love is Bandの配信がスタート

10月に宮古のベイスタで録音と撮影が行われた大間ジローさんの配信番組公開がスタートした。うにまるは前半の二曲で登場、引き続きジローさん企画の「ブラジロー」で鍬ケ崎の金勢神社と浄土ヶ浜を案内してレストハウスで瓶どんを食べるまでの長丁場で出演した。その後はセッションで参加。今回のうにまるは着物姿で大正・昭和初期の旅の浄瑠璃芸人をイメージした演出。なかなかの出来だった。着物はことのほか暑苦しく帯が結べなくて難儀したが、相方は和服屋さんなわけでなんとかなった。今後はまた着物を着て演奏することもありそうなので、帯の結び方を勉強しなければならない。ちなみのオークションで長襦袢、腰巻、名古屋帯などを購入した。あとは塗りの下駄がほしいもんだ。

タコ、意外と好きなんです

タコのマリネが好きだ。タコは茹でたのを買ってもいいが当たり外れがあるから、4分の1ほどの生を買って粗塩で揉んで洗ってから自分で茹でる。さすがに一匹丸々だと持て余す。ちなみに高校時代に「タコ洗い」というバイトをやった。その時は裏返しにしたタコに塩をして長くつで踏んずけて揉んで、二層式の洗濯機で洗うという荒業だった。ゆでて冷ましたタコの足はぶつ切りにして酢味噌と三つ葉、レモンこしょうでドレッシングを作って和えたり、バルサミコ酢とオリーブオイルなどの組み合わせで食べる。季節の野菜とササカマ、プロセスチーズなどを細かく切って混ぜてもいい。残ったら最後はタコ焼き風お好み焼きの具にする。ワインはもちろん、ビール、純米酒、燗酒にもいい。こういうちっちゃな料理が一日の疲れをとってくれる。しかも酒が進むから困ったものだ。

玄関の模様替え

季節も移り変わるから玄関の額を取り換えた。「楡の木陰の欲情」という昔の演劇のポスターだ。時代は戦後間もなくだと思う。この演劇にたいした意味はないが、一座の名前が「青猫座」でポスターのデザインに猫がいるのが気に入って購入した。デザインした人はこの演劇で舞台美術を担当している、田中照三(たなかてるぞう)だ。イラストわきに「TERU」のサインがある。田中照三は舞台芸術家として関西地方を中心に活躍、2006年に死去している。ポスターには英語訳で「Desire Under The Elms」とあり「Elms」が「楡・にれ」だというのがわかる。ホラー小説に「エルム街の殺人」があるが、怪しく危険なエルムとは街名ではなく、楡の街路樹がある街ということだ。このポスターにはカロン洋裁研究所という広告が載っていて左下が欠損している。この部分は額装するさいに画材屋で紙を選んで簡単な修復をしてもらった。人形も冬用の紺のワンピにお召し替え、みやここけし大小を飾った。

国旗とwillとクラブマンと信楽タヌキ

文化の日は国旗を揚げた。僕は右翼指向ではないが国旗掲揚は嫌いじゃない。ただ、一年中のすべての祝日に国旗を揚げるのではなく、本当に意味ある祝日に国旗を掲揚する。海の日とか山の日なんて本来「旗日」ではないし、土日に連結されてしまうような祝日には興味がないからそんな日には国旗は揚げない。日本国にとって意味ある日こそ、国民の一人として旗を揚げて祝う。祝日って明治天皇、昭和天皇、大正天皇とかに関連する日なのだが時代と共にその意味が薄まり同時に名前も別になるから祝日から天皇を連想するのは難しくなった。また、旗と言えば日章旗というのがあって、軍艦旗として知られるが、僕ら世代にとっては暴走族の特攻を意味する旗印だった。赤信号に特攻バイクで道を割り、三方の交通を遮断して後続車が信号無視で連なる…そんな時代があった。僕が上京して貧乏暮らしをしていたころ、川崎には多くの暴走族のチームがあって、僕が住んでいた元住吉あたりには「元住吉連合」というチームがあって土曜の夜はバイク四つ輪を含め100台ほどが走り廻り暴走行為を繰り返していたものだ。補習授業と毎日の暮らしですっかり疲れた銭湯の帰り、なかなか渡れない中原街道の交差点で爆音を響かせるバイクを見ながら、ファミレスのディニーズにも入る金もない極貧の自分と、親から買ってもらったであろうバイクで走る同世代の「若さ」と「自由」に疑問を感じた。しかも旗に書かれた「全国制覇」って、戦国時代でもないのに、何考えてんだろって思ったものだ。

FTR223とイチョウの木

今年のバイクのシーズンもそろそろ終わるような気配の寒さだ。もうすぐ雪の便りもとどきそうなので今年最後と思ってオフロード車のFTR223にまたがった。数ヶ月前に岩泉中里の鍾乳洞探索のロケハンに使ったきりでしばらくエンジンをかけていない。タイヤの空気圧が下がってるんじゃないかと心配したが、現状でパンパンのままだった。FTR223はGB250と同じシングルだが27ccほど排気量が少ない。だが加速や吹け上がりのパンチはFTRの方が鋭い。いくらGB250のヘッドが複雑な高回転向きのDOHCだからといっても、エンジンの基本設計が古いから部品やベアリングなどのパフォーマンスが低いわけで、FTRの俊敏性にはかなわない。ただ、FTRは無駄にスカチューンしたあげく車高を3㎝ほど高くしてあるから、見た目はいいが足つきが悪く不安定だ。けれど跨って真っ直ぐ座るから目線も高くスピード感もさほどではない。これなら100㎞/hはいける。それに比べGB250はセパハンで前傾姿勢だから胴体視野は極端に狭く、さいきんじゃ70㎞/hぐらいが関の山、それ以上だとビビってしまう。そんなFTRでぐるっと高速、市内、林道と定番コースを一回りして夕方に小山田橋の袂で撮影。本当は一中のイチョウをバックに撮りたかったのだが、日曜で人がいたから公園を突っ切れなかった。ならば押せばいいのに。と後から思った。

紅葉のモミジと激辛ハバネロ

11月初旬に岩泉町袰野の小川小学校のモミジの写真を撮りに行こうということになった。その日は前日から低気圧が接近しており天気は雨模様という予想だったのだが、なんと低気圧の足が速く、明け方には太平洋に抜けてぐんぐん快晴になった。こんなことなら通常通りズサタンに出掛ければよかった…と思うほどの晴れ具合だ。でも、まあ、小川小のモミジもちょうどいい頃合いだからと写真を撮りに向かった。そして目的の小川小学校の樹齢140年のモミジの真っ赤な紅葉を撮影。小川小学校は数年前に閉校していて、今は以前の岩泉町立門小学校と統合して新に岩泉町立小川小学校となっていて、モミジが植えられている校舎は無人だ。帰りは340号線の道の駅産直「よってけ市場」で天ぷらうどんで昼食、ついでに野菜などを購入。その野菜の中でハバネロという最強の激辛唐辛子を購入。通常ハバネロは緑色が定番だが、こちらはさらに熟れて辛みが増して赤くなったやつだ。試しに一端煮出して火を通してからニンニクとハーブで甘酢に漬けた。後日、細かく刻んでビーフンに入れて食べたところ、凄まじいほどの辛さで顔中から汗が噴き出た。この分だと翌朝オシリにダメージがくるなと心配したが、朝は普通だった。ハバネロの辛さは爆発的だが瞬時にピークがきて効果は一瞬らしい。処方する料理と量さえ間違わなければ代謝型の健康食品でもあるらしい。つうか熱の入れかたが肝心で、唐辛子のように油で香りを出すような使い方をすると、殺人的辛さになるから、できるだけ加熱せず爽快な辛さを楽しむのが基本だ。