うみねこ丸とFTR

山田町の造船所で今年の7月から運航する、浄土ヶ浜の観光船・うみねこ丸と記念写真を撮った。この船は知床半島の事故で沈没した観光船と同じトン数の19トンの双胴船だ。20トンから規制とか安全装備にハードルがあるため19トンなのだと思う。かつて宮古港から相当数が出港し、相当数の船舶事故を起こした北洋サケマス船も39トンだった。これらも40トンから規制基準が変わるため39トンで申請したのだろう。三階建ての高さほどの波が地下三階ほどまで下降する振幅の中でひたすら幸運を祈ったものだと当時その漁に出ていた叔父が言っていた。また、中卒でそんな船に乗ってあっけなく死んでしまった少年も多い。港町の暗部であり辛い昭和の記憶でもある。

サクラちゃん、やってくれます

朝、物干し場がなにやら騒々しい。家の半ノラ猫、サクラが走り回っているようだ。なんだかいやな予感がしたが、戸を開けてみたら案の定、獲物を見せびらかして可愛くにゃーんと鳴いた。犠牲はまたもやリスだ。頭と肩は喰ったようだ。すげえ。獲物を見せにくるってのは完全に住み着いている状態だ。数日前も得体のしれない内臓や、吐き戻した汚物などをティッシュでとってファブリーズしたのに、また獲ってきたわけだ。背中が茶色のネズミ、真っ黒いモグラ、そして胸に白い毛のラインがあるリスなどなど、家の周りが自然豊富な環境だけに猫としての本能をフルに活用しているらしい。よくとってきたねー、すげーねーとほめてナイロン袋へ回収。朝食前からホラーだった。そしてその朝はばばあのうんこ攻撃。ほんま、耐えられまへんなー。

田の上湯

コロナで夜のバイトに行かなくなったためもあるが、ここ数年銭湯にはめっきり行かなくなっていたのだが、日曜日にFTR223に乗ってけっこう走ったこともあり、久々に行った。行きつけは田の上湯という駐車場がある銭湯。この銭湯の真向いが生協のベルフ西町だから、風呂上がりに総菜やビールが買えるため、いつもここを利用する。設備的には西町にある「旭湯」の方が豪華らしいが、自分的には田の上湯のこじんまり感が好きでどうしてもここにくる。あと、ここにはなつかしのぶら下がり健康器があるのも魅力だ。難点と言えば客が少ないためうめられる率が低くメイン浴槽の湯が熱いことぐらいだ。ま、これは水でうめれば問題ない。レストランでバイトしていた時、店が早じまいした時はよく銭湯に寄って風呂に入ってから買い物をしたものだ。小学校4年までずーっと銭湯だった自分は銭湯の気持ちよさ身体が知っているのだろう。銭湯を利用すると風呂って身体を洗うだけではないってことがよーくわかる。それにしても420円は高いな。子ども時代は大人30円、子ども15円だったのに、10倍以上の値上がりだ。

もんちっち

昭和時代から平成にかけて、仙台に本社を構えたエンドーチェーンというデパートがあって、その支店が盛岡の川徳デパート跡の建物にオープンした。岩手を代表する川徳デパートは僕たちが少年時代には憧れのデパートでその四階大食堂でお子様ランチを食べることは当時の子供のステイタスでもあった。そんな川徳デパートはこれからのおしゃれな時代の流れを察知して菜園に新店舗を建てて移転、名前もpark avenue KAWATOKUなどという横文字のファッションデパートへと変身した。しかし世の中がどんなにおしゃれになろうとも、庶民は昭和時代の安心感を求めていて、川徳跡の店舗で営業したエンドーはそんなバタ臭いニーズもあって意外と人気だった。こじゃれたマネキンと最先端でお高いファッションより、バーゲンとか日曜日のヒーローショーや小銭で遊ぶ屋上遊園地の方が楽しいに決まっている。そんなエンドーの販促キャラが「もんちっちと森の仲間」だ。もんちっちはサルと人間が同居したような形だが動物ではなくフェアリー、すなわち妖精で男の子と女の子がいる。人形のデザインは当時の人気テレビ番組「日立ふしぎ発見」の司会者、草野仁に似せた「ひとしくん人形」も手がけた「わしのよしはる」氏、製作は新小岩にある人形メーカー株セキグチだ。指を口に咥えるポーズをとれるように設計されいるのがポイント。顔とた手足がソフビで胴体はクタクタ系なので自立できないので、古伊万里の元禄型物の小鉢に入れて撮影した。

壁掛けテレビ設置

ばばあの寝床に壁掛けタイプのテレビを設置した。メーカはアイリスオーヤマ、サイズは42インチ、価格は3万ちょっと。壁掛け部品は3980円の廉価品にした。角度とか上下を動かせるダンパー付きは高いのでやめた。ただし、ばばあの寝床までアンテナケーブルを引くのになんやかんや部品などで約8500円もかかった。このため総額43480円の出費だ。工賃を入れたら8万コースだというのにばばあは「ありがとう」とも言わない。しかし、寝部屋にテレビを設置したので飯を食わせたら即歯磨きさせ、自室へ行ってもらうようになったので、台所での時間感覚が喪失した状態の夜更かしはなくなったのはいい傾向だ。自分も夜は風呂に入ったら8時過ぎには自室だ。以前までは10時ごろにトイレに起きてその都度、台所のテレビを観ているフリして起きているばばあに歯磨きをさせ寝かせる号令をかけていたから、ほんと楽になった。それにしてもテレビって安くなったもんだ。42インチで3万円だよ。ネット通販で上野の電気屋さんで購入したんだけど、その昔、家にあった18インチの日立キドカラーのテレビ、たしか23万円ぐらいで家では一気に払えなくてオヤジが6回ぐらいの月賦で買ったのを覚えてる。その時代、自分が住んでるまちに日立のイベント列車ポンパ号がきたときはテレビを買った電気屋からチケットをもらって見に行ったんだっけ。確か日立は都内で飛行船も飛ばしていて、70年代って宣伝も大胆でスケールが大きかった。消費者もそのノリについて行けるパワーがあったんだと思う。

アートって身近にある

1971年に地元小学校を卒業したのだが、その際に卒業制作ということで学校の花壇にオブジェを作ることになった。その当時自分が通っていた小学校はA組B組の2クラスで、どうゆうわけか僕はA組のオブジェデザイン担当者になった。僕は5年生の時にその学校に転校してきたよそ者で、児童会執行部でもない、まして学校にタバコを持ってきたり、女子のスカートをめくり当時流行ったタッチボインで女子に嫌われていた。なのにそんな係にされたのは、あの頃自分はマンガばかり描いていたしそんな絵心みたいな部分を見込まれたからかも知れないし、本当は作品が後々残るからそんなの誰もやりたくないので新参者の自分にお鉢が回ってきたとも考えられる。B組のデザイン担当は当時の児童会長だった「I」クンだった。僕のデザインは男子女子が腕を組んでもう片方を空に突き上げるよくあるポーズのもので腕を組んでいる部分が込み入っていた。その点B組はイルカを抽象化した簡単な曲線構成のデザインだった。コンパネに鉛筆とマジックでデザイン画を描いてそれに合わせて幅15㎝ほどのベニヤ板で線をなぞり、鉄骨を入れ針金で補強し白色セメントを流し込むというもので、完全に固まってから花壇に運んで基礎は先生たちがやったようだった。高さは1.2mほどで細工が細かかった分壊れやすいと思ったが、まじめに補強材を仕込んだので意外にもその小学校が新築移転するまで校舎前の花壇に存在していた。今思えば学校解体の時に譲り受けておけばよかったと思う。写真のオブジェは僕が卒業した学校ではないけれど、同じような年代に同じような思考で製作された卒業記念オブジェと思われる。小学生のデザインにしてはソウル色がみなぎる異色のデザインだと思う。こういう物も無用の長物とせず、閉校する時はどっかに移転させて、できたら卒業制作公園みたいにして市内の色んなオブジェを集めて朽ちるまで楽しみたいものだ。そういう無名オブジェ公園、作ってくれないかな。

毛に癒される

猫の毛は柔らかくて気持ちいい。もう今まで何匹もの猫を飼ってきたから、猫のツボというか急所というかは心得ていて、思わずノドが鳴ってしまうスイートスポットを攻めてしまう。半ノラで完全には心を許していないにせよ、撫でていると前足で爪を出してもみもみするから、たまらなく気持ちいいのだろう。ちなみにもみもみは子猫時代に母親のおっぱいを揉んで母乳の出を促進した行為の名残だ。
最近は寒さも緩んできたので、夜寝る前に呼んでも部屋に入ってこなくなったけれど、猫を触ってツボを刺激するのは楽しい。犬は苦手でこんなことはやったことないけれど、犬も同じような反応するのだろうか。その点、猫は気持ちがいいとノドを鳴らすから理解できるんだよね。犬はひたすら表現が吠えることと尻尾だもんね、なんかがさつ。

血圧計を買う

朝起きると天井がぐるぐる回って真っ暗になるという症状が数年前からあって、何日かするといつの間にか治るのだが、あまりいい感じがするものではない。俗に言うプツっとくるってやつで、もういい歳なんだからそんなジエンドがきても不思議ではない。毎日、期外収縮改善とアレルギーの薬を飲んでいるのだが、それにも増して血圧はこまめにチェックしておいた方がいいと思いエレコムの血圧計を買った。測定は朝晩で測定場所はベット。要は寝る前と朝起きてからの二回だ。測定値は無線でスマホに取得できてグラフ化して眺められる仕組みだ。血圧計も便利になったもんだ。で、わかったのは最近、朝の血圧が高めだということ。高めだと天井が回るってのも発生しないようだ。夜は意外と低く100前後だ。スマホアプリでは最低85、最高130の範囲をベストとしているようだが、朝は138ぐらいになっているようだ。この数値は排泄に関係しているようだが、朝、目が醒めるってほとんどおしっこが原因だから仕方ない。血圧測るからまず便所ってのも面倒だし。こうして測定を続ければ、また天井が回る日がくるだろうから、その時に血圧が高いのか、低いのかをこの目で確かめたいものだ。何より健康が一番なんですがね。

フスペ

岩泉町安家の年々という集落からさらに分け入った石灰岩露岩の中腹に「桃ノ木洞」というちょっとした規模の鍾乳洞があって、今回はズサタン二人組に国内貨物船乗組員として働き、今回20日ほどの休みで陸に上がっていた山田町折笠の小林君を交えた三人でこれにアタックした。鍾乳洞は結構な距離があり進入してから500m付近が峠になっていて二又になっていた。一方は大小のホールが連続して行き止まりだったが、もう一方は地底に落ちてゆく感じの本格地下迷宮だった。最深部から先の岩に「降伏」の文字があり、そこからは30度ほどの岩盤スロープを果てしなく降りなければならない。今回はロープなどの下降装備もないのでこの「降伏」部分で探索終了となった。
帰りは岩泉の道の駅でフキノトウと葉ワサビを購入。帰ってからフキノトウはパスタとキッシュで、葉ワサビはナメコと和えて「フスペ」にして頂いた。ワサビの辛さがナメコのブドウ糖に反応してツーンときて旨い。

赤穴でドローンを飛ばす

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桃ノ木洞に同行した小林君はドローンの操縦もかなり上手だ。今回も年々上空や年々大滝などの空撮をお願いしたが、帰路、まだ電池があるというので岩泉町の「かけ山」付近の石灰半断崖にある「赤穴」の撮影を依頼した。赤穴は縄文人の痕跡が残る岩棚や岩庇的洞穴だ。女神橋付近から見ると石灰岩露岩が赤く酸化した状態で見えこの色が赤穴の由来にもなっている。この穴へは崖をつたう相当な装備がないと行けないし、現地まではかなりの迂回も必要だ。その点、ドローンなら真下から垂直に120mも上がれば穴の全容が見えてくる。その画像から見れば赤穴の深さはさほどでもなく、せいぜい10m前後で、相当に崩落が進んでいるようだ。穴は隣り合って二個存在するが、どちらかの穴には江戸時代に岩泉の鉄山代官所に詰めたと思われる役人が登っており、その役人の墨書きによる落書きが存在するのだという。ま、それを確かめようにも赤穴の難易度はズサタンのレベルでは到達は不可能だ。それほど岩泉町の石灰岩断崖は凄すぎるのである。