夏野菜はズッキーニ

揚げギョウザ
揚げイワシ
サバの竜田揚げ

久々にビーフン
ゾーガと高野豆腐
黒こんぶの昆布巻き
ズッキーニソテー
ブリトー
油揚げとウルイ
どぶろくで漬ける
揚げたサツマイモ
フキの煮付け

料理の写真も撮りっぱなしでまとめていなかったから、季節が5月中旬から7月までと幅がある。春から初夏にかけての「うるい」の煮浸しは毎年一回は作る。うるいは安くて大量だから、残りはトマトソースのパスタの具材で食う。クセはなくて独特の歯触りだ。春磯の「ぞーが」の煮付けも毎年やる。正式名は「すじめ」という名の海藻だ。1パックでも量が多いので残りは冷凍して2回に分けて食べる。大根と高野豆腐と市販の練り物であっさり煮る。今回は川井の産直で生のフキを買ったので、自分で茹でて下処理をして煮付けにした。翌朝の二度煮で汁を飛ばし茶色に煮詰めた。魚はイワシの開きを片栗粉を付けて唐揚げにして南蛮風の甘酸っぱいタレで絡めたものと、圧力鍋を使った鯖の味噌煮。揚げ物はサツマイモ揚げ、揚げ餃子など。あとは久々にケンミンの焼きビーフンを食ったが、やはり美味しかった。変わったところで、小麦粉を牛乳で溶いて塩少々で冷蔵庫で寝かせた生地を薄くのばして焼いてとろけるチーズを入れて折りたたんだ「ブリトー」というクレープみたいな料理。これがシンプルで飽きない。チーズの他にベーコンや調理したおかずでもいい。とにかく何でも包んで食べる、発展性のある料理だ。中学の頃、同じように小麦粉でパンケーキ焼いて食ってた頃を思い出す。
最後は田老のコンブを使った昆布巻き。田老の明神崎以北で採れるコンブは北海道の日高コンブなどと同種なのだそうだ。ちなみに名前は黒コンブ。これを道の駅「とれたろう」で買った。しかも一番安いやつ。180円也。これを半日水で戻し丁度良く切ってこれで牛肉を巻いてかんぴょうで縛る。一旦鍋で水から煮てアクをとる。この時、コンブがきれいな緑になるよう銅のパイプを入れて煮るのがコツだ。湯を捨ててこれを圧力鍋に昆布巻きを並べ、コンブを戻した、だし汁を入れ、調味料で味を決める。弱火で15分圧力をかけて冷まし、翌朝再び15分圧力をかけて冷ます。何でもそうだが煮崩れの心配がある食材は2回に分けて圧力をかけるのがコツだ。必殺パンチで決めるのではなくジャブをコツコツ当てていくやり方だ。圧力鍋は固い肉をトロトロにするだけが能じゃない、これぞ長年台所に立ってきた秘訣だ。
あ、それから、とれたろうで、コンブと一緒に手頃な大きさのズッキーニを買った。万能食材のズッキーニはソテーしてオリーブオイルをかけて食うのが一番うまい。ほんと、夏はこれが好きだ。

シーガル弦張り替え

本体側
紙ヤスリの下は砥石
以前のラインがあった
少しずつ削る

カナダ産のシーガルグランドコンサートは俗にパーラータイプと呼ばれる小型ショートスケールのギターだ。小さくて抱き心地のいいギターが欲しくてこれをヤフオクで買ったのだが、小さい割りにけっこう大きな音で鳴る。買った当初にナットとサドルを人工の牛骨に変更した。取り替えただけでは意味がないので、何度も削ってベストの弦高になるよう調整した。そして先日、ほんと、かなり久々に弦を張り替えたらナットがポロッと外れてしまった。何度も高さ調整をしたし、再び調整しようと接着用の木工ボンド付けてなかったのだ。ま、しゃーねーべと、そのまま弦を張ったら微妙に弦高が高い、弾きにくい、指が痛い。微妙なバランスが崩れたようだ。そこでしかたないからサドル側を削った。外したサドルには前に削った時のガイドラインがまだあったのでそれに合わせて削った。ついでにトラスロッドを廻そうと思ったら、サウンドホールが小さすぎてマーチン用の六角工具が入らない。下のオートバイを止めている車庫まで行って工具箱から油まみれのレンチをもってくるのが面倒で、今回、トラスロッド調整はなし。再び張弦して音だし。12フレ辺りも押さえやすくなった。こんなもんか。

東大一直線

コミックス落札

1970年後半から末期にかけて、小林よしのりの『東大一直線』が最高に好きだった。基本、ギャグマンガ派の自分は、これと、とりいかずよしの『トイレット博士』を読むためジャンプを見ていたと言ってもいいだろう。秋本治の『こち亀』もこの頃に連載していたが、当時はまだ面白味に欠けた。その点、東大一直線とトイレット博士は、うんこ、ちんこのギャグオンパレードで楽しかった。どちらの作品も読み切り型式なのだが、東大一直線の方は高校入試、そして学年が上がり大学センター試験などへ話が進んでゆくことから、ストーリー性があった。そしてこのマンガは一生読みたいと思いコミックスを買った。連載終了後も思い出したようにずっと読み続けていたのだが、とある事情で家を出る際に持ち出すのを忘れてしまったのだった。その後、コンビニで色々な名作マンガの復刻版が出る度に『東大一直線』出ないかな、また読みたいなと思っていたのだが、このほど、後発で販売した愛蔵版的文庫コミックスではなく、当時の表紙のままのコミックス①~⑬をヤフオクで落札。久々に当時のギャグや世相を主人公「東大通」を通して堪能した。作者の小林よしのり氏はその後、東大通の女版でもある、その先を言わないで…の『異能戦士』(①~③これは持ってます)をジャンプに連載、『おぼっちゃまくん』をコロコロコミックに連載、その後は路線変更し週刊誌などで『ゴーマニズム宣言』『戦争論』などを発表、坂本弁護士失踪事件において、その真相に対してオウムの動機に触れ、結果、当時のオウム真理教の「ポア(消す)」するリストに載ったとか言われていたが、最近、マンガは見ていない。『東大一直線』とその続編でヤングジャンプに連載した『東大快進撃』は当時の大学受験と教育のあり方、歪曲した時代と結果、その後に大事件を起こすオウム的思想も見え隠れする。ギャグマンガとして人を笑わせ、世相を憂いで哀れむ…。そんな気骨あるマンガが今の時代、ほとんどないような気がする。
ここ1年ぐらい、ずっと週刊少年ジャンプを読んできたが、ギャグマンガはもう廃れている。というより、人を笑わせるマンガ家が育っていないようだ。今の読者は回りくどい評論家みたいな若者が多いようで、スパッと少年を笑わせるマンガを幼稚だとしている。いったい少年マンガの対象年齢って何歳なんだろう。うんこ、ちんこのマンガを読みたいならコロコロコミックとか読めってことか。なんだか少年ジャンプも敷居高くなったものだ。それでも楽しみしていた『鬼滅の刃』、『ハイキュー』も終わってしまった。少年ジャンプ、今度こそ永遠の卒業かも知れない。

たなばた

自己中が願い事
模範的願い事

7月7日、たなばたの日、宮古は毎年天気が悪い。例年、必ずシトシトと雨が降る。子どもの頃からずっとそんな天気だったようで、たなばたの夜に満天の星を見たという記憶はない。たなばたの日は山から竹を切ってきてそれに飾り付けをする。まるで西洋のクリスマスのモミの木の日本版だ。たなばたそのものにこれと言って思い出はないが、竹に飾る折り紙の思い出はある。まず作るのは折り紙を細く切ってそれを輪っかに繋いで作る「クサリ」だ。これは誕生会、クリスマス、とにかくイベントがあれば作らされた記憶がある。次いで6ツぐらいに折った折り紙の左右から互い違いにハサミを入れて、それを開いて伸ばした「うろこ」みたいな飾り。名前はわからない。あとは折り鶴や奴さん。そして短冊か。保育園の頃、自分は短冊に何を書いたんだろう。おそらく保育園も転園したから人目を気にしてなるだけ波風たたない願いを書いたと思う。幼い頃、住む場所が頻繁に変わった家庭の事情も多々あるが、少年時代は自分の意志を貫くことに自信がなかった。いつも大人にとって手の掛からない子供を演じていたような感じがする。その分、反抗期は早くて子供のいたずらで済まされる時期に大概の悪いことをやっておいたのはラッキーだったかもしれない。新里の宮古市立図書館新里分室で本を借りた帰り、玄関先の七夕飾りを見てそんなことを思った。

ヤマハのポータートン

電池バネが腐食で折れる
バネの交換とハンダ付け
電池装填。音が出ました

以前にもヤフオクにてポータートンを買ったが、また、買った。前のやつは人にあげてしまったのだ。何でまた同じ物を買ったかというと、最近、記憶力が極端に落ちたみたいで、以前なら降ってきたメロディーを数日間記憶できたのだが、最近は翌日にはメロディーを忘れてしまう。そのため五線譜ノートに音階を音符で書いていたのだが、この作業をギターでやるのは非常にめんどうくさい。視覚的にも左右の手の空き具合もギターに比べたら小型鍵盤の方が数段、楽なのだ。とは言え、正式に楽譜は書けないので、自分のルールで音階のメモとして書く。音符の長さと一小節の関係はあまり重視しない。半音上がりや下がりもいちいちその場で#やbをつける。第三者に伝える音楽として使う楽譜ではないから、これでいい。とにかくメモしたメロを自分がわかればいいのだ。そんな作業のために小さな鍵盤が欲しかった。価格的には新品のカシオトーンでもいいのだがこれは鍵盤数が足りない。かといって簡易のエレピは大きすぎて邪魔だ。机などに置きっぱなしにしておいても邪魔にならず、ある程度鍵盤数あるオモチャ的キーボード、といえばポータートーンが最適だ。そんなわけでヤフオクにて落札。しかし届いた本体は電池の液漏れで電池を押さえるタケノコスプリングが腐食していて通電しない。しかたなくモノタロウでタケノコバネを買って何とか修理。ついでに自動車のガラス修理のリペア材とバイクのオイルを買ってしまった。うーん、結局、無駄遣いした。ポータトーンは新しい電池を入れたら起動はしたが、リズムとオートベースは死んでいた。ま、どうせその機能やパターンは今更古いから使わんけど。だが、困ったことにせっかく鍵盤を用意したのに、最近いいメロディーが降ってこない。ま、こんなもんだ。次はコルグのシンセでも買ってみるか?

半襟と衿芯

洗える着物を落札した
折り返しにアイロン
半襟に衿芯を通す
襦袢に半襟装着

ライブの時に女物の着物で女装するため襦袢に半襟を付けた。ヤフオクで丸洗いできる安いLサイズの着物を襦袢付きで買ったのでこれに半襟を装着する。着物は襦袢付きで破格の2000円。これに白の普通の半襟でもいいのだが、どうせなら場違いの色の生地がいいと思い、黄色のプリントデニム生地のハギレを買ってきた。これを80㎝幅に裁断して返しをアイロンで折って襦袢に手縫いする。まち針で布を押さえてチクチク縫ってゆく和裁だ。着物ってこういう作業が伴うから「女らしさ」が必要なんだと思う。これが洋服にはない手間と魅力だ。いつもミシンだが手縫いは糸が絡まって思うようにいかない。最終的にはこの半襟に衿芯を通すわけで、これでうなじを見せる、後ろ姿のキモである「えもん」が作れる。衿芯はババアの和服タンスからみつけたもので、黄ばんでいてもうヨレヨレだが、ま、ないよりはましだ。着物は暑いから、これからの季節には不向きだが冬から春ぐらいのライブには丁度いい。ついでに着物襟も黒い襟を縫い付けて、時代劇の町娘風に着てもいいかも。大柄のツバキとかの羽織や、前掛けも欲しいな。着付けはYouTubeで勉強だ。

マスクを生産する

マスク、ゴムは髪用
マスク量産体制に入る
ばばあのズボンも修繕
チノパン修理

マスクの型紙が手に入ったので、どうれ、マスクでも作るかと久々にミシンを出した。まずは試作にと、ハギレで買ってきたニコちゃんマークの黄色のデニムと紺色のリネンでマスクを作ってみた。意外と簡単だったので、その他の手持ちのハギレを見つけて洗濯してアイロンをかけた。後日、マスクの量産体制に取りかかった。6個のマスクの外側と内側をミシンで縫ってゆく。内側は亡くなった親父が礼服のポッケに入れていた白い綿のハンカチ。親父はこのハンカチは胸ポケの飾りとしていつも別のハンカチを使っていた。胸のハンカチが三山に見えるようにわざわざ折っていたから、オシャレというより格好つけだったのだ。マスク制作のついでに、ババアのズボンの修繕をし、これまたついでだからズサタン用のチノパンの裾上げをやったのだが、生地が厚かったため糸が絡んでミシンが不調となった。それから下糸の調子と上糸の調子が合わず、この日の作業を断念。せっかくのマスクも中途半端のまま放置となった。また、気が向いたら…。と言いながら暑くなってきたのでミシンはしばらく休みだ。ズボンの裾上げやジーパンの修理修繕はやはり足踏みミシンがいいようだが、足踏みの方はアームがないから筒状の裁縫には向かない。電動の方を買い替えるほどミシンに必要性を感じていないから、結局、不調なままのミシンを騙し騙し使っているのが現状だ。最近じゃ10000円ぐらいでミシンが買えてしまう時代だ。だが、この先、コロナが終結状態になれば、使わなくなったミシンがわんさかとヤフオクに出てきそうだ。ミシンを買うのはその時でもいいと思う。

クビとアタマが坊主じゃんか

猫用ノミ取りリキット
サナ子のノミ取り

トラ子が産んだ三匹の仔猫のうち。まだ会社の近所をうろついているのがニケ(オス)とサナ子(メス)の二匹。クロはいなくなった。自然界に淘汰されたか、事故に遭ったか、愛想がよかったから誰かに拾われたのか。さて、6月末頃、そろそろ暑くなって蚊も出るって時にサナ子のクビの毛が丸坊主になってアタマも耳も所々禿げていた。クビには自分で引っ掻いたキズがある。これはおそらくノミだ。ところで、サナ子の名前の由来はサナダムシだ。いっつも肛門付近に米粒みたいなやつがくっついていたからこの名をつけた。多少の寄生虫は野良猫だから仕方ないが、サナ子の親のトラ子もサナダムシがひどくて、一時、虫下しを飲ませたことがあるほどだ。おそらくは胎盤感染し、同時にサナダムシと猫ノミが寄生虫界で共生関係にあり吸血からサナダムシの卵が移ったりするような気配だ。サナ子はいつも後ろ脚で顎や首を掻くのがクセで、親のトラ子も、その親のノラ子も同じだった。寄生虫の連中は胎盤感染しないオスにはあまり発生していないようだ。とは言え、昔飼っていたオスはサナダムシがいたから、まったくいないということはない。
そんなわけで、さすがに首の毛がなくなるほどノミがいるようなら、なんとかしなきゃならないので、アース製薬の猫用ノミ取りを処方した。このリキットを猫の肩胛骨に垂らしておけば飼い猫ならほぼ1ヶ月効用があるのだが、ノラは1週間程度だろう。それでも処方しないよりはましと思い、まずは一滴だけバッチテスト。翌朝、普通にしていたので。肩胛骨の皮膚へ散布。数日後、毛が生え始め、今はなんとか普通に戻った。3度処方したが、今でも後ろ脚で顎を掻くから、ノミはまだいるのだろう。