スーファミ、動く

ゲーム画面
その他ソフト色々
変色した本体
聖剣2の外箱
純正コントローラ

PCエンジンが動いたけれどバグ画面だったので、同様に長年倉庫に放置したスーファミもだめだろうと半ば諦めていたけれど、スーファミは接点復活剤で復活した。ただ、AVケーブルを使ったビデオ入力の方は稼働したが、本当は普通のファミコンと共用して楽したかったRF入力はだめだった。ま、こちらには接点復活剤を使わなかったからかもしれないから、再度、試みることにした。まずは裸のまま放置していたFF5をセットしたが、無反応。やっぱりなと思ったけれど、今度は箱に入りしかもナイロンの袋に入った状態で眠っていた聖剣伝説2をセット…。しばらくして黒画面にスクウエアーソフトのロゴが表示されタイトルが出てデモ画面がはじまった。心を落ち着かせ、連射コマンダーが付いたハドソンのコントローラーを挿したが、カーソルが上手く動かない。仕方なく純正に取り替えてスタートボタンを押した。ニューゲームを選ぼうと思ったが試しにセーブデータを選択したとkろ3つのデータが残っていた。主人公の名前も覚えがある。確かに自分が25年ほど前に遊んだままだ。懐かしいな。気を取り直してニューゲームを選択、主人公の名前を入れてスタートした。チープな絵のオープニングが始まり、最後に滝から落ちて目覚めたところからゲームが始まる。聖剣2はアクションロープレというジャンルなので、ボタンで敵を倒し経験値を積んでゆく。ザコキャラを倒しお金を稼ぎ村で装備を整え宿屋でセーブ。うん、まともじゃん。一端リセットし再び新しいセーブデータからスタートできた。おお、これなら10連休も楽勝で過ごせるではないか。と満足。実際は連休中も仕事満載ですけど。

無念、PCエンジン、復活ならず

大魔界村の一面です

もうハードは捨てたとばかり思っていたPCエンジンスーパーグラフィック。接点復活剤やコンプレッサーで埃飛ばしなど、できる範囲の復活メンテをしたのですが、画面が正常に映らない。RGBで言うと「青」に関する信号がきていない。つうか、青の部分が表示されないようだ。おそらくはどこかコンデンサが逝っているのでしょうが、なんとしても諦めきれない。修理は無理でも外装を開けて中を見なけりゃ「ああ、手に負えない」と納得もできない。しかし、そんなかすかな希望も、筐体を締め付けている特殊ネジのため、これを緩めない限り開けることができない。ネットで調べたらこのネジはDTC-27という特殊なネジ。スーファミやそのソフトなどに使われていて、解体させないための対策らしい。これらのネジは「任天堂ネジ」みたいな名前で通っていて、任天堂ゲーム機解体専用の特殊ネジを外すドライバーやコマがセットになったものも販売されているようだ。このネジは、見た目はリベットのように頭はボウズなんだが、周囲に6個の小さなひっかかりの溝があって、ここに専用ドライバーのDTC-27を差し込んで緩めるらしい。しかもネジは筐体に深めの凹みを作り上物と下物を合わせてネジ止めする機構で、自作工具や曲りのあるピンセットとラジペンなどを使ってネジを触れないように二重三重の仕掛けがしてある。これはもう、専用ドライバーをアマゾンで買うしか手がない。諦めるにも諦めきれないから、連休明けに注文しよう。ならば、連休は、当初の目的通り、スーファミを復活させることにしよう。まずが倉庫にあるコンテナボックスを調べなきゃ。

PCエンジンと当時のゲーム機

往年のPCエンジン
初期型コントローラ
ソフトはかなりある
激レアソフトもある

レトロ感覚の郷愁に誘われファミコンをテレビにつないだのは正月だった。それから何度もファミコンゲームをやったが、腕が落ちてるから面クリできずに、いつも同じステージで飽きてしまった。ああ、今度はスーファミやりてぇ…と思っていたのだが、寒い時期に倉庫に入って探すのも面倒だった。そんな折り、来月の不燃ゴミを探すため倉庫に入ったら、懐かしいものが見つかった。なんとNECのPCエンジンの本体とソフトだ。ま、これを見つけたと同時にスーファミ本体とソフトも見つけたんですけど。今回は、まさかあると思っていなかったPCエンジンの方を部屋に持ってきた。PCエンジンはファミコンと同時に世に出たゲームマシンで、任天堂のライバル機種であり、両メーカーともしのぎを削って販売に意欲を燃やしていた。あの頃、僕は30代で知り合いがゲームショップを起ち上げると言うので、販売促進という形で参入した。売れるゲームをいち早く発見して、最安の64%掛けで売れ筋ソフトを仕入れるため電話やFAX、東京出張に奔走した。ゲームメーカーは初回一定量しか生産しないから人気が出そうな兆しのソフトの掛率はうなぎ登りだ。発売2ヵ月前で70%、明日は80%、発売一週間前は95%という無謀な掛率もザラにあって、スーファミ本体が新発売された時は本体95%掛けに抱きソフト2本(強制的にクソゲーソフトが割り当てられる)というのもあった。発売当初の価格はなんと25000円。仕入れは23750円+消費税3%。儲けは1000円を割り込む、しかもクソゲーが溜まるから、卸屋に習ってこちらも本体に抱きを1本つけて客に販売する。ソフトは6800円ぐらいだから、本体を買うと合計で30000円は飛んでしまう。品薄とはいえ酷い時代だった。儲かったのは任天堂だけであろう。その時代、NECはPCエンジンにCDディスクを接続する、CD-ROMROMというドライブを発売しCD情報の画面の美しさとサウンドを強調したが、当時のドライブの速度は甚だ遅く、読み込みのストレスは 瞬時に演算する スーファミのRAMにはかなわなかった。そしてハンディーマシンでも任天堂のゲームボーイに遅れをとり、NECはゲーム業界から離脱、新たに独自のフォーマットで走らせる、ソニーのプレステが参入してくるわけだ。そんな時代を懐かしく思いながら、PCエンジンコアグラフィクス、動いてくれよ。

春の大掃除

ベットを待避
パレットをどかす
ばばあの布団を干す
元は納戸だったT字部屋

連休前に部屋の大掃除をしようと思っていたが、競馬のGIシーズンがはじまると、日曜の午前中は競馬研究で終わってしまうため、掃除などままならない。そこで中旬の日曜日、G1レースの合間、難解かつ予想が難しいG2レースしかない日に朝から掃除をはじめた。自分の部屋は普通の6畳間に押し入れが付いた部屋とその裏にあった納戸を結合したT字の部屋だ。結合部分は6畳間の押し入れで、これを自力でぶち抜いて板の間に改造した。納戸は横長の5畳間で二間が連結したのでアルファベットの「T」の字に似た部屋となったわけだ。納戸だった部分に工場等で使われたキャスター付きの台座を9枚敷いて、そこに印刷所からもらってきた木製のパレットを四枚敷き、軍用毛布で覆ったものが自作のベットだ。ここにニトリで買ったマットレスを敷いているのだが、ベットの下の掃除が難しいため埃がたまる。これを半年に一度ほどのペースで掃除するわけだが、やるとなると大掛かりだ。朝からやって2時間ほどかかり元の納戸的板の間の拭き掃除を終え、再び部材でベットを組み立てた。その間、ついでだから、毛布やシートを洗い、下に寝ているばばあのベットの布団などを干した。屋根に干しておいた毛布が裏山に飛んでしまい、仕方なく行ってみたら、タラの芽が出ていた。んじゃ、これもついでにと6個ほど収穫。天ぷらにして夕方のばばあの食事に活用した。

ニットの洗濯

風呂のタイルがレトロ
すすぎは足で
ニットにはやはりコレ
ニットは寝かせて干す

暖かくなったので冬に着たニットのカーディガンを洗濯しようとかなり前から思っていたのだが、今年は4月上旬にまさかの積雪があったりして、仕舞うチャンスを見失っていた。そんなとある休日、気温はあまり高くなかったけれど、三枚のニットの洗濯をした。中でも手間がかかるのがウール100%のシマシマカーディガン。これは昨年古着屋で買ったものでメーカーはVAN。暖かくて重宝するのだが、毛玉ができてしまうのが玉にきずだ。グレーのカーディガンは何回か洗濯機で洗ったら縮んでしまったので、最近は手洗いだ。茶色のやつは別にボロいからどうでもいいんだけれど、一応、ついでだから手洗いした。本来はリンス的トリートメント処理をしたかったけれど、最近、そんなハイカラなものは使っていないから、アクロン+手洗い+手すすぎ。そしてネットに入れて洗濯機で脱水した。その後は、伸びないように寝かせて干して、来シーズンまで保管だ。次は例年やっているダウンジャケットの洗濯だ。手首や襟の汚れがなかなか落ちなくて苦労するが、これもやっておかないと汚れが固着して取れなくなってしまうのだ。冬物はこまめに手入れが基本だ。

小さな幸福感

早速弁当タイム
青空と桜
疑木の橋
自作の弁当
四分咲き。風は冷たい
カラフルな鳥の遊具

桜が咲いたので、外で弁当を食うことにした。朝と夜は必ずばばあに飯を作るので、作り置きのおかずは豊富だ。自分の弁当はそんなばばあ用のおかずの余りを詰めたものだ。昼休みの時間の縛りなどない自由業だが、この時期は締切も迫っており、どこぞの桜まで出掛けて行く余裕はない。近場の長沢桜堤公園ならクルマで3分ほどだから、今回はそこに決めた。弁当、水、お菓子、本をカゴに入れ出発した。クルマは公園裏側に路上駐車して堤公園の裏最深部から入って空いているベンチに座った。人はあまりいないが、東屋に陣取ったおばさん連中が「がははは…」と大声で笑っている。笑い声が大きい人って、自己主張が強く、馴れ馴れしいから嫌いだ。そんな大声で笑わなくとも相手に意志は通じるだろうに、と思うのだった。よほど桜に浮かれたのか周りの視線を集めたいのかわからないが、大声で笑うおばさん連中は終始笑い続けていた。あと、犬連れも多い。犬同士が出会うと吠えあったりしてこれもうるさい。ま、それでも、今年も桜が咲いて、なんとかその下で弁当も食えた。小さな幸せを積み重ねて、悔いのない人生を歩みたいものだ。

腐っても、ジャガー

直6、SUツインらしい
シンプルなエンジン
レトロなインパネ
美しいテールライン
猫科の証し

天気がいいのでバイクを出した。乗ったのはセパハン仕様の旧車・GB250クラブマン。どこに行くあてもなく45号線を北上したけれど、鍬ヶ崎あたりから急に風が冷たくなって、ズサマライダーは旧浄土ヶ浜有料道路から街へUターン。そのまま、築地通りを走っていたら、知り合いの車が止まっていた。車種は古いジャガーxj。年式は1960年代後期であろう。この車は太田名部という普代村の水産加工関係の会社の社長さんが乗っていて、そのまま不動車となり放置されていたものを、当時岩手県議会議員だったKさんが購入し、宮古まで牽引してきてレストアしたものだ。当初走るまでに仕上げた状態で100万円ほどかかったようで、この顛末を取材して、記事を書いた記憶がある。太田名部からクルマを出してレッカーしながら宮古まで来る写真も撮った。その後、K議員さんの愛車となったが、高齢でもあることから、ジャガーはK議員の経営するスタンドの従業員で退社後は秘書もやっていた、僕の同級生のA(旧姓)くんの手に渡ったのだった。聞けば、宮古でのレストアでは不調だったらしく、その後に名古屋あたりのジャガー専門のレストアをするショップに預け、そこで再再塗装も行ったという。ボンネットを開けると小気味よい機械音でエンジンの調子はいいようだ。しかし、クーラントが焼けるようなニオイがしたから、おそらくポンプやラジエーターなどから漏れているのだろう。ライセンスを照らす照明ランプのレンズヒビがあって探しているが全国を当たってもなくて困っているという。広いトランクの左右に50リットルずつ入るガソリンタンクが装備されているはずだ、満タンにしたことはあるか?と聞いたら、あるわげねーべ。と笑っていた。金食い虫は幸せの証し。貧乏神ばんざいだ。