介護手すりを増設

この壁面に設置
この手すりを使用
もう一本は小上がりに
当て木が必要
こんなん、出来ました

寒さが来る前にと思い、ばばあ寝室裏口からトイレに通じる廊下に手すりを増設した。手すりは亡くなった父親が男便器の所に設置したものだ。今は男便器を使うのは自分だけで手すりは使っていないし、便器の上にあるので芳香剤や洗剤を置く場所に緩衝して邪魔だ。この際、撤去して新しい使い道を考えた方がいいと思っていた。しかし、この手すりは当時ちゃんとした大工さんが東レのリフォームを兼ねて取り付けたもので、しっかり固定されている。ま、外すのは簡単だが、取り付けるためには「当て木」が必要だ。しかも柱から柱をつないで体重が掛かっても外れないよう「ガッツリ」固定しなければならない。
という訳で、日曜9時前からトンテンカンと大工仕事。約1時間で当て木つきの介護手すり設置、完了しました。ついでにもう一本の手すりも外して、リビングのばばあ小上がり手前に設置。ばばあが小上がりから立ち上がるときに掴まると思ったのですが、こちらの使用頻度はあまりないようです。介護手すりをはじめ関係品って、健常者の指向だとわからないんですよね。よく観察しないとね。

検査結果はよくない

19.5%がエラー打ち

夏の目眩頻発の緊急事態から、夜のバイトをやめて心臓の薬をのんでいるから、毎朝天井グルグルの激しい目眩はなくなったが、改めて24時間心電図の検査をすると、心臓は相変わらず期外収縮で二発撃ち、三発撃ちだらけだ。約10万回の心拍数に対して19%が正常心拍とは関係のない期外収縮だ。だからといって体調が悪いわけでもない。30代の頃から胸部圧迫感は頻発的あって苦しかったが、ここ半年は薬のおかげでそんな発作もない。ま、薬を飲んでおけばなんとかなるようだ。心臓に悪いのは煙草はもちろんだが、次いで悪いのがアルコールとカフェインだという。夏の検査終了時には医師が「できたらお酒はやめた方がいいです」なんて言うんで、ガーンときたが、翌日には普通に酒を飲んでいた。というより、飲む時間が問題だ。夜のバイトをしていれば必然的に飲む時間は夜10時過ぎからだ。これが悪い。肝機能も弱ってるから朝まで酒が残っていて、飲み過ぎた日なんかは朝の天井グルグル目眩と二日酔いが混ざって酷い状態だった。今は、酒を飲むのは7時頃で8時前には終わるから心臓にいい飲み方なんじゃないかな…と勝手に解釈している。期外収縮は、いわゆる持病と割り切っていくしかなさそうだ。

宅の呑みの〆はラーメン

白菜モヤシラーメン
好きなのはワカメラーメン
たまにはナポリタン
春菊はクセが強い
ナンのピザも旨い
純米酒にひっつみもいいね
キムチラーメンもよい
野菜炒めラーメン

マルちゃんの塩スープと、地元の製麺屋、小笠原製麺の中華麺でラーメンを作るのにハマっています。自分は台所が居酒屋カウンターになっていて、調理場で飲むスタイルが定番です。飲んでちょっと小腹が減ったらラーメンです。すぐ出来ます。かけそばのような素ラーメンでもいいのですが、ちょっと具を載せるとおいしさアップです。肉とかあまり重いものは使いません。野菜と海藻がおもです。一番のお気に入りはワカメですかね。野菜はモヤシもいいですね。コツは、これもローカル調味料ですが宮古周辺の道の駅なんかで売ってる「たつっと浜ダレ」を隠し味にします。これがマルちゃんの塩スープと相まって浜のラーメンの風味を醸し出します。ラーメンに飽きたら、たまにはパスタ、ナンを使ったピザもいいですね。何より、飲み過ぎ注意です。

昔の免許証

昭和の免許

先日、捜し物をしていて昔の運転免許証が出てきた。昭和66年までだって。昔は免許書き替えの時に古い免許証は没収だったり穴空け処理がなされた。この免許証はそれがない。実は、この免許は当時乗っていたシビックPROのエアコン吹き出し口の所に挟んであったものが、何かの弾みでダッシュボードの内側に落ちたものだ。それを知らず紛失したと思い、再交付をして、車を買い替える際にエアコン廻りを掃除していたら、ダッシュボードの裏からポロリと出てきたのだった。さぞ、長い旅をして色んな偶然が重なって落ちてきたのだろう。今その免許証を見ると、こんな運命が待っていたなんて思えない軽薄な髪型の自分が情けない。同様に先日、捜し物をしていて昔のパスポートも出てきたが、これまたなんつー髪型なんだ?おい。と突っ込みたくなる頭の自分が写っていた。

同じ色の親仔猫

クロと黒の車体が似合う
親子なんですが…

とら子が産んだクロ、ニケ、トラの三匹はもうすっかり大人だ。しかし困ったことに、とら子とトラが同じキジトラ模様で、尻尾も同じ長さ、身体も同じ大きさのため、区別がつかない。なんとなく親なのか子なのか理解できる状態だ。そして困ったことに、この二匹のどちらかが、また子を産んだようだ。生まれたのはいつもこの辺りを縄張りにしているグレートラのニケだ。この猫、よほど強いらしく、生まれた子が三匹ともグレートラだ。猫は本能的に複数の雄と交尾をして複数の遺伝子を残すのため、生まれてくる子猫の毛色は皆違うのが常だ。あっても二匹までだ。なのに三匹ともグレートラってことは、あの雄だけがお相手ということだ。これは発情期の猫に他の雄を寄せ付けないほどケンカに強いということだろう。これから寒くなるから、仔猫がノラで冬を越すのは至難であろうがこれも野生の運命であり仕方ないことだ。

心電図再検査とインフルエンザ予防接種

ばばあ、美容院へ
心電図再検査
計測器のイベントスイッチ

7月の極端な目眩から心電図検査をして、激しい不整脈が発覚し以来、薬を毎日のまねばならなくなった。それで、今回はどれほど改善してるのか、まったく治っていないのかを調べるため、再び24時間心電図装着検査を行った。夏はもの凄い暑さの中、一日中うっとおしい状態で、機械を外したら胸中が汗疹になっていて心音を計測するパッチを剥がしたら皮膚まで剥げて。こんなの夏にやる検査じゃないと改めて思った。今回はそんな不快なこともなく無事に検査終了。ついでにインフルエンザのワクチン接種を済ませた。翌日は心電図の機械を外すついでに、ばばあの健康診断とインフル予防接種も済ませた。心電図の前日は会社の健康診断で。この週は病院通いの一週間だった。ちなみに、病院の後、ばばあを美容院に連れ行き伸びた髪をカットした。

床下空気孔を塞ぐ

サイズぴったし
床下空気孔を塞ぐ
トイレ前にも設置
電熱カッターで切断
自動点灯する照明設置

ばばあのベットを畳の部屋に移動したついでに、床下の空気孔を塞ぐことにした。素材は何にするか迷ったが、300mmの発泡スチロールにした。カットは20年ほど前に買った電池式の電熱カッター。単一電池6本も使うから、電池はダイソーのマンガン電池を買った。11㎝×29㎝に6枚カット。ばばあが寝てる部屋と板の間隣の部屋、それぞれの空気孔の押し込んだ。元来、住んでいる昭和屋敷は床下浸水常習地帯で空気孔を塞ぐなどもっての外だが、スタロフォームなど入っていない昔の家だから寒さ対策の一環なのであった。
それから、ばばあが夜にトイレに立つとき足元が見えるよう、棲み家になっている台所の電気を消して寝室まで行くときに足元が見えるよう、アイリスオオヤマの人感センサーライトを設置した。段差スロープも考えたが、これは逆に慣れていないので転ぶかも?と思い脚下。あとは、亡くなったオヤジのために付けた男便所についている介護手すりを外して畳部屋からトイレに行く壁に移動しようと思っている。最後に部屋を仕切っている襖にスポンジの隙間テープを貼った。あと残るは、今は透明樹脂板とテープで間に合わせているが和室の飾りである欄間を塞ぐ作業だ。オヤジがなんでこんなもんを付けたのか、真意がわからない。暖房きかないでしょ、これじゃ。

ばばあの寝床移動と洗面所棚撤去

この部屋は日当たり悪く臭う
ばばあの寝床を畳部屋に
洗面所改造
ついでに布団を干した

8月の末に飲み会があって夜遅く帰ってきたら、ばばがベットを畳の部屋から隣の板の間に移動させていた。暑さは峠を越して今から涼しくなるというのに何てことすんだ。そして10月になり「寒くないか」と聞くと「寒くない」という。畳の部屋より板の間の方がいいという。自分が競馬に負けて諭されたとき「競馬は趣味だ」と開き直るのに似ている。10月中旬になり、ばばあの下着汚れが激しくなった。夜寒くてトイレに立つが、トイレまでの道中に出てしまうのだった。尿取りパット170CCでは止められないおしっこと、パットを外してしまうためのあまりの下着汚れでさすがに、ベットの移動を命じた。日曜朝にまずはばばあの布団をウイルに干して、掃除してからベットを移動。ついでに毛布なども交換した。布団を干している間に洗面所の古い棚を撤去した。この棚は便利なのだが大工さんが木ねじやらで他の家具と複雑に連結させたため、万が一洗濯機が壊れた特に、洗濯機がそこから出ないのだ。しかも何十年もばばあは棚を拭いていなかったのでヤニが酷く、風呂上がりに濡れたバスタオルなんかを置くと接触部分がヤニで茶色になってしまう。素材は厚いコンパネで、以前、これを拭いてトゲを刺した。今回はこれを撤去して家具の裏を掃除した。その後布団を仕舞って、ベットメイキング。これでオイルヒーターをつければばばあも温かくねんこできて、おしっこの回数も減るでしょう。

天皇皇后両陛下のパレード祝賀御列(おんれつ)の儀

バイクには日章旗が似合う
寒くなる前に走らせる
皇室パレードで国旗を掲揚

11月10日に行われた天皇、皇后両陛下のパレード「祝賀御列(おんれつ)の儀」に併せて、この日は国旗を掲げた。こんな日に揚げずいつ揚げるのか、というイメージで前日から「明日は旗、明日は旗」と思って朝を迎えた。台風被害で予定の日が延期されたわけだが、この日は朝から晴天、風もなく絶好の国旗日和だった。あまりの好天に、ついでのバイク出してエンジンかけとこうと思い、国旗の付近にFTR223を引っぱりだした。ああ、バイクには日の丸より、族的な日章旗が似合うなと思った。その後GBクラブマンも出して近所を一周り。FTRは昨年の害鷹森ロケハンで転倒してから、苦手意識が強くなりずっとエンジン掛けていなかった。ほっとくとキャブのガソリンがどろどろになってメインジェットが詰まったりするから、定期的な始動は必須だ。年内にあと2回ぐらいはエンジン回そうと思っている。

PCエンジンでゲーム開始

PCエンジンのタイプⅡです
コントローラー
早速、カトケンをプレイ
PCエンジンコアグラ落札

ファミコンが大ヒットした時代、それを追従したのが日本電気ことNECでした。その時代、おもちゃ業界にもマイコンやパソコンが流れ込んできて、MSXという得体の知れないゲームマシンが販売されていました。これらは販売されていたプログラムを使ってゲームもできましたが、なんと簡単なゲームを自作できてしまう、いわば、ゲーム機というよりツールでした。そしてこれに最も近い位置にあったのがNECーPC88でした。当時パソコンは最新ツールで、286、386、486のCPUを積んだ後のPC98はNECのドル箱でした。そんな折りのファミコンの登場に「家庭用テレビに接続するゲーム機」はコンピューターゲームにとっても黒船でした。最先端技術を持つNECは直ちに任天堂に対抗する家庭用ゲーム機、PCエンジンを発売し独自のヒューカードというプラットホームでゲームを売り出しました。その一号機はファミコンに似た色合いの四角いアイボリーの筐体で、ファミコン同様アンテナからRFで信号をテレビのUHF帯に送るものでした。その後RGBでステレオ音声でテレビと接続する2号機、コアグラを販売しました。この時、スピード感ある細密なグラフィックの演算処理ができる、スーパーグラフィックス(SG)も発売しており、当時、自分が買ってお蔵入りしたまま、今年の春に倉庫から掘り出してきて再起動を試みた、あのいかついマシンこそがSGと呼ばれるマシンです。ヤフオクのウオッチリストでその価格帯動向を見ていると、なんとSGは18000円~22000円ぐらいで動いています。これは、当時高価だったし変な格好ですから、市場に玉が少ないうえSG専用ソフトをプレイしたい人がいっぱいいるからなのでしょう。自分のコレクションはヒューカードが30タイトルほどあって、SG専用カードが4枚あります。本当はカプコンのSG専用「大魔界村」を遊びたいのですが、今回はノーマルのコアグラを5200円で落札。しかも過去に持っていて紛失したカトケンとファミスタのソフト2本付き。ACアダプタは中国製だったけれど、接点復活剤を駆使してヒューカードを磨いて、懐かしいレトロゲームを満喫しています。ちなみにメディアリンクの「トイレキッズ」は未だ一面をクリアしておりません。