震災追悼ライブと震災物故者供養

今年で3回目のライブ
お客は8人
前日の異人館ライブ
テントで大助かり
10人ほどが集まった
豪雨の中で読経

東日本大震災から8年が経過した。自分が住む宮古市では約600弱の人が亡くなったのだが、その中には従兄弟が三人、中学の同級生が一人いる。その他にも知り合いや友人、その親や子どもなど多くが犠牲になった。震災の日が命日だから、お墓詣りやお寺参りをしたくとも寺も墓もわからない。なんせ、震災直後に亡くなった事を知ったとて、葬式もできずどこでどのように葬られたかもわからないのだ。その年のお盆に改めてお悔やみに伺えばいいと思ったが、避難所から仮設などへ移動しその行方もわからなかった。仕方ないから毎年、常安寺の震災供養費を拝むことにしている。この供養費の横に地蔵堂があって、亡くなった従兄弟は震災前には毎月24日の地蔵菩薩の縁日にお参りに来ていたのだ。自分は仕事の関係で石碑など調べているときに何度か出会い話をしたものだ。今はもう遠い昔だ。
今年の3.11は月曜日だったため、ズサタン本部・異人館での追悼記念ライブは前日の3月10日に開催した。このライブは2017から個人的に異人館で開催しており、昨年は実際の被災者である異人館マスターとの震災トークを交えて演奏している。今回はお客が10名でちょっと多めの5曲ほどを演奏した。
翌日は朝から暴風雨で、お寺の供養碑に行くのも大変そうだったけれど、いつも通り花屋で献花用の花を買い求め、雨風が強くなる中、午後2時45分に寺に到着。寺では雨除けテントを張り、参列者が横からの雨に対応するためビニールシート張って住職、及び僧侶が読経していた。雨風に対応してくれたのだな、こんな嵐だから、花を捧げ拝んですぐ帰ろうと思っていた自分が恥ずかしかった。やるな、常安寺。参列者は8人ぐらいだが、市民文化会館で行われる宮古市の合同慰霊祭にはない静かで質素な鎮魂があった。震災後、毎年、3月11日に常安寺に詣でて、慰霊碑に手を合わせ、ついでに墓所に眠る友人知人の墓を拝んで廻るのが定例なのだが、今年は嵐だったので墓巡りは後日だ。

靴下の新たなムーブメント

色合いを選んでペアに
別々の靴下をはく
片方だけ穴があく

靴はワークブーツの中古品を好んで履く。新品ではでないくたびれ感が好きなのだ。40代の頃は歳をとったらパリッとしたものを身につけろと言われたものだが、それはそれ。服飾は個性であり個人の自由だ。押しつけるものでもないし、決まりもない。靴だけでなく服だって自分はくたびれた感じが好きなのだ。しかし、いくら靴にこだわったところで、日本は靴を脱ぐタタミ文化だ。日常生活の中で靴を脱がねばならぬシーンは無限に存在する。そんな時に気になるのが靴下だ。カッコいいブランドのワークブーツを履いていても、靴を脱いだら三足で\490の特価品靴下ではなんかイマイチだ。安いのが悪いわけではないが、靴にこだわるなら靴下も、ちょっとはいいものを履きたいと思うわけだ。だって、自分は自由業だし、しかも自分で靴下を買うわけだから、靴下ぐらい何を履いてもいいわけだ。そんなわけで靴下だけは贅沢してちょっと奮発した靴下を愛用しているのだが、いくら毎日のローテの途中に安価な靴下をはさんでもいつかは穴が空いてしまう。以前までは穴あき靴下の利用方と言えばボロ布程度だったのだが、穴が空くのは片方が先で、もう片方は穴が空く手前であってもなんとは数回ははけるレベルだ。ならば、片方が穴あきでダメになった片割れ同士を新たなセットにしてはいたらどうか。靴下の柄や模様、色が片側ずつ違うのも新感覚であろう。はいてみたら、いいじゃん、結構。靴下が左右同じって概念って無意識だから。しかも、自分の場合は洗濯も取り込みも自分だから間違いもない。これから靴下を買うときは将来違うペアになるから再利用を考え長さとか気を付けて買わないと。