バッケのパスタは春の味

紫波のバッケ。春の味覚
アサリ入れてみた
バッケとニラ
バッケとトマトソース
たまには煮物も作る
日本酒と中華そば
何度食っても飽きない
調理はこんな感じで

先日取材で紫波方面に行ってきた。盛岡市の東南に位置する、かつての都南村の大ヶ生というところに、藩政時代からの金山があってそこに昭和19年まで稼働していた金山抗道跡があるのだ。ここを取材して、その足で再び遠野街道を南下、紫波町の赤沢地区の船久保洞窟へ向かった。ここで断層として露出した石灰岩層にできた160mほどの鍾乳洞を探索したのだった。この日のお昼は、紫波フルーツパークにてカレーライスを食ったのだが、食前に産直に寄って、地物のフキノトウ100円とニラ100円を買った。これで、しばらくフキノトウのパスタが楽しめるというわけだ。
フキノトウは岩手では「バッケ」の名で親しまれる山菜だ。大きくなると花が咲いて固くなるから、芽を出したばかりの小さなバッケがおいしい。まずはフライパンでニンニクと鷹の爪を炒めて香りを出し、トマトソースを加えパスタのゆで汁で伸ばす。パスタが煮えるちょっと前にバッケを投入し、絡めたら茹でたパスタを投入。塩で味を整えてオリーブオイルを乳化させる。今回はニラを入れてみたり、アサリを入れてみたりした。ほろ苦いバッケとニンニクがよく似合ってたまらない。あ、そうそう、ワカメラーメンは、相変わらず美味しいです。やっぱラーメンはこれだな。

メガドラ、動く

麻雀が意外と面白い
ここだけ3Dだ
結局はこのパターン四人打ち
麻雀のソフト
ゴルフソフトもあった
メガドラ、動いた

レトロゲーム復活、今度はセガのメガドライブだ。ずっと会社のコンテナボックスの中に入っていて乾燥していたから、PCエンジンコアグラより保存環境がよかったせいもあり、一発で動いた。当時、ファミコンが最高で8ビット、それ以上のコアはソフト側にシムとして積むしかなかった時代、メガドラは16ビットの性能だった。でも実際はその豊富なメモリは色数や演算処理ではなく、サウンドの方に使われていたようで、効果音などはファミコンと比べたら雲泥のさ、月とスッポンだ。見た目も筐体が黒でかっこいい。それに比べファミコンのあのエンジとアイボリーはダサいし日焼けするとみすぼらしい。だが、だが、それでもメガドラはファミコンを追い抜けなかった。いくらいい音のソフトを出してもだめだった。それは、大人的発想でデザインされていたからだ。おもちゃは子供の目線で作る、子供目線が任天堂のドンキーコングでありマリオブラザースだった。セガのアメリカ的なソニックでは日本の子どもらは反応を示さなかった。セガのメガドラはアメリカの真似をすればいいという戦後的発想だったのだ。かっこいい、という価値観が筐体は先進的でもすでに古かったのだ。売れない筐体のソフトをプラットホームにする奇特なメーカーはごく僅かで、メガドラは泥臭くもダサい任天堂のファミコンに最後まで勝てなかった。半ばにして敵はNECのCD搭載機にシフトしてセガ・サターンとして舞台に躍り出るも、ここでもイモNECに大敗してしまう。会社の体勢や考え方、新規事業の展開など当時のセガは未来を感じさせる企業だった。なのにセガの何がだめなのか?良いモノ、売れるモノを生み出す力は日々の小さな積み重ねなのではないだろうか。デキる人を高給でハンティングして据えたところでヒットは生まれない、復活したメガドラはそんな厳しさを教えてくれた。

ちょっとあんた、腹でかいよ

サナ子はとにかく食う
ニケは啼かない食い気のみ
妊娠してんじゃん

サナ子の食欲がすごい。とにかく食う。サナ子だからいつもお尻辺りにはサナダムシがついていてキモイ。でも啼き声に負けてついエサをやってしまう。そして良く見たら腹が大きい。おそらく相手は、サナ子の父さんだ。親子丼かい。さすが畜生だ。トラ子はどこかへ流れたか、交通事故か、もう半年以上見ていない。だが、オヤジの方はあいかわらずこの辺りの親分らしく、クロやニケなど若いオスを見るとケンカを仕掛けて追い回している。って、クロもニケもあんたの子だろ、って、やっぱ畜生だ。同じ縄張りにいるオスはたとえ血を分けようと敵らしい。グレー二毛の父さんにクロがよく追い回されている。ニケは世渡り上手で、おっかない父さんに合わないよううまく渡り合っているようだ。猫界って意外とDVだね。まっ、本来、人間も同じなんだろうけど。

雨の彼岸詣で

偲饅頭、これが好きだ
雨降り墓参り
濡れた墓石

個人的で真に申し訳ないのだが、世の中には様々な嫌なことがある。数えればきりがないのだが、その中に雨の日の墓参りというのがあってこれが本当に難儀だ。単に墓を拝みに行くだけなら雨だろうが雪だろうが関係ないのだが、葬儀後の納骨とか雨が降ると本当に酷だ。実際にそんな経験もあるのだが、お盆とか彼岸の墓参りも雨が降るととたんに面倒くさくなる。供え物やら茶や水やら、墓での作業を傘を差して片手が塞がった状態でやらなければならない。ロウソクに火を着けるのも、線香をあげるのもみんな片手だ。やりにくい。しかも、傘を差しても背中とかケツとかが濡れてしまう。今年の彼岸は春分の日を境にもの凄い突風で瞬間で40mを越したもので、そんな日は雨より酷いから墓など行けない。そのため日曜日の午前に墓参りに出掛けたのだが、これが雨。しかも真冬のように寒い雨。つくづく運がないというか、修業というか。それでも家の仏壇にゴハンを供えてから前日に用意した花やお菓子を持って墓へ。一通りの儀礼を終え、寺も詣でて知人を拝んで帰った。春彼岸と秋彼岸、オヤジの命日とお盆で年に4回は墓参りと寺詣りだ。まいったね。本当はそんなに行かなくてもいいんだろうけど、まっ、クセというかせめてもの罪滅ぼしというか。来月は命日か。またカラスが喜ぶなきっと。

恒例3.11追悼ミニライブ

いい雰囲気
四組のお客様でした
奥宮古湾をバックに
異人館バックで

常安寺の慰霊祭とお墓巡りを終えて、これまた恒例の異人館震災ライブをやった。これも個人的に3月11日に行っている恒例行事で、3時過ぎにそそくさと機材を持ち込み2曲ずつ、二回に分けてミニライブを行った。お客は4組いて、まずは事情を話して歌う事の了解を得てスタート。津波を歌った「約束の日」を演奏しこの日のイベントを終えた。また一年が過ぎたが、やはりこの日は心にしみる。そんなわけで、夕方は異人館マスターと寿司屋へ繰り出し、津波の慰霊に献杯、そして生き残った人生に乾杯した。とは言え、いい気になって飲みすぎは禁物。早めに帰宅し風呂に入って髪を洗い小説の続きを読んで12時過ぎに、ねんこ。

3.11追悼。そして墓巡り

住職の読経
焼香
常安寺山門
寅さんはトリス
沢口さんにはポン酒
タイさんの好物はコレ
報山功道居士霊位
山門の杉と青空

3月11日は毎年市内沢田の常安寺に詣でて地震発生時に行われる慰霊祭に参列する。今年で9回目の列席だ。自分の菩提寺は善勝寺なので直接常安寺には関係ないが、母方の祖父が常安寺だし、父方の祖母の妹が常安寺だし、しかもその祖母の妹の息子の嫁とその娘が震災の津波で亡くなっている。その他にも同級生が津波で亡くなってこの寺に埋葬されている。そんな縁もあるのだが、何より彼岸前のこの時期、個人的な友人知人やお世話になったじじばばの墓を巡って手を合わせるのが毎年の恒例となっているのだ。昨年はそんな仏心も吹き飛ばすような嵐で津波の慰霊祭に参列するのがやっとで墓巡りなどできなかった。今年も朝から風が強くて花粉の飛散も激しかったが、嵐よりはいい。早めに常安寺に向かい、慰霊碑に花を手向け、拝んでから墓所巡りで常安寺をひとまわりした。ドラマー寅次郎、ビデオの澤口さん、毛皮のとうさんかあさん、本こ屋のとうさんかあさん、自分をこの仕事に拾ってくれた駒井さん…。その他色々なお墓を拝んで、2時45分の地震発生時にはサイレンとともに慰霊碑前で読経のなか焼香した。

すとぅーぱライブで盛り上がる

バンマスのステージ
違和感はないな
意外とサマになる
二部はうにまる
外からはこんな感じ
ミキサー試運転
打ち上げはみんなで
うにまる、調子良い

今年初のライブをやろうと決めたのは2月の半ばだった。場所は昨年夏もライブをやった小山田のすとぅーぱというおうちカフェ。観客10人ぐらいの予定でポスターを貼った。その辺りからクルーズ船のコロナウイルス軟禁ニュースが流れはじめ国内にも感染者が見つかるなどした。そうなればこの時期、イベント自粛の流れなのだが、お客は知り合いだけというので敢行となった。新機材の試運転もあるしその性能も現場で確かめたかった。今回のセットも昨年と同じで、うにまる二人組はそれぞれピンで前座のステージを行い、その後、二人で演奏するというものだ。相方の三上バンマスのステージがスタートして、バックで着替えをしたらなんと、この日のために買ったボブのウイッグがない。あれほど荷物を確かめたのに忘れてしまったのだった。そこで店のお姉さんの車を借りて相方のステージ中に取り戻った。お店に向かいながら信号待ちの車の中でウイッグを装着、お店に駆けつけてストッキングとスカートを身につけてギリギリ間に合った。それにしてもブラジャーを着けてウイッグをかぶりフェイクパールのネックレスをして職質でも受けたら大変なことになりそうだ。とは言え、バンマスは事情を聞いて自分がいないので予定より一曲多く演奏してくれたらしい。その後、息を整えステージでは中島みゆきの「化粧」と聖子ちゃんの「白いパラソル」などを演奏した。そしてまた軽く着替えてうにまるの本番ステージをたっぷりと演奏。久々に歌ったので右の顎の筋肉が痛くなった。ウイッグを忘れるアクシデントもあったが、今年初ライブにしては声もよく出たし、進行のしゃべりも饒舌で今年一回目にしては満足の出来だった。ライブ後はお客さんと打ち上げてちょっと飲み過ぎたけれど、朝には早起きして、読み残していた小説を完読して清々しい朝を迎えた。うん、やっぱ、唄うって気持ちいいな。

ばばあ通信 パンツの在庫がない

洗濯に強い、ゴム替え可
おみくじだとさ
中吉?凶はないのか
大吉?運がいいんだか
薬王堂の安いパンツ

ばばのパンツが少なくなったようだ。相変わらず尿取りパット220ccを装着しても下着を汚すばばあだが、先日、買い置きしてタンスの上の常備しているライフリーの紙パンツが乱暴に開封されていて、一枚減っていた。どうやら紙のパンツをつけたらしい。あれほど紙のパンツは嫌だと駄々をこねていたのに変だなと思い、ばばあの下着が入っている引き出しを開けたら、パンツがほとんどない。そりゃそうだ、あれほど汚し、もう洗濯しても汚れが落ちない下着や、ゴム替えができないユルユルパンツはどんどん捨てたのであった。6枚ほどの下着のローテで週3回のデイケアに対応していたが、ばばあは冷え込みがきつくなると下着汚しの頻度が上がってパンツの取り替えが頻繁に起こり替えがなくなるのだった。そして、困ったことに汚したパンツは何処かへと隠されてしまい、発見までに数日かかる。その間、汚れがこびりついてしまい漂白剤に漬けても汚れが取れなくなり廃棄される悪循環だ。まっ、隠すなと言ってもそれは無理なのはわかっている。問題はばばのパンツ在庫が無いことだ。しかたない買うしかないな。以前、市内の衣料品店に洗濯したばばあのパンツを持って行って「これと同じか似たようなものが欲しい」と問い合わせたのだが、置かれている婦人用下着は色付きで腰のゴムがレースのしかない。しかたなく5枚買ったのだが、そのパンツは漂白剤でまだらに色が落ち、ゴムもすぐダメになって半年ももたなかった。どうせすぐダメになるならドラックストアにある安いやつでいいやと、薬王堂で2枚セットになったのを二組買った。ゴムはレースで生地も安っぽく頼りないがしかたないと諦めた。そして後日、シマムラに行ったら婦人用パンツがワゴンに山盛りになって販売されいた。だが、その下着の山から目的の物を選び出す度胸はさすがにない。そこで連れ合いに相談したら、よし行こうとなった。おかげで下着売場で白い目で見られずに助かった。しかも、安売りではなくゴム替えができる目的のパンツを発見、ちょっと高いが4枚購入。翌日、ローテの古いパンツなどをばばあの引き出しに入れ、新しいパンツを投入した。そして、お約束、新品のパンツは数日後、隠した尿取りパット2個と一緒に五平餅のように汚れて見つけ、さっそくハイター漬けになった。

うにまるアコ用の機材を購入

新しいミキサー購入
マイクスタンドにセット
軽いスピーカーで充分
チューナの電池を替えた

ライブの度に練習場から重たいスピーカーとスタンド、旧式のパワードミキサーやマイクスタンドを上げ下ろしするのはツライから、軽くて小さな機材を買おうということになってバンド活動で貯めたお金から3万弱を出して、クラシックプロの簡易ミキサーとスピーカーを買った。これがまた、小さくていいのだが、ひたすら音が悪い。はっきり言って音楽用ではない。エコー付き拡声器というレベルだ。値段が値段だから仕方ないが、リバーブの各チャンネル調整がないし、パンがないから再生はモノラルだ。うん、こんなもんだと諦めるが、使用中にも何やらバチン!!とかボン!!とかの電源系のノイズが入る。怪しい。おそらく使用頻度にもよるが、下手すりゃ1年持たないかもという印象だ。さすが、クラシックプロ。それでもまあ、老体にムチ打って機材の重さと戦うよりいいかもね。

気まぐれ猫通信 20年春

サナダムシのサナ子
トラ子の子たち三兄弟
ニケが一番体格がいい

変わり者のクロ、無口のニケ、寄生虫がいるサナ子の三兄弟は元気です。この春、クロとニケは雄なんで初の発情期。敵対する勢力と戦って生殖活動に突入です。しかし、周辺にはかつて3匹のお祖父さんになる「めぐせぇ父さん」と名前をつけていた大将がいたころ、いつも虐められていた白黒のセージ(尻尾の毛がなく肉が露出)が、彼女を連れていたり、新たなグレートラの進出などで、雄の勢力図が変わったようです。もちろん昔、エサをやって可愛がっていたノラ子の彼だった「めぐせぇ父さん」、ノラ子、そして3匹を産んだトラ子もその彼も、もういません。ノラ猫界も世代間で淘汰があるのか、別の場所へ流れるのかはノラ猫のみぞ知るです。結局、この三兄弟の中で残るのは雌のサナ子と思われます。雄は猫も人も雌を求めて流れさすらう生き物なのです。あと、寄生虫も雌に多いです。きっと出産に際して、仔猫に乗り移るのでしょう。寄生虫は雄にもいますが、寄生虫にとって発展性は低いので、断然雌に多いのだと思います。きっと雌のホルモンはなにかを感知する能力があるのだろうと思います。自然って人が知らないだけで、しっかりとルールで固められているんですね。