いた。途中から林道を逸れ地図上では点線表記の山道を進み標高580m付近の尾根までをトレッキングしたのだった。さて、藩政時代の川井村では凶作で米がとれない時には砂金で年貢を納めいたという。川井村の鉱業は遠く藤原時代から稼働し砂金採掘は重要な産業だったようだ。そんな砂金鉱床があったとされるのが禰々子森から南西方向にある蓬平周辺だ。「よもぎ」の名が付く地名の特徴は作物が育たない痩せた土地を意味し、生えるのはせいぜい蓬程度という意味だ。従って蓬平とは1000m旧級の尾根沿いにある広大な痩せ土地なのだ。しかし、ここの地下には砂金の元となる金鉱床が眠り、それを得るため藤原時代から鉱山が稼働していたというのだ。昭和14年には宮古製錬所(ラサ工業)に対し金品位、1トンあたり260グラムの鉱石、約54トンを売鉱したという記録があるが、その後操業したという記録はないらしい。昨年の台風により大規模な土石流が発生し国道が寸断されたが、北上山地に整備された林道も大きな被害を受けた。多くの林道は沢が流れる法面が土石流と化して崩れており尋常ではない量の岩石が沢に流れ込んでいる。そんな崩落した岩盤の中に金鉱床があっても不思議ではないわけで、特に藤原時代から砂金を産出していた蓬平を源流とする大沢で砂金が採れても不思議ではない。また、大沢には禰々子森東側に広がる花崗岩帯があり、これらの岩で大沢源流部が構成され、そこには川石が回転しながら石に穴を作る甌穴なども見られる。これらの穴の底や岩盤の溝に台風による洪水で砂金が溜まっている可能性も否定できない。禰々子森周辺のトレッキングはそんな夢も見せてくれるのだ。

林道が消失していた
花崗岩が転がる源流部
クマの爪痕です
禰々子森のクマダナ
標高580m付近の尾根で目印を巻く
たった今、したばかりのクマの糞を発見

ミシン練習は続く

今まで何も気にしていなかったが、自分が着ている衣料品も先人の工夫が生かされ多くの工夫と努力で縫製がなされていることを発見する。そんな、新たな発見は洋服をほどく行為で実感できる。もう着なくなった服やズボンを、夜、飯を食ってからひたすらリッパーでほどくのだ。ちょっと酒を飲んでいるため、作業が雑なのは玉にきずなのだが、これをはじめるとあっと言う間に時間が経ってしまう。まさに、夜なべ仕事だ。そして次に、じっくり観察してから、ほどいた部分をしつけ糸で縫って、再びミシン掛けをして再生、復帰させる。この作業が、意外なほど面白く、ミシンの練習になるのだ。家事をしていてちょっとした不注意でハイターをこぼしてしまい、大事な部分に色落ちが発生したジーパン、なんだかブカブカでもうはかなくなったチノパンツ…などなど、分解素材はいっぱいある。こんなことなら、この春、1トン近くも捨てた母親の古い衣料品も、端切れとして布を取ったり、ボタンを取っておけばよかった。

リッパーが活躍
サクサク解体
片脚部分を解体
失敗があって成功あり
今回はきれいにとじました
オールミシンで修繕練習

ミシンな日々

新たな興味がわいたことは、歓迎すべきであろう。しかも、毎日の料理や掃除より格段楽しく奥が深い。そこで、冷静に考えてみた。今の自分はミシンを使って修繕をする行為が、解体と組み立てなのだと思う。結局、機械部品を生地や衣服に置き換えているだけで、解体して元に戻す作業に喜びを感じているようだ。従って、何かを創作するという意識は今のところない。とにかく、衣服をほどき、再びしつけしてミシンで繕う、これが面白いのだ。そんなミシンライフは足踏み式と電動が最高だ。なるほど、世の中って、俺が知らないだけで、うまくできてるんだって実感できるのである。

ボビンなど
便利な電動ミシン
上糸の糸調子を疑う

桜とウイル

桜の花びらが車の屋根とかボンネットにびっしり張り付くような環境でなかったのですが、その昔、とある女のアパートに泊まって、朝に無断駐車した路肩の車を見たら、前日の雨でフロントガラスが桜の花びらで埋まっていたことがあった。桜って、昔から物語性があるんだなと思う。小さな空き地の桜を見ながら弁当を食べて、ずっと昔の春の恋を思い出す。そんなイメージがあるんだな。今回は色気もなく、知り合いの寺の縁日に伺った帰りに駐車場の八重桜が雨で散ってwillのルーフやトランクに散っていた。年老いて最近は色っぽい話もなくなったなと思いながら撮影。

刈り上げルーフの上
翌日まで残っていた
ヤエザクラの花

衣服を入れるカゴ

ヤフオクでほぼ衝動買いのまま給食のカゴを落札。5個、送料込みで7000円でした。一端、高値更新されて、7000円で落札しました。給食カゴは以前にも二個で結構な価格でヤフオクにて購入し、シャツとパンツ、マフラーとカーディガンが入るカゴとして活用してますから、新たに5個入手すれば、整理整頓によいかも、などと思って勢いで落札したのですが、落札の翌日、いつものリサイクルショップに行ったら、なんと大中小の入れ子になった、小降りの行李が売りに出されていました。一個1900円、三個で5000円に値切って買ってしまいました。これから、衣服の冬物と夏物の入れ替え時期なのでカゴや行李は役に立つのですが、いきなり収納アイテムが増えて困ってしまうのでした。

給食カゴを落札
入れ子の行李をゲット

アコフェスの写真が送られてきました

連休に浄土ヶ浜で開催されたアコフェスの写真が送られてきました。今どきはスマホやタブレットの画質もよくて、大変すばらしい写真が撮れるようです。集合はイベント記録係さんが一眼で撮ったみたいです。メンバー各ショットは先日のアラ還ライブバンド編を企画した田老のMIHOKOさんから送られてきたものです。ありがとやんした。どこかでまたご一緒したいものです。さて、次は7月8日のベンチャーズバンドの前座ステージと、7月11日の盛岡フォーク酒場の震災月命日ライブだ。

出演者で記念写真
バンマス三上さん
これで孫がいるあつっぴ
絶唱、鼻穴全開

連休最終日はGB250で

連休後半にイベントが集中した今年のgwも終わり、最後はgb250クラブマンで軽くツーリング。国道45号線の旧街道を山田までのんびりと流しました。帰り道はうって変わって、国道をガンガン走り、かなりの数の車を追い越し速度警告灯も何度か点灯して久々のスリルを楽しみました。帰りはズサタン本部となった異人館で紅茶をのんでまったりして、連休の余韻を楽しみました。がんばって仕事して、がんばって遊ぶ。これが人の基本ですね。夕方自宅へ戻り、車庫にしまう前にスマホで撮影。その後、willに乗り換えて買い物へ。いつものように夕食作って早めに寝ました。

最近ちょっとオイルで湿り気味

海のアコライブに出演

連休の浄土ヶ浜まつりに連動した音楽イベント・海のアコースティックライブにお誘いがあって、アコうにまるで参加した。当日は雨模様の予報で、天気が危ぶまれたものの、お昼頃の小雨の後は天気に恵まれ、うにまるのステージの時はがっつり西日で暑いぐらいだった。演奏曲はアラ還ライブでもやっていたから、アコに持ち替えるだけとあり練習はたった二回のみ。ただ、エレキ系だと自分はギター弾かずボーカル専念なのだが、アコだと全曲ギターを弾かなければならないため、いつもより大変でした。指、痛いし。けど、それなりにアコギの音も出し、浄土ヶ浜をバックに気分のいい演奏を楽しめました。演奏後の打ち上げにも参加、年寄の自分は早々に退散しました。演奏風景を撮影してくれたのは仕事でも写真を借りるなどお世話になっているカメラマン摂待謙哉氏。浄土ヶ浜バックでいい写真ありがとうございました。3人で並んでる写真は高橋くんが撮影。これは何かのイベント告知用に使えます(^^)ありがとやんした。

このアングルはさすが、摂待氏ならでは
浄土ヶ浜をバックに
アコフェスで熱唱
何かのイベント用に3人で撮影
アコフェス打ち上げ