常磐ハワイの人形を入手

レイと笑顔
いわき市のハワイ
ポロリ
パンツは大丈夫

小学校二年と三年の冬休みに、いとこの土建屋社長のはからいで母親姉妹の夫婦とその子供たちで成田山に参拝に行った。なんか知らないが土建屋社長の家では成田山信仰だったことと、その帰りにみんなで常磐ハワイアンセンターに行くのが目的だったようだ。おそらく土建屋はラサ工業の下請けだったが相当に儲けていた時代だったようだ。自分は子供だったから会計の負担は知らないが、一か月の家賃が所得から積算されて550円だった市営住宅で暮らすような自分たち一家が自前で参加できるツアーではないことだけは確かだ。
それでも二回もあの常磐ハワイアンセンターの黄金期に行ったのは一生の思い出でもある。そんな常磐ハワイアンセンターで買ったお土産は絵葉書とムームーとパイナップルとヤシの実ぐらいなものだった。あと、当時ハワイアンセンターの名物だった純金風呂というのがあってそこで撮った記念写真もあったな。そんな常磐ハワイアンセンターのお土産として売られていた人形を最近入手した。これは知り合いの従妹の方が嫁いだ先の義理の母親が持っていたもので、その方が最近お亡くなりになり、遺品整理で出てきたものだ。別に捨てるとういわけではなかったようだが、いくばくかのお金で買い取った。こういう遺品はタダで貰うと何やらいわくつきになるので、お金で解決した方が気分的にいいのだ。ただ残念なのはハワイアンダンスで振り回すポンポンの片方が欠損していることだ。あと、衣装のブラの糊が剥がれていてお乳がむき出しなことだ。人形をくまなく調べたがメーカーの刻印もないし、台座に据えられたポーズがどう見ても日本のものとは思えない固定法式なのだ。さりとて人形は30年ほどの歳月が経過しており、その時代の中華製とは考えらえない。おそらくはアメリカ資本が入った東南アジア製と思われ、おそらくは当時同等のドールがハワイやグアムで販売されていたのではいかと推測する。ま、この推理はのちほどじっくり調べてゆきたいと思う。

FTRバッテリーターミナル外れる

元に戻して始動を確認

連休の日曜日。朝から洗濯やら炊事やらで忙しい。やっとのことで前日に録画した競馬予想番組を見た。午前中なのに自室の温度は30度近い。いきなりの夏日に朝からカメムシがわんさか出る。あまり暑いので昼はそうめんにした。早めの昼食を終えてFTRに乗った。今回のロケハンは、昨日の倉ノ沢に続いて今回は、川井の桐内だ。この集落に入る手前にその昔、むらさき平と呼ばれた野生の紫紺がとれた山中の平地があるのだ。その平地は江戸時代から昭和初期ごろまで一年に一度だけ川井地区の若い男女らが明け方まで自由に遊んだという「二十六夜講」の信仰イベントが行われていた場所で、今も石碑が建っている。このむらさき平はのちに、男女が出会うお見合いや合コンの場となって「女獲島・おなどりゃしま」と呼ばれるようになり、その後、後家さんやバツイチ、モテない男女が集まるという「すけべ平」に代わってゆく。その時代の川井地区は「夜這い」などの風習があり、山間部における「性」の開放は特筆すべきものがある。
そんなむらさき平の近くには「タモンタワ」という不思議な名前の深山の平坦地もあって、探索自体はたいしたことはないのだが、原稿を書くネタは豊富なので、一度は行っておこうと思っていた、ついでに、ネットで調べたら今年の二十六夜は9月13日だという。さすがに江戸時代と同様にその日の夜に山に登って、明け方に昇ってくる下弦の月を見るというのは無理なので、下弦の月を蓮の葉に見立て、その上に阿弥陀、観音、勢至の三尊仏が見えるという月の撮影は後日にやろうと思う。
さて、実際のむらさき平に通じる林道は私有地となっていてゲートがあった。立ち入り禁止の標識と注意書きがあった。ここは無理せず、写真だけを撮って、北側の横沢方面の林道に回ってみることにした。再び国道340号線から106号線に出て、盛岡方面へ向かったのだが、片巣地区を通過したあたりでFTRはゴボゴボと異音を発し、エンジンが止まってしまった。交通量も多い場所だったのでバイクを歩道によけて「ああ、またヒューズ?」昨日直したばかりなのに。と思いいながらヒューズをチェックしたが、ん?切れてないじゃん。おかしい。ニュートラルランプもつかない、もちろんセルも回らない。これはバッテリー近くにある大元の部品の不具合かも?と思ってシートを外したところ、なんと、バッテリーのマイナス側のターミナルが外れていた。固定のボルトは消失している。これではマイナスアースがないからエンジンは止まるし始動もできない。しかし、バッテリーターミナルにアースのラインを接続したくともボルトもない。どこかの部品のネジを使って代用するしかないが、FTRは余計なパーツを外したスカチューンゆえ工具ボックスもない。仕方なく近くの民家をたずねプラスドライバーを借りてテールランプのレンズカバーのネジを使ってターミナルを接続。エンジンは無事始動した。ドライバーを貸してくれた民家にお礼を述べ、帰路につくも、昨日のヒューズ切れバッテリーのターミナルが緩み接触不良で過電圧が流れヒューズが切れたのだろうと反省。昨日のうちに対処できたのに気づかなかったなんて情けない。などと後悔しながら最近開通した全長2キロの古田トンネルを通過中に今度はエンジンがむせた。ん?これはガス欠?走行中に予備タンに切り替え、茂市の給油所まで静かに走った。ガソリンは5リッター近く入った。帰宅後、即、バッテリーターミナルの修理を行い、応急処置で使ったテールレンズのネジを戻し、各部の締め付けを行ない、GBに乗り換えた。

FTRヒューズ切れる

まことに失礼ながらその昔「天誕」と呼んでいた祝日は昭和天皇にちなんで昭和の日となった。通常ならこの日からが連休初日なのだが4月末と5月初めが平日だったことと、月末発行が重なりがっつり稼いでしまった。翌日は好天で気温も上がるというので朝からバイクでロケハンに出た。行く先は刈屋地区の倉ノ沢最深部のオショウナイ沢だ。この沢沿いに林道があってその道が前刈山に通じているのだ。地図ではその道は点線表記なのだが、恐らくは過去に相当の木材を切り出していると思われ、もしかしたらある程度、自動車が入れる道幅があるかもしれないのだ。その道を見つけてどれほど傷んでいるか見るのが今回のロケハンの目的だ。
さて、目的の倉ノ沢は過去にも取材などで数回訪れていたのだが、その最深部はまだ未踏だった。昔、鉱泉宿があったこともあり道も荒れていない。しかし、低速で林道を走ったにもかかわらずオショウナイ沢を発見せぬまま最深部に到達。ここから川井の坂本沢と箱石手前で閉伊川に合流する矢田川上流部の岩田に向かう、縄打ち沢沿いの坂本林道分岐に出た。ここから北へ向かう岩倉沢林道入り口は台風で流されていた。辺りをうろついていたところ地元の山菜取の人がきたのでオショウナイ沢のことを聞くと、この分岐点前に、もの凄い急坂の山道があるのだという。話によれば自動車など通行できるような道ではなさそうだ。
帰路で山菜取りの人に言われた沢と急坂らしき廃道を発見したが、そう簡単に登れそうがない手ごわい道のようだった。その足で周辺を散策し、いったん国道340号から106号を経由し腹帯から前刈山南面のルートを確認するため前刈沢林道を最深部まで走ったが、こちら側のルートも手ごわそうだった。午前中のうちに会社へ戻り昼食を食って、泥で汚れたバイクを洗いにスタンドへ。その後、ズサタン本部へ。そしたら、FTRのニュートラルランプが点かない。水洗いした際にヤバいところに水が入ったのかもと、ヒューズを見たら案の定切れていた。手持ちのヒューズを交換し、その日は難なく終わったが、この些細な事象が翌日の故障のきっかけだった。