「ばばあやってくれるぜ」カテゴリーアーカイブ

ばあさんの顔そり

T字カミソリで慎重に剃る。ばばあの手がこわばっている

ばばあの顔剃りをやった。自分のヒゲはずっと剃刀でそっていて電気カミソリで剃っていたのは30代ぐらいまでだろう。カミソリは最初、2枚刃だったがそれが3枚、4枚、今はなんと5枚刃が普通で電池の振動も加えて剃るタイプもある。当然、よく剃れるが刃のカートリッジは高価だ。その昔、シックインジェクターというハンドガンに弾倉を込めるようなイメージの交換刃があってかなり流行ったが、世の中は剃刀で剃る派はまだ少なく大方が電気カミソリだったと思う。自分も昔は旅行用と普段用の2台の電気カミソリ派だったが、一旦カミソリで剃ってみると剃り味の違いは歴然なわけで、カミソリ派に転向した。ヒゲは昔から濃い方だった。20代の頃はいい気になって鼻の下にちょびヒゲを生やしたりしていたが、ヒゲも手入れというか色々とめんどうなのでやめた。自分のヒゲは毎日剃っているからいいが、同じ道具で他人のヒゲを剃るのは意外と困難だ。基本的にT字カミソリは自分のヒゲ用に作られているわけで肌に当てていつもの逆ソリなんて危なくてできない。ここはおそらく昔ながらの貝印使い捨てカミソリがいいんだと思う。次からはそっちを用意してばばあの顔毛を剃ろうと思う。

お正月カットサロン

お客様、おかゆいところございませんか?

大晦日、能登地震があった元旦、そして2日。この三日間がデイケアが休みだ。3日から通常スタートするから、その前にばあさんの髪を切らねば。夏に切って半年間延び放題で毛先がはねる状態だ。寝たきりとはいえ髪と爪は普通に伸びるのだ。爪は訪問看護の看護師さんに切って貰うが髪は無理。かといってデイケアにくる理容師さんにたのむと男も女も同じ髪型にされてしまう。介護作業に支障がない髪型なんだろが髪がユニセックスってのはかわいそうすぎる。そんなわけで素人ではあるが自宅でショートボブにカットして襟足は電動バリカンで揃える。家事一般は何でも出来ることは時に多くの人を寄せ付けなくなってしまうが、やれるならやるにこしたことはない。幸い自分の髪もロン毛だから自分でカットしてもう20年以上もトコヤに行っていない。ちょんまげ結びだと誰かに切ってもらうしかないが、今みたいに乳首ぐらいの長さなら自分で切れてしまう。料理、洗濯、裁縫、掃除から大工仕事、猫の世話から、介護のお世話、オートバイ修理などほぼ万能だ。下手なのは唯一、他人とのコミュニケーション。これがダメで人生を脱落したようなもんだ。

ヤマハ同期会とはじめてのショートステイ

仙台駅、三番線から空港アクセス線に乗って集合場所の仙台空港へ
ハワイアンズは子供のころ以来、夕食はバイキングでそのあとはショータイム
外国暮らしが長いと普通にポルシェだもん

11月半ばにピアノ技術学校の同期会があるので、数か月前にケアマネジャーに母親のショートステイを希望していることを話したら、何とかなりそうだという。同期会はコロナがあって四年ぶりの開催で、その間に同期の二人がALSと白血病で亡くなっている。そんなこんなで会えるときにあっておこうという誘いもあって今回は参加することにしていた。しかし参加はいいが問題なのは介護度4の母親のショートステイだ。以前は介護度2で申し込んだのだが受け入れてもらえなかった経緯もあったし、何より年寄りの体調というのは不確定だから当日あたりに不調をきたすこともままある。同期会は福島のハワイアンズ、昔で言う常磐ハワイアンセンターだ。何はともあれ出発前の日に母親をショートステイに送り出し、翌朝は早起きして106バスで盛岡まで出て新幹線で仙台へ。仙台空港で仲間と待ち合わせてハワイアンズへ。強行軍だったが、昔の仲間と会うと顔もほころんで昔話に花が咲く。一泊後、今度は仙台から高速バスで宮古まで4時間のバス旅。ケツが痛くなったがその間、ズサタンで登った安家森と三閉伊一揆の原稿を執筆。帰ってからは数日間母親がいない介護フリーの日々を満喫。やっと骨休めができた感じ。しかしショートステイから帰った母親、その日の夕方にいきなりのオムツ外し事件で、せっかく洗濯して用意しておいた寝具は全部小便まみれ。夜2回の洗濯機回し。やはりオレは介護の星の下に生まれてきたのだなと実感。

古い写真

無くしたと思っていた写真が出てきた

オヤジが亡くなって遺品整理をしながら認知症に陥った母親はオヤジの衣類などを整理し終わるとこんどはすべてのアルバムから写真をはがし、これを箱や袋に入れて片付け、古いアルバムすべてを破棄してしまった。そこまでは許すが、はがした写真をどこに片づけたか忘れてしまった。アルバムはオヤジの母親のものや、自分が子どもの時のものもあり貴重だったのにどこにやったかわからないのだ。下手をすれば間違えて何かのゴミと一緒に捨てたかもしれないと思い半ば諦めていたのだが。なんと衣料品と一緒にタッパーに入れられていたのを発見した。カラー写真とモノクロ写真がまぜこぜになっていて時代が特定できないが、母親はアルバムからはがした写真を眺めては仕舞ってを繰り返してそのまま忘れたのだろう。カラー系は母親を含めた四姉妹の写真を少し残してほとんどを捨てた。すごい量だったが今更しかたがない。写真をプリントで残した昭和時代、写真の笑顔はどれも楽観的だ。写真とともに思い出も捨てる、断捨離とはかくも切ないものだと実感するのだった。

美容師もやります

理容師もこなします

ばばあの髪が伸びて髪を切りたいのだが、デイケアの美容師カットをたのむと、まるで爺様のような刈り上げカットにされてしまう。一回目は様子見として我慢した、二回目は耳のところは残してほしいと連絡帳に書いたのに、またもや同じ。聞くところによると介護施設特有の髪型らしく宮古では老人ホームの老舗・慈苑でやっていたことから俗に爺様も婆様も同じユニセックスな「慈苑カット」と呼ばれているらしい。そんな髪型では施設内でオシャレ番長にはなれないから、ショートボブにすべく、自前で毛先をカットした。今回は車いすに乗せてウインドブレイカーを反対に着せてカットしたが、次回からはもうひと工夫してカットしたいもんだ。

今年最後のかき氷

定番のイチゴミルクを食わせる

今年は9月に入っても真夏の太陽が照りつけ、30度オーバーの真夏日が続く。それでも夜は若干冷えるようになって寝やすくなったが、日中はたまったものではない。今年は7月から平日は連日デイケアを申し込んでいるので、ばばあが日中家にいるのは日曜日だけとなった。日曜日は正午からBS11で毎週競馬中継があるから、自室でテレビを観ることが多いわけだがここのところの暑さで、エアコンがあるばばあが寝ている台所でテレビを観てしまい、ばあさんの世話もしなければならない。昼飯は食わないけれど水分補給が必要であれこれ飲ましたり、かき氷をくわせたり。今年はもう最後だろうがイチゴミルクを食わした。けっこうな量なのだが、ばばあは頭が痛くならないようだ。もしかして氷を食べてキーンとくる頭痛と認知症やアルツハイマーって関連性があるかも。というか最近はキーンとこないな…と感じたらアルツを疑えっという判断もありかも。

うんこづまりで救急要請

最近電柱が撤去されので自宅前まで救急車がきてくれた
ばばあバイタル関連の機材に囲まれる。もうかれこれ5回目の体験だ

夕飯を食べさせる前にコーラック2錠投与した。朝も、昨夜もだ。そしたら途中でご飯は要らないと言う。それからうーんうーんと唸る、涙を流す、ベットの上で喘ぐ…。これはもうお腹の中が溶けているのに出口が塞がっているアイオン台風の御山川状態だ。自力で出るのをまつのか?病院か?救急車は要らない、でも苦しい。暑いという。
5日ほど前、朝食を食うかと聞いたら「握ってください」という。飯粒が喉を通らなかったのでレトルト介護食にしているのに、おにぎりが食いたいらしい。最初、得意の幻影を追っているのかと思ったのだが、なんども「握ってください」というので、試しに味付けご飯の余りで小さな三角おにぎりを作って出したら、凄い勢いでそれを食った。なるほど喉の嚥下が戻ったのだなと思って、翌朝はタラコを具にしたおにぎりを出した。そしたらまたまた凄い食欲だ。まいった…。ばばあ、元気になっているではないか。夕食は天かすたっぷりのうどんとフルーツとヨーグルト。これまた残さずペロリと食ってしまう。きっと気候がいいのだろう食欲が増すのはいいことだ。しかし問題なのは排泄。下剤を投与するもほんの少し尿取りパッドが汚れる程度でうんこが出ない。腹を触ると茶筒が一本入ってるぐらい硬くなっている。仕方ないから前述の下剤攻撃しかない。だが、出ないのだった。仕方ない病院行くか?と聞いたら行くという、そんなわけで119番。同乗して9時過ぎ帰宅。食欲なし。部屋中うんこ臭い。それでもワインのんでちょっとつまんだ。成長したなオレも。

排便レポはカレンダーで

三日は出ない日が続くローテ

最初今日が何日何曜日かばあさんにわかってもらうため、カレンダーに×をつけていたのだが、×印をつけても何日かわからないようになった。そんじゃ方向性を変えてうんこが出なかった日に×をつける排便カレンダーにした。これを見ながら四日も出てないようなら下剤を投与するというルーティーンになった。○はうんこが出た日で、○が3個ある日は朝、デイサービス、夜の3回の排便を意味する。介護も楽しみながら、少しでも面白くやらなとまいってしまうというわけだ。食わせるだけでなく人のうんこの苦労までせにゃならんというのが介護の奥深さでもある。

ばばめし

普通の飯粒がノドを通らなくなったばあさんの食事はレトルトの介護食になったので、ばああさんに合わせておかずを作ったり飯の硬さを柔らかくするため水加減を調整したりすることもなくなった。加えて要介護度2から「3」を飛ばして一気に要護度4になったので排泄はオムツとなって便所も使わないし歯磨きや顔洗いも自力では出来ない。従って毎晩の飯は毎晩自分の好きなのを作って食えるようになったし、便所や洗面所も自分専用となった。だからなんだと言うわけではないが、トイレの備品関連は汚されがなくなったからシンプルになったし、洗面所も自分専用だから今まで二階の自室でやっていた髪のセットもできるし、簪やヘアピンなどのアイテムを洗面所に置けるようになって楽になった。
ばばめしはキューピーやアサヒフーズのレトルト介護食を数日おきに買ってきて朝夕で1パック食べさせる。それだけじゃ腹持ちしないのでフルーツや牛乳、スープやその他ゼリーのオカズを食べさせる。すでに自力では食事もできないのでスプーンで給仕してあげるのだが、これにけっこう手間がかかる。たまにはアサリのスープなんかを食べさせるけれど、スープ類は作ってからボウルに氷水を張って冷ましたりしなければならない。レトルトオカズも電子レンジで加熱する際、時間も微妙に違ってめんどい。それでも以前までは毎日残さないよう食えるメニューづくりに悩んでいたから簡単になったのは間違いない。なんだか見た目はゲロっぽいがしゃーないな。

車いすの改造

スロープを製作
フレームを3.5センチカットした

ばばあの介護でデイサービスが週4回のお送迎があるのだが、その際に使う車椅子が施設のやつだとたまにサイズが大きくて玄関を通らないこともあった。玄関に網戸の枠を年中付けたままなのがいけないのだが、普通サイズの車椅子なら楽勝なので付けっぱなしなのだ。それはさておき、施設内でもほぼ車椅子を占有しているので、自宅にあるなら自宅の物を使わせて欲しいと施設から要請があった。自宅には知り合いのリサイクルショップで買った中古の車椅子があって、ばばあがまだ元気なときはこれを使ってコロナワクチンの接種とかに行っていた。しかし問題は、この車椅子、以前なら車に積んで外出先で使うような感じだったが、寝込んでしまったばばあを家の中から出す工夫はしていなかった。そもそも築60年近い昭和屋敷は玄関の框(かまち)が高くしかも二段構造なため、車輪の小さな車椅子は出し入れが大変なあげく、車体を斜めに上げたとき、すなわちバイクで言うならウイリー状態にしたときフレームの後部が床に当たるため段差をクリアできない。新しく車椅子をレンタルするか、スロープをレンタルするか迷ったが、結果、自宅の車椅子のフレームを加工することにした。これが自分的には一番早く効率的だ。ついでにスロープも自動車用の段差板を改造してつくった。これで一件落着という感じだがケアマネやデイサービスでは、今回、自作でしのぎ、製品のレンタルを拒んだのがおもしろくなかったみたいだ。福祉業界も売上第一なんだね。