髪を染めた

こんなになるなら苦労はしない。過激なブリーチ必須

人生最後の希望は髪の毛をキンパツに染めることだったが美容院で見積もりしたらカットなしで18000円ぐらいだと言われた。ブリーチ2回とカラーリング2回らしい。しかもその所要時間たるや5時間強。やってらんない。しかたないから自分で染めることにしたが今更ブリーチやって髪を痛めてしまうのも辛いから、キンパツ系は諦めて、おとなしく白髪染めにした。白髪になっている部分をアッシュグレーメタリックにそめることにした。茶髪はさすがにいい歳だからやめて、落ち着いた色で手を打つのが無難であろう。ブリーチは何度もやったことはあるが毛染めは初体験だ。知り合いから色々と情報を集め洗面所で敢行。ここなら電気ストーブもあるし半裸でも風邪ひかない。あれこれやって溶剤塗るのに30分、定着に30分でなんとか白髪部分が黒というかグレーにそまった。やってみてわかったことは髪を染めると一気に5歳ほど若返るけれど、きっと色が落ちてくると不安になってまた染めてを繰り返すのだろうというのがわかった。鏡に映る姿は50代後半ぐらい。離婚したばかりの頃の自分に見えた。髪って、やっぱ、ハゲに白髪などなど、見た目にすげー影響してるんだなと実感した。

おでんとタラフライ

シンプルなおでん
鍋用の小鱈を使ったタラフライ

ばあさんのショートステイ最終日、せっかくの介護オフナイトなので、バスにのって夜のまちに繰り出した。さいしょはよく知っている寿司屋にいってみたが、カウンターは満席。うーんちょっと甘く見てた。しかたないからライブでお世話になっているいつもの店へ。ここでびんビール飲んでナポリタン。それからはしごして知り合いの居酒屋へ。ここは料理はいまいちだは、店は汚れてるわでひどいが、たまに顔を出してやるか。まずは純米酒をもっきりで。つまみはおでん。どうやらマスターはおでんが自慢らしいが、しょっぱすぎだ。これも客があまりこないからなのだが、あまりのしょっぱさで酔いも醒めた。結局8時30分に切り上げタクシーで帰宅。なーんだこれなら8時10分の路線バスの方がお得だった。
そんなわけで、後日、おでんを作った。具は厚揚げ、チクワ、ダイコン、コンニャクのみ。しいかりとったダシで煮て甘みそとカラシでいただいた。もちろんしょっぱくない。やさしい冬の味だ。翌日は冬メニューの定番タラフライ。これは鍋用にぶつ切りになったやつを買ってきて身と骨を切り離してひと口大のフライに揚げたもの。これだとばあさんも食うし、翌日は弁当のオカズとしても使える。つくづく思ったが、夜のまちが恋しいなんて幻想だ、散財しておいしくないものを食うなら家でちまちま飲んで食った方がだんぜん充実してると思った。

強風吹きすさぶ安家森と鹿糠平

奥が遠別岳、手前が安家森
今回のログ

ズサタンは安家川と馬淵川の源流となる安家森へ。前日、日本海にあった寒冷前線通過の速度がことのほか遅く、太平洋側に雨が降ったのは翌朝になってからだった。雨はさほど強くはなく午後から晴れ間が覗くという天気予報だったので、小雨の中、葛巻の袖山高原を目指して340号線を北上。昼過ぎに袖山高原・俳句の丘駐車場に到着。しかし天気はまずまずであったが寒冷前線に向かって吹き込む強い西風。平地でも最大で20mは吹くと予想されていたから標高1000m超の遮蔽物のない牧野は尋常ではない風だ。車のドアなどバキッともっていかれそうな勢いで、大げさだが足元がもたつくほどだから瞬間には30mほど吹いたかもしれない。そんな風のなか標高1281mの安家森へ向かった。空を流れる雲の速いこと速いこと。天気はころころ変わり小雨が叩きつけたり虹がでたり。それでも牛を再放牧することで野芝を復活させたという「鹿糠平」の草原の海を渡り無事帰還、帰路は安家川沿いの大坂本地区へ出て、安家から龍泉洞を経て三陸道へ。大坂本では相当にレアな廃車を見つけて撮影、数か月分の連載の元をいただいてラッキーだった。

ヤマハ同期会とはじめてのショートステイ

仙台駅、三番線から空港アクセス線に乗って集合場所の仙台空港へ
ハワイアンズは子供のころ以来、夕食はバイキングでそのあとはショータイム
外国暮らしが長いと普通にポルシェだもん

11月半ばにピアノ技術学校の同期会があるので、数か月前にケアマネジャーに母親のショートステイを希望していることを話したら、何とかなりそうだという。同期会はコロナがあって四年ぶりの開催で、その間に同期の二人がALSと白血病で亡くなっている。そんなこんなで会えるときにあっておこうという誘いもあって今回は参加することにしていた。しかし参加はいいが問題なのは介護度4の母親のショートステイだ。以前は介護度2で申し込んだのだが受け入れてもらえなかった経緯もあったし、何より年寄りの体調というのは不確定だから当日あたりに不調をきたすこともままある。同期会は福島のハワイアンズ、昔で言う常磐ハワイアンセンターだ。何はともあれ出発前の日に母親をショートステイに送り出し、翌朝は早起きして106バスで盛岡まで出て新幹線で仙台へ。仙台空港で仲間と待ち合わせてハワイアンズへ。強行軍だったが、昔の仲間と会うと顔もほころんで昔話に花が咲く。一泊後、今度は仙台から高速バスで宮古まで4時間のバス旅。ケツが痛くなったがその間、ズサタンで登った安家森と三閉伊一揆の原稿を執筆。帰ってからは数日間母親がいない介護フリーの日々を満喫。やっと骨休めができた感じ。しかしショートステイから帰った母親、その日の夕方にいきなりのオムツ外し事件で、せっかく洗濯して用意しておいた寝具は全部小便まみれ。夜2回の洗濯機回し。やはりオレは介護の星の下に生まれてきたのだなと実感。

古い写真

無くしたと思っていた写真が出てきた

オヤジが亡くなって遺品整理をしながら認知症に陥った母親はオヤジの衣類などを整理し終わるとこんどはすべてのアルバムから写真をはがし、これを箱や袋に入れて片付け、古いアルバムすべてを破棄してしまった。そこまでは許すが、はがした写真をどこに片づけたか忘れてしまった。アルバムはオヤジの母親のものや、自分が子どもの時のものもあり貴重だったのにどこにやったかわからないのだ。下手をすれば間違えて何かのゴミと一緒に捨てたかもしれないと思い半ば諦めていたのだが。なんと衣料品と一緒にタッパーに入れられていたのを発見した。カラー写真とモノクロ写真がまぜこぜになっていて時代が特定できないが、母親はアルバムからはがした写真を眺めては仕舞ってを繰り返してそのまま忘れたのだろう。カラー系は母親を含めた四姉妹の写真を少し残してほとんどを捨てた。すごい量だったが今更しかたがない。写真をプリントで残した昭和時代、写真の笑顔はどれも楽観的だ。写真とともに思い出も捨てる、断捨離とはかくも切ないものだと実感するのだった。

柚子マーマレード

苦みが癖になる柚子のマーマレード

柚子をもらった。聞けば盛岡のスーパーの創業祭で詰め放題で250円だったので大量に買ってきたのだという。そこから6個ほどをいただき、久々に柚子のマーマレードを作った。レシピは「自分用おかずノート」に記載してあるからページをめくって汚い字で書かれたレシピを参考にした。まずは大きめの鍋で柚子を丸ごと10分ほど炊くのだが、この炊いたお湯を風呂に入れてなーんちゃって柚子湯もやってみた。6個ぐらいじゃ効果はないのだけれど、これもこの時期ならではの気分。3回ほどに分けて砂糖を投入して煮込んでゆくと、黄色のゆずが夕日のようなオレンジ色になる。この瞬間が出来上がりの合図で火を止めて落ち着かせる。翌朝ビンにつめて柚子を頂いた方にとどけた。ヨーグルトで食べたり、チーズに載せたりもいいし、塩もみした大根に和えてもいい感じの漬物になる。

久々の手作り餃子

手作り餃子を作ったなのは5年ぶりぐらいだ
羽というより、クスサンの繭、スカシダワラ風

衝動的に餃子を作った。餃子の皮のパックって最低20枚ほど入っているから、今のように独り身状態になると一気には食えないから、手ごろで簡単な冷凍餃子の方に手が伸びるのだが、なぜか餃子の皮を買った。タネのニラとキャベツも安売りだったのにもまして皮も20%ほど安くなっていたのが購入動機だ。そしてその日の夕方、よーし今日は餃子食うぞと意気込んで仕込みに入ったら、なんと挽き肉を買い忘れ。がーん。んじゃ近所のマルホン(食料品店)へと向かったら改装中で休み、ふたたび、がーん。ダメもとでローソンに行ってみたがコンビニに豚ひき肉があるわけもなく、その日は餃子がお流れになった。んで、翌日、しっかり挽き肉を購入して久々に焼き餃子。まずまずの味に満足。やっぱ、手作りは旨い。これからはもっと餃子食おうと心に誓ったのだった。