盆も正月もそんなの、かんけーねー

まさに年寄りは世の中の事情に関係なくやらかします。それは盆入り前にばあさんが通所している老人介護施設でコロナの感染が発覚して施設が10日から14日までの盆中ずっと閉鎖になったことからはじまった。その間ばあさんのデイケア予定が二日あったのだがそれが休みとなった。しかもばああは同じ送迎バスに乗っていたので濃厚接触者の疑いもあり自宅待機。その間、二回ほど自宅での下半身洗浄を頼んだりして、待望のデイケア再開の15日を迎えたのだが施設では念のためという理由で追加で17日まで休業するという。そんなこんなでデイケアが停止して一週間目に事件が発生した。食事の姿勢の悪さからきた朝食の誤嚥だ。食後にゴロゴロとなんだか変な音がして、ばばあはねばっこい涎をたらし、汁椀に吐き戻した。どうやらみそ汁のブナシメジ、ズッキーニあたりが詰まったようだ。背中を叩いても状態は改善しない、仕方ない呼ぶか。とまたしても三月に続いてまたも救急要請。またも県立病院でctスキャン。医師は吸引したらナスが出たと言っていた。ナスの煮びたしオカズに出したけど小さく切ったはずだ。どうして?おそらくデイケアもずっと休みだったし身体を動かしていないから気管と食道がつぶされた状態だったのだろう。とにかく食事をするときの姿勢がいけない。肺に食べ物が入ったら肺炎になるから深刻だが肺には何も入っていなかったようだ。一応は抗生物質のカプセルが処方となった。まったく人騒がせだ。当然、家に帰って普通にお昼も夕食も食った。ただ、みそ汁は今後もう要らないという。さすがに懲りたんだな。あと、病院の駐車場まで車いすで運んで、椅子を返却していざ帰る段になって「おしっこ」だという。また病院の車いすを出して病院の多目的トイレへ。済んでから車まで運び再び返却、もーいやになる。盆明けの初仕事は午前中丸つぶれ。

お盆って、今後どうなの?

お墓の存在もこれからの課題です
毎年作るお盆の施餓鬼棚。これも簡略化の対象だね

最近の世の中は伝統国家と新人類国家の戦争を成金国家が見守る構図だ。その戦争構造はやくざ映画の抗争を描いた「仁義なき戦い」にも似ている。言うことを聞かない新勢力と旧態依然とした伝統勢力の戦いが血で血を洗う。その戦いは水面下で政治や地域経済にも影響してゆく。人は生まれ子孫を残しそれを繰り返し領土を守り国家を築き生きてきた。その営みが伝統と歴史であるならば、過去の侵略や強奪も歴史であろう。先祖を敬うとはそんな歴史も含むわけで、死ねば誰もが仏の使徒となって生前の悪事がリセットされていいものだろうか。先祖ではなく顔を見知った自分の親兄弟や従妹親戚ぐらいを敬うぐらいがちょうどいいのではないかと思う。施餓鬼と称して不特定多数を供養したり、寺や墓に詣でるのはもういいんじゃないか。というより、今までの風習を守りたい人はそのまま守ればいいし、省略、簡略してもいいと思う人は辞めたらいい。お盆は正月並みにお金もかかるし、もっと経済的で簡易な儀礼にしていくべきだと思う。結婚式も葬式も昔に比べたらずいぶん簡略化されてきた。イナカのお盆だってもっと簡単にしていいと思う。

マンガが変わる瞬間の作家

これはひばりクンを知らない人も知っている有名なイラスト
香蘭社製保存箱付き、ひばりクンのお皿。オレンジをチョイス

偉そうなことは言えないけれど、かつて週刊少年漫画を愛読していた。高校三年のころは「少年チャンピオン」にはまった。鴨川つばめの「マカロニほうれん荘」と山上たつひこの「がきデカ」手塚治虫の「ブラックジャック」の柱に「ドカべん」「ナナハンライダー」「エコエコアザラク」だ。その時代、文句なしに買って損のないマンガだった。しかし、それはまだ少年漫画の掌であり、偶然にもその時代に少年チャンピオンが質のいい作家の連載をかかえていただけで、その時代はすぐに終わった。そして自分はマンガに飽きた。あのチャンピオン時代のような面白い週刊少年マンガにはもう出会えなかった。そうやって行きついたのが週刊少女漫画だった。はまったのは週刊少女コミック。今となっては連載が「つらいぜボクちゃん」「洗礼」「トーマの心臓」「ファラオの墓」ぐらいしか記憶にない。そうなのだ、その時代、昭和51年から数年間の少年漫画は完全に低迷していた。そんな時代を根底から破壊して、少年漫画の新時代、いやかつての手塚マンガを上回る新しい画風でデビューしたのが、週刊少年ジャンプに連載した、鳥山明の「ドクタースランプ」だ。そしてマンガ新時代の覇者は次々に少年ジャンプに現れた。「すすめパイレーツ」「ストップひばりクン」の江口寿、「コブラ」の寺沢武一、「東大一直線」の小林よしのり、「キャッツアイ」「シティーハンター」の北条司、「キン肉マン」のゆでたまご、「北斗の拳」の武論尊、「こち亀」の秋本治などだ。再び買って損のない週刊少年マンガの時代が到来したといえる。この時期、少年漫画の王道は集英社のジャンプで他社のマンガは追従すらできない状態だった。マガジンの「釣キチ三平」、サンデーの「がんばれ元気」程度ではジャンプの牙城はびくともしなかった。そんな時代の江口寿史の「すすめパイレーツ」「ストップひばりクン」は斬新だった。絵もシュールでギャグセンスも最高だった。晩年、江口寿はマンガからアニメへそしてイラストレターへ転身し美少女を描く第一人者として頭角を表す。美少女と言っても今風の魔法少女とかそんな作家さんの特徴がマニアックすぎて皆同じに見える少女を描くのではなく、江口寿テイストの美少女なのだ。とはいえ、自分的には江口寿が描く美少女より、オトコキャラの方がギャグがあって好きだ。ま、厳密にはひばりクンもとびきりかわいい女装の男なわけで。そんな江口寿のイラスト展「彼女」が県立美術館で開催された。最近刺激がないから見た方がいいなと思って足を運んだ。ミュージアムショップで図録ではなくストップひばりクンの皿を買った。香蘭社製で8800円。高いがしゃーない。やっぱ江口寿の基本はひばりクンだから。

自家製ドライトマトケークサレ

オーブントースターで作ります

ちょっと細長いミニトマトって皮が固いし酸っぱくて甘味が少ないのでサラダの飾りに生で使うのは不向きだ。そんな細長のミニトマトはへたを取って半分にして切断面に軽く塩を振ってオーブントースターで焼く。焼くというより低温で水分を飛ばす感じで焼く。オーブンの温度は80度から100度で50分ぐらい。切断面がジグジグするぐらいまでが目途。焼いたらそのまま半日ほど乾燥させて軽く刻んでケークサレの生地に混ぜる。その他の具材は緑のオリーブ、プロセスチーズ、フライドオニオンなど。ケークサレの生地は業務用ホットケーキの生地200グラム、牛乳200CC、全卵1個、塩少々。これをよく混ぜて最後に具材を入れて型に流す。飾り用の刻んでいないドライトマトを飾って粉チーズを振って、100度のオーブンで40分ほど焼けば出来上がり。冷蔵庫で冷やして翌日あたりが食べごろ。赤ワインのアテに最高。

夏はそうめん

ワサビより柚子胡椒が旨い

そうめんは旨い。のど越しといい淡白さといい、たまらん。ただ、麺ツユが単調で飽きる。だから昔から色々なツユを試してきた。若いころは袋詰めそうめんの半分程度は軽く食べた。もちろん一袋丸ごと茹でて平らげるツワモノもいたが、さすがにドリフのコントじゃないんだから、そうめんという食べ物は無理して食うものではない。中華ドレッシングで冷やし中華風とか、セパレートドレッシングでサラダ風、まよケチャゴマ油でこってり系とか、若いころは色々やったけれど、今はストレート麺ツユに三つ葉、パクチー、レモン、柚子胡椒で食べるサッパリ系が好みだ。麺はちょっと高いが「揖保乃糸」で3束ぐらいだ。沸騰状態のお湯に入れてほぐして火を止め蓋をして4分。あとは笊にあげて冷水で洗い氷水で締める。あとは一息でズール、ズールと品悪くひたすら食べる。これこそ夏の風物詩だ。

プリウスシャコタン&竹やり直管

モーター走行時は竹やりは無音です

セドリックやクレスタ、マークⅡなどのミドルクラスの高級車が年式落ちとなって、価格が下がったあたりで、ちょっととっぽいお兄さんたちがセレブ感で乗り回し、そのお古が後輩なんかに回ってきて、完全に族車仕様になるというのは古くからある自動車の法則なのだが、近年、暴走族などという活動が下火でそのテの車は特殊な趣味エリアにおかれているのだが、久々にやってくれました。なんとベースはハイブリッド車のプリウス。これの車高をべたに下げて前後にオーバーサイズのホイールを履かせ「ハ」の字。排気はオリジナルの直管。ハイブリッドだから電気で走行しているときは無音、エンジンが動くとバリバリの爆音を繰り返す。プリウスを族車にするという発想は、地球環境を考える新しいタイプの族なんだろうか。

新しいタイプの自販機

食品を扱う新しいタイプの自販機

宮古は地方都市などと言っているが、未だにセブンイレブンがない「市」なんて現在の日本レベルではイナカの部類だ。そんなイナカのこのまちに、一風変わった自販機が登場した。おそらくはレンチン前の冷凍調理品だろうがラーメンやシュウマイ、ホルモン、はてはアイスまで売っている。買ってそのまま食べられる品と、家に持ち帰ってレンチン調理するタイプが混同しているかんじだ。その名も「クマサンボックス」。もしかしてかつてラーメンチェーンを展開していた「熊さんラーメン」なの?それともまったく違うパターンの会社なの。
今のところこの自販機は生協DORA店第二駐車場前に設置されている。利用率はどうなんだろ。むかし、そう中学校の時に二幹線にあった24時間営業の自販機だけの店で深夜に喰ったうどん、旨かったな。そんな深夜利用のイメージの自販機だけど、こんな人通りが多い場所に置くなんて、今はそんな時代じゃないんだね。

お盆のディスプレイ

1968年公開東映ゴジラシリーズ9作目「怪獣総進撃」

玄関のディスプレイを夏向きに変更した。怪獣映画のポスターとタカラガイなどの貝殻だ。なんで夏に怪獣かといえば、その昔、自分の少年時代には夏といえば[「ゴジラ映画」と「東映チャンピオンまつり」が定番で、一学期の終業式が終わって荷物を抱えて帰る際に、校門のところで映画館の人が優待券を配っていたものだ。家に帰っておひとり様100円程度の割引しかない優待券を親に見せて映画に行きたいとせがんでも、当然、無理。そんな中で団地内のどっかの家の子が親と映画に行くという情報を仕入れてきて、その家の親に引率を頼んでもらって映画を観たりした。
チャンピオンまつりのは、テレビでやっている番組の特別版やアニメを集めた「まんがまつり」の時もあった。まんがまつりは男の子向けと女の子向けが同時上映されたり、東映のオリジナルアニメもあった。髪型や服の色、声優が微妙に違ったりして違和感があったが大きなスクリーンで見るのは迫力だった。
さて、今回飾ったのはゴジラ系映画では9作目になる「怪獣総進撃」だ。話は毎回違うのだが最終的にはゴジラと地球怪獣連合が、三本の首がある宇宙怪獣キングギドラと戦うというパターンだ。このポスターは豊間根の映画館で上映された時に実際に貼られたものを知人から譲り受け、手持ちの額に入れたものだ。映画上映は1968年だ。

漂着したカルイシを拾う

拾った軽石は銭湯アイテムとして利用

先日、ズサタンの取材で青森県の種差海岸を含む潮風トレイルのコースを歩いた。その際に約2キロほどの海岸線が続く大須賀海岸を歩いた。この海岸は人工物がない砂浜で映画のロケなどに使われるらしい。海岸の南側の付け根は漁港と白浜海水浴場になっていて、海水浴客が楽しんでいた。浜を分断する沢が流れていてその先の北側が大須賀海岸で遊泳禁止らしい。遠浅の海岸はいい波が寄せるのでサーフィンのポイントになっているようだ。そんな海岸をビーチコーミングしながら歩いてタコノマクラやスカシパンを拾ったが、そんな収穫に軽石があった。もしかして昨年に噴火して大量の軽石被害を出した小笠原の海底火山の軽石なの?つうより、あの漁船のエンジンを焼き付けさせるという軽石はどこへ行ったんだろう。きっと世界中の海に広がって最終的には粉砕されて沈んだり、こうして一部は海岸に打ち上げられたんだなぁなどと思った。こりゃ、何かの縁だ、拾って帰ってその日の銭湯へ持参、かかとをこする風呂用に使うことにした。

南部潜り

民俗資料館の南部潜り顔出し看板

先日の種差海岸潮風トレイルの追加ネタとして、洋野町の民俗資料館に寄った。洋野町は平成18年1月1日に九戸郡種市町、大野村が新設合併し発足した新しい行政区だ。県北久慈市に隣接しているが青森県の八戸都市圏に属していることから、八戸市との将来的な越境合併も視野に入れているらしい。実際、すでに岩手県というイメージは希薄で、なんだか青森県の延長という感じがする。歴史的にも世継ぎを残さず没した南部藩主に対するペナルティーによって幕府が分割して新たに新設した八戸南部であり、これが明治維新後廃藩置県で青森県に取り込まれている。かつての南部藩の領地は恐山にいたる下北半島を含んでいたが、江戸中期の八戸南部藩の新設、明治維新の伊達藩寄りの佐幕思想政策が裏目に出て維新後に北側の領地を失っている。とは言え、藩境、県境の市町村は越境しても大都市圏との共存を求めるのは当然だろう。種市には南部潜りという特殊な潜水土木に関する技術が伝承されている。詳しい詳細はパンフレットに記載されるが、種市高校にその専門科があってそこを卒業すると潜水夫として特殊な仕事に就けるという。資料館にはそんな南部潜りの資料と、幕末に大量に鋳造されたらしい「鐚銭(びたせん)」などが大量に展示されていた。そんな資料館入り口の潜水夫顔出し看板で記念写真を撮った。