久々に動画アップロードしてみました。うまくできたかな?
色々鯖などをいじったり、wpの設定を変えたりしたのですが、うまく読み込んでくれないので、直接記述でメディアを指定したらなんとかなったみたい。ちょっと離れると細かい事忘れてしまってるんですね。やはり老化はかなり進んでいるようです。
このブログの元祖カテゴ
久々に動画アップロードしてみました。うまくできたかな?
色々鯖などをいじったり、wpの設定を変えたりしたのですが、うまく読み込んでくれないので、直接記述でメディアを指定したらなんとかなったみたい。ちょっと離れると細かい事忘れてしまってるんですね。やはり老化はかなり進んでいるようです。
中津川沿いでギターを弾いていた頃は、年老いてゆく前に何かしなきゃと思ってがむしゃらに野外で演奏していました。そしていろいろな現実を経験し、年老いて行く前どころか、今は完全にスクラップになっていたことに気づかされました。そんな日々を過ごしていたのですが、かつての仲間たちから再び公園デビューをやるというメールをもらい、盛岡までギターを抱えて行ってきました。みんなそれなりに年齢を重ねいい顔になっており、久々の同志的感覚に楽しく唄って3時過ぎに散会しました。またやれる機会があればいいけど、今年はもう寒くて無理でしょう。こういう企画は毎週とか毎月第×日曜とかみたいに強制ではなく突発的にやることに意義があるような気がします。いつの日か岩手公園から誰かが本当にデビューする日がくれば楽しいですね。
連休は街中至るところでイベントやっていて賑やかすぎるので、車にギターを積んで早坂高原あたりに行ってみました。午前中はこの時期とは思えないほどの暑さでTシャツで出掛けたのですが、午後から冷え込み、しかも高原地帯は紅葉もはじまっていて、ほんと、アンバランスな格好です。早坂高原は突風でギターなんか出せない状態でしたが、峠を下って釜津田方面へショートカットする林道脇に大きな広葉樹を発見。早速、ここでギターを出して歌いました。通過する車もなく誰に迷惑かけることなく演奏しました。釜津田へ出てこの地ではバイク乗りとっては有名な「ぶるっく」でコーヒータイム。時間はすでに閉店の4時近くだったのですが、せっかくだから、だめもとで店内での演奏をお願いしたところ、快くオッケーとなり、ぶるっく店内での演奏となりました。お客はママさんと他1名。最近作った新曲「らぶらぶらぶ」、舟唄、神田川など数曲を演奏。ママさんに拍手をもらい帰宅しました。
夏はやっぱ、海でしょ。というわけでギターを積んで北部陸中海岸の某海岸へ。この海岸は津波のため海岸沿いの道が崩落したままで、ここへ来るためには国道から大きく迂回しなければなりません。しかも、その道はさほど人に知られている道ではないため海岸には誰もいません。被災前この海岸は夏になればキャンプも出来る海水浴場として多くの人が押し寄せていたのですが、今は無人で嘘のようです。かつて駐車場だったらしい場所に車を止めてあたりを見回すと津波の漂着物がちらばっていました。ギターを抱え歌いながら砂浜を歩いて短い夏を満喫しました。
それから、これまた、僕の密かな趣味。古い自販機を見つけたので紹介しておきます。まず、日清のカップラーメンの自販機。隣に日清純正のお湯の自販機がセットされていました。もうひとつはサンプルの入っていないパチ系の無名自販機。この手の自販機にはパチンコの景品で取ってきたサンガリアのジュースが似合います。2台とも岩泉町で発見しました。
この頃暖かいし、陽の暮れまでかなり時間があるので、仕事を5時で切り上げて、近くの閉伊川老木公園でギターを弾きました。この日は鍵盤ハーモニカでセッションしてくれる奇特な方がおりまして、うにまるオリジナルやビートルズ、演歌などでセッション。運動場では親子連れなどがサッカーの練習などしてました。いい感じで夏の夕暮れを満喫しました。こんな感じで楽器弾けるのって最高です。ローランドのアコギアンプは単3電池8本で駆動、初の野外使用となりました。
たまにはどっか変わった場所でギターを弾こうと思い、現在運休中の岩泉線の押角駅のホームへ行ってみました。駅は押角峠の手前にあって刈屋川源流部なため簡易な橋を渡るのですが、この橋が立入禁止になっていました。列車が通らなくなってもう数年が経ちますから長年点検されていないわけで危険というわけです。しかし、橋は頑丈そうですし、この橋しか川を渡る術がないので、渡らせてもらいました。
ホームには看板や時刻表、落葉時のスリップ対策の焼き砂のドラム缶などがありました。線路は赤錆びて、周辺は雑草に覆われており従来の秘境駅としてマニアたちに名を馳せた押角駅はすでに秘境駅から廃墟駅、交通遺跡になりかけていました。そんなホームに座り込んでモップスの『たどり着いたらいつも雨降り』中島みゆきの『怜子』を歌いました。
岩泉線が運休になったのは2010年7月31日岩手大川駅付近の崖崩れで列車が脱線したからです。事故による怪我人は少なく惨事にはならなかったのですが脱線箇所は重機が入れない斜面で列車を回収するのは難儀だったようです。脱線した崖崩れの原因は冬期間に斜面内部を流れる水が凍って膨張し少しずつコンクリートを浸食し最終的に亀裂を発生させ崩壊したものです。昭和17年に新日鐵釜石へ耐火粘土を運ぶため敷設された岩泉線にはこのような危険箇所が無数にあることから復旧が見送られたわけです。岩泉線の復旧には130億というとてつもないお金がかかり、利用客は減少する一方なわけでJRが躊躇するのも理解できますね。岩泉線は現在山田線と分岐する茂市駅から岩泉駅までバスによる代行輸送が行われています。