懐かしの看板デザイン

マジック手書き看板
この店が大野屋

その昔、というか、はるか昔の僕がまだ高校生だった頃、従兄弟の兄ちゃんに連れられて入って酒を飲んだスナックがあった。その名もモンマルト。その店は宮古国際劇場という映画館の近くにあって土曜日のオールナイト興行が終わる深夜2時頃でも看板の明かりが灯っていた。店の印象は細長いカウンターのイメージでさほど特徴はないのだが、看板のデザインが洒落ていた。黄色地のあんどんにマッチ棒で人の顔を作ったようなマークにモンマルトの文字があった。たしか文字は緑だったと記憶している。僕は高校卒業後、川崎のピアノ技術専門学校に進み、のちに都内のヤマハ支店で修行し宮古に戻ったのだが、その時はすでにその店は消えていた。しかし、その数年後、大通りの雑居ビルに黄色の看板を発見。モンマルトが再開していた。けれど、僕はその店に入ることはなく何十年もの歳月が過ぎ、そして震災もありその雑居ビルは解体されたのだった。そのビルには確かモンマルトの他に、90年代当時、一世を風靡した「ブスの館」というスナックも入っていたと記憶する。
つい最近、不覚にも宅飲みで二日酔いだったある日、会社で持参の弁当を食う気になれず、とある食堂でラーメンを食ったのだが、その店の前に昔のモンマルトの看板があった。それは、看板屋が作ったものではなく、店主が白看板にマジックで描いた看板であったが、昔見たあのデザインが継承されていた。
聞けば、その店、食事処・大野屋の女将は当時のモンマルトのママだったという。映画館近くの店舗で3年、その後、雑居ビルに移って30年間スナックとして営業したという。その後震災を契機に閉店、介護関係の仕事に転職したが、また再び食堂として飲食店再開、最近は夜の部も営業するにあたり昔の看板を出したらしい。ちなみにラーメンにはチクワが入っていた。昔の人によればチクワ入りはかつて、宮古駅前引揚者マーケットにあったニコニコ食堂式だという。もしかしたら、モンマルトってニコニコ食堂にも関係してるのかも?物事って調べると奥が深いものだと我ながら感心するのでした。

秘境岩泉の紅葉とズサタンそば

湧き水で茹でた
石灰岩の断崖
断崖を流れる滝
猿沢の激流
日除けテントが凄い

岩泉町には「岩泉30景」というのがあって、岩泉町内の見所や名所を羅列している。その30景の中に石灰岩の断崖と川の景観が美しい丹洞という絶壁がある。垂直に切り立った崖には地下水がしみ出ていて、紅葉が際だつという。ならば、その時期に。ということで行ってみた。しかし、その日はズサタン①は歯医者の予約、ズサタン②は母親の歯医者の予約が入っており、出発は午前11時を過ぎていた。岩泉の丹洞に着いた時には太陽が真上で西側は逆光であった。それでも台風一過だったせいもあり丹洞の崖、左側に滝を発見。流れは途中から空中を落ちるため霧状になっていた。この発見で真冬の厳冬期には巨大氷柱の可能性もありと確信した。
紅葉撮影はロケハンしていた鼠入渓谷、猿沢渓谷などを回りそれなりの撮影を行い猿沢湧口でそばを茹でて野外での紅葉そばを撮影し早めに帰路についた。今回は近々探索する岩泉の宇霊羅山登頂のオカズとしてスットクという取材であった。最後に猿沢の雑貨屋さんの日除けテントは懐かしの盛岡南サティのビニールテントを改良したものでした。どうやって入手したのでしょうか。

 

ズサタン、紅葉の秋は堺ノ神岳

10月中旬、早池峰連山、対岸の薬師岳に次いで北上山地の第三峰とされる堺ノ神岳1391mに登ってきた。この山は自分が20代の時トライアルバイクで安庭山荘から和井内牧場まで走った時に牧野にいたおじさんに聞いて知った山だ。ズサタン相方はやはり20代の時に単独で登っていて、しかも高校時代に登山部の友人とも登ったらしい。とは言えそれはもう40年前の話で記憶もはっきりしない。何より当時の岩泉線押角駅から堺ノ神沢を登り途中からしゃにむに山頂を目指すコースだったらしい。現在のズサタン年齢ではそのような過激な山行は無理なわけで、今回はFTE223でのロケハンを踏まえ、岩泉町大川の川崎地区から川崎林道で兜山放牧地方面まで行き、その分岐にある登山道を行くことにした。行程は片道約3.5㎞ほどの軽登山だ。
登山道分岐の標識脇には杖になりそうな小枝が集められておりこの道が心ある人の手で管理されていることがわかる。TW的なジグザグを過ぎるとゆるい傾斜の登山道となり、紅葉真っ盛りの広葉樹の森を行く。所々に看板があり例によってクマの囓り跡が目立つ。そのうち水がしみ出た湿地帯になり植物相が変わる。道は大きく巻くような感じでクマザサとダケカンバの林になってゆく。標識番号10の所には管理小屋跡がありその潰れた廃虚にかつての生活の痕跡を探す。ここから道は急傾斜となりダケカンバの林を行く。そして赤い鳥居がある場所に到達。ここから自然石で造った階段を登りモナドックとなった山頂を目指す。この日は何の御利益か恵まれた日で、晴天にほぼ無風。景色も最高だった。南には新山、白見山、南西に薬師、早池峰、その手前に害鷹、夏苅、サクドガ…など1000mクラスの山が見下ろせる。西には姫神、そして岩手山、北に八甲田、そのまま見渡すと安家森、毛無森、亀ヶ森、峠ノ神山…。そして戻れば国道106号から340号に入った茂市あたりが見える。麓のあの辺りから見た一番高いピークにいるという実感が湧いてくる。山頂には明治期に奉納された石宮と石の権現様がある。鉄の奉剣や御幣、お賽銭が供えられていた。ズサタンではコンビニで買った吹雪饅頭を2個供え、1個をお守りとして食べて山頂を降りた。

頂上にて
茂市駅から
川崎林道を行く
兜山放牧場
石の権現様
シグマで撮影

黒と遊ぶ。めぐさい父さん登場

新里方面で趣味の廃車コレクションで赤いWVを撮影をした帰りに、連休で会社もやすみだから、さぞ腹を空かしているだろうと思い、三時半過ぎに会社に寄ってみた。この日、いつもの場所で待っていたのはノラ子と白黒のブチの二匹。早速、ダイソーで買った棒付きの猫オモチャでひとしきり遊んだ。ノラ子は大人だからおもちゃをちらつかせても無反応。老メス猫は食欲のみに反応するらしい。その点、ノラ子の子どものブチ(雄)は大はしゃぎ。このブチは三匹の中で一番ガタイが大きくすでに母親ノラ子の体格を上回っていて、最近は二三日旅にでたりもしている。近いうち親離れしてオス猫として生殖活動とケンカに明け暮れる日々を送るのだろう。この日は、ブチ茶シロ(雄)と一番ガタイが小さいキジトラ(雌)はどこかに行ったらしく見あたらなかったのだが、その代わりとしてこのノラ子一家を影から支え、エサを横取りするノラ子の彼氏が登場。彼氏と言っても、若いオス猫と恋仲になるノラ子にとってさほど頼っているような素振りはなくいつも素っ気ない。ノラ子の後を流しの若い雄猫が追い、その後から彼氏が追い、いつもケンカとなり血だらけになって負けるのだが、いつのまにか再びノラ子の所に帰ってくる。おそらく、ブチの割りに白い部分が多い茶シロブチの親は、このノラ子の用心棒の種と思われる。このめぐさい父さんは生粋の野良で、エサを食いにはくるが人気があれば絶対食わず、人が立ち去ってからエサを食う。近寄るとフーッと威嚇音をだして警戒する。それにしても自分がエサをやったり猫と遊んでいるシーンを撮ってもらえるなんて最高です。

ノラ子はあきれる
結構、本気になる
エサを待つノラ子
めぐせえ父さん登場
黒とノラ子
育ち盛り

降水確率0%、釜石大観音参拝

降水確率0%という予報に、こりゃ、明日はバイクだと心に決めていたけれど、いざ翌朝になるとかったるい。二度寝までして10時30分にバイクを引き出す。いつもなら、日曜のお昼はばばあの昼食も作るのだが今日は菓子パン。何処へ行くかも決めずにバイクに跨った。とりあえず45号線を南下して釜石まで行き、帰りは遠野回って…。というハードな行程も思い浮かんだが、それは走りながら決めることにしてとにかく南下。途中、大槌から土坂峠、新山高原などのコースにも気持ちが揺らいだけれど、今日は釜石、なんなら唐丹、吉浜あたりまで走ってもいいかなと思ってた。釜石から大船渡方面へのバイパスを通ったら、岬の向こうに白い観音様が見えた。うん、しばらく行ってないし、取材も兼ねて行ってみるかとムクムクと仕事欲も湧いてきたので、今日の予定は釜石大観音参拝と決めた。
釜石大観音が落慶したのは昭和45年。この年は岩手国体があった年で、釜石はバドミントン競技の会場だったという。その時、大観音下の北側には市営の温水プールがあったようだ。このプールがいつまであったかは知らないが現在そこは釜石大観音参拝用の無料駐車場となっている。駐車場から観音様がある入口山門までは、釜石大観音仲見世商店街があって昭和時代はおみやげ店や食堂などで賑わっていたが、今やそこは廃虚となっていた。それでも唯一15年ほど前までは確実に営業していた中華食堂があって、以前、観光パンフレットの撮影で訪れた時にそこでカツ丼を食った。その時同行のADが「店内が浜崎あゆみだらけのレトロな食堂がある」と情報を教えてくれたのだった。入ってみるとなるほど店内は浜崎あゆみのポスターやコンサート会場で売っているアイテムだらけ。その店は女将一人で切り盛りしており彼女が熱烈なファンなのかその、ダンナ?あるいは子どもがファンなのかはわからなかった。トイレまで浜崎あゆみポスターであった。そんな昔を思い出しながら訪ねたのだが、その店はすでに終わっていた。ただ、長い間ご愛顧…の貼り紙が比較的新しかったから閉店したのはつい最近であったと思われた。
仲見世商店街を過ぎて、山門を潜りゲートで拝観料500円を支払い入場。実は、拝観料を払って中に入ったのはおそらく50年振りぐらいだ。記憶では小学校3年の時に釜石の親戚らと参拝したっきりだ。展望台が観音様のおっぱい部分だったという記憶と内部に寺のような施設があったことを覚えている。12Fまで螺旋階段を上がり海抜120mだという展望台に出た。子どもの頃に見た印象が蘇るがあまり感動はない。上を見上げると観音様の鼻穴が見えそこは塞がれていた。自分は神仏をあまり拝まないしお願いもしない。神や仏は発動させないという体勢で向き合うようにしている。
参拝後は腹も減り、釜石の老舗たこ焼き屋、大正軒へ。店内でタコ焼きハーフと焼きそばとコーラで一段落。ちょっと早いけれど午後2時過ぎ45号線を北上、3時過ぎにズサタン本部でティータイムとなりました。

今日も真っ白ご健在
仲見世通り
食堂も終わっていた
展望台から
店の前
タコ焼きと焼きそば