30年前の中華鍋、復活するのか

地べたに8年放置したままだった
ワイヤーブラシでこすり、耐水ペーパー220番で磨く
今日はここまで。裏はまだ汚い

崎山の家を出てくるときに自分が買ったいろいろな調理道具を持ってきた。そんな中に愛用の中華鍋と北京鍋があった。これらは家は勿論、30代後半から加わったアウトドア季刊誌の編集に伴って、野外料理に使った道具たちだ。最初は中華鍋を買ったが腕に筋力がないヤワな自分は振って煽るのが負担だったことから取っ手がついた北京鍋を追加してこれで、何回にもわたり相当な量のチャーハンを作った。家、野外含めれば100回以上だろう。そんな思い出の北京鍋も結局は実家では使うこともなく、最終的にお盆の松明かし用になって穴が空いてしまった。しかし、中華鍋の方は地べただったが雨ざらしにはなっていなかったためサビは凄いがまだ使えそうだった。最近は「蒸し」のパターンの中華をよく作るし、ここは30年ぶりの鍋復活ってのもいいな、とまずは鍋を洗ってタワシでこすって全体を洗った。こういう作業はYouTubeネタみたいなものだがこちらには撮影機材もカメラマンいないしアカウントもない。グラインダーとかワイヤーブラシとか考えたが、鍋は丸いのだからここは無理せずに耐水ペーパーが無難だ。ペーパーを買いにダイソーに行って相変わらず要らぬ物まで購入し帰宅、早速、夕食後にペーパー掛けをしたがこれがまー重労働。第一回目はこんなもんだろう。あとは休みの日にでも。

初乗りはGB250にした

OVERのマフラー、やっぱいいな

あまり寒くもないし何より雪が降らないから、バイクも初乗りしてみた。寒くはないといえセーターに皮のバトルスーツ。ワークマンの暖パンに防寒手袋。FTR223の方は11月にバッテリーが上がってセルが回らないから、いつものGB250を引っぱりだした。こちらのバッテリーも4年目だから相当弱っているわけで、もしかしたら掛からないかも?となかば諦めてチョーク全開でセルを回したら一発始動。それからアイドリングまで温めて一端エンジンを切って暖房装備をして跨った。10月下旬に乗ってそれからヤマハの同期会とかあって母親のおむつ外し事件も重なりもう今年は乗れないと年を越したのだが、こうして正月明けに跨るとは。自動車専用道も走ってしっかり速度警告灯も点灯させた。今年は吸気をファンネルからパワーフィルターへ戻し、バッテリーケースをおしゃれなメッキ物に変更する。パーツは揃っているが作業開始は温かくなってからだと思う。

正月はゲーム三昧

オープニングはこんな。彼女とスキー場にきてペンションに泊まるいかにものお話
彼女が国際的エージェントだったという唐突な設定がおおらか
江口寿の出世作。ギャグセンスは鴨川つばめの「マカロニほうれん荘」といい勝負

毎年暮れになると正月休みを遊んで過ごすためのオモチャを買ったりするのだが、今年は昨年に続いてスーファミのゲームソフトだ。去年は任天堂のファミコン鬼ヶ島①②だったが、今年はチュンソフトの「かまいたちの夜」にした。このソフトはゲームノベルという特殊なジャンルのソフトで、会話や選択肢で選び進むアドベンチャージャンルに似ているが、途中の選択肢にいくつかの分岐点があって運良く分岐を進めば1本のソフトで数種類のストーリー展開を楽しめるマルチエンディング形式のソフトだ。自分が現役でスーファミの仕入れを仕事にしていた時代に出たソフトで、たしか「弟切草」という同系のソフトがあったはずだ。もちろんこの「かまいたちの夜」も店頭で口八丁のセールスで何本かを売った記憶がある。今回はヤフオクで箱・取説付きを3000円で即落で購入。正月明け、ばあさんのデイケアがはじまって誰もいなくなる3日にゲームスタートとなった。地震で正月特番も相当お流れになったみたいだからゲームをするにはうってつけだった。当初、適当にダラダラとスタートしたら「みんな死んでしまった…パターン」のバットエンディングの真っ赤な画面でゲームオーバー。ならば攻略法を…とネットで検索し、分岐をクリア彼女が実は凄腕の国際スパイエージェントだったというスパイ編に突入。仲間の裏切りを経て複雑な展開やスノーモービルでのチェイス、格闘を経てなんとかエンディングを向かえた。この他に彼女が変身する「妖怪編」があるようだが、それはこの次ぎに機会があれれば。この他に正月用と思って懐かしい70年代後期に江口寿が週刊少年ジャンプに連載していた「すすめパイレーツ」のコミックス全11刊なども購入して読破。意外と長い正月休みを堪能したのだった。

お正月カットサロン

お客様、おかゆいところございませんか?

大晦日、能登地震があった元旦、そして2日。この三日間がデイケアが休みだ。3日から通常スタートするから、その前にばあさんの髪を切らねば。夏に切って半年間延び放題で毛先がはねる状態だ。寝たきりとはいえ髪と爪は普通に伸びるのだ。爪は訪問看護の看護師さんに切って貰うが髪は無理。かといってデイケアにくる理容師さんにたのむと男も女も同じ髪型にされてしまう。介護作業に支障がない髪型なんだろが髪がユニセックスってのはかわいそうすぎる。そんなわけで素人ではあるが自宅でショートボブにカットして襟足は電動バリカンで揃える。家事一般は何でも出来ることは時に多くの人を寄せ付けなくなってしまうが、やれるならやるにこしたことはない。幸い自分の髪もロン毛だから自分でカットしてもう20年以上もトコヤに行っていない。ちょんまげ結びだと誰かに切ってもらうしかないが、今みたいに乳首ぐらいの長さなら自分で切れてしまう。料理、洗濯、裁縫、掃除から大工仕事、猫の世話から、介護のお世話、オートバイ修理などほぼ万能だ。下手なのは唯一、他人とのコミュニケーション。これがダメで人生を脱落したようなもんだ。

おせちと地震の元旦

今年の自作おせち。カマボコのみ既製品
雑煮はクルミダレでいただきます
色々仕込んで盛り付けるのもアートで楽しい

昔みたいにおせち料理にムキになることもなく自然体なのだが、やはり年末年始には何かおいしいものを作って元旦の朝からそれをツマミに酒を飲みたい。そんな気持ちから毎年何かしら作って一人で楽しんでいるのだが、いくら少なくこじんまり作ろうとしても最低量というのがあって、どうしても一人では食べきれない量を作ってしまう。ならばと作った余りを毎月探検探索でお世話になっているズサタン隊員宅へお歳暮代わりに届けるというパターンが定着した。今回は折詰め3パックを作って、老齢そば屋のかーさん、バンドの相方の奥様、ズサタン相方へ届けた。おせちと言ってもなんとなく正月らしいという程度の料理で正式なものではない。それに昨年の猛暑で豆類など不作だったし磯焼けで昆布も高い。だからおせちメンバーとして正式なのは「ごまめ」「なます」「にしめ」「だてまき」ぐらいだ。それでも元旦の酒には十分。しかも雑煮も作って餅を焼いてクルミのタレでいただく。この日ばかりは介護の母親にも雑煮餅を食わせる。勿論お餅はサイコロ状に切って焼いた小さなものだ。
そうして朝からしたたかに酔って、再び布団に入って二度寝。そしたらなんだかいやな夢を見て午後4時に目が醒めた。そして母親が寝ている台所へ行きラジオのスイッチをひねったら「緊急地震速報、大きな揺れがきます」と聞こえてきた。うっそ、何マジなの今日は元旦だよと耳を疑った。早速テレビを点けるも能登半島の定点カメラだと切迫した雰囲気は伝わってこない。その後津波警報、大津波警報で「逃げろ」「今すぐ逃げろ」と元旦の当番だった女アナウンサーがけたたましく怒鳴る。ああ、やはり正月早々酷いことになるんだ。日が暮れ母親の口に夕飯のご飯を運びながら13年前の震災の夜を思い出したそんな元旦だった。

滋味でおいしいおうち中華

ハクサイと長ネギの黒酢炒め。ラー油で味変します
豚コマとジャガイモの蒸し物。安い肉も柔らかく仕上がる
ブロッコリーとキノコの炒め物。シンプルに塩味で

中華というと油ギッシュでコレステ満載ってイメージだが、それは日本の町中華の食堂のメニューの世界であって実際の中国の家庭ではそんなの毎日食ってるわけがない。日本だって外国人から見たら毎日寿司・天ぷら・焼き鳥を食ってるイメージなのと同じだ。そんなわけで蒸し料理を主体にした家中華の料理本を参考に意外とシンプルで、おいしい家中華はまった。軽く茹でたブロッコリーをニンニクの効いた油で炒めて塩味のみで食べるやつとか、ハクサイと長ネギの黒酢炒め、豆腐のひき肉蒸しなどシンプルでありながら滋味深い。さすがに食の歴史は半端ないなと脱帽する。そういや裏のバイクの所に30年前の中華鍋があったっけな。あれ、磨いて久々に炒め物でも作ってみっかな。などと夢が膨らむのだった。