青春チンポジュウムのこと

売上スリップ入り
青春ギャグ劇画?

ヤフオクでコミックスを買った。タイトルは『青春チンポジュウム』全7巻。原作は子連れ狼、御用牙などでお馴染みの小池一夫、画は神江里見。1970年代後期の劇画タイプの、エッチな青春グラフティーだ。このマンガは当時、劇画・キングという雑誌に連載していたようだが、自分は東京にいた頃愛読していた秋田書店の「プレイコミック」だとばかり思っていた。東京の専門学校を卒業し修業時代を経て宮古戻り、楽器店に勤めた頃にこの単行本を買っていて4巻まで持っていた。勤めていた楽器店は書店も併設していたから、社員優遇で新刊が出たら必ず入手することになっていたのだが、5巻目が出る頃ににはその楽器店を辞めていたのだった。コミックスの形態は少年コミックスよりサイズが大きい大人版。しかも数巻にはスリップが残っているからデットストックであろう。40年近い歳月を経た割りに背も天も日焼けがない。ストーリーは男子中学生三人組みのどたばたと、年頃の性を大胆に描いており面白い。ただ、いくらマセた中学生とは言え、展開が大人びており、しかも台詞は文学的にちょっと古いが、それも時代のご愛敬。あの頃のモノを再び手にする喜びは旧知の親友に会ったみたいで嬉しいです。ネットオークションがある時代に感謝です。

チャコちゃん人形着せ替えと修繕

胴体は布製ぬいぐるみ
パンツのゴム交換
スパッツのゴムを交換
パンツのゴムを通す
はい、お着替えしました
洗濯したお洋服

自宅昭和屋敷の玄関にある据え付け下駄箱の上に大きめの抱き人形を置いている。人形の大きさは約80㎝ほどでカテゴリ的には、チャコちゃん人形と呼ばれるタイプだ。この人形は今から約20年ほど前、市内某所にあった「ぼろや」と呼ばれた閉店した雑貨屋に放置されていたものを引き取ったものだ。その店は昭和50年代前半まで営業しそのままひっそりと閉店。しばらくは誰も立ち寄らなかったが、その後、マニアに発掘されブレイク。市内外からハイエナのようなコレクターが訪れ残っていた当時の品物のほとんどが買われてしまった。自分が訪れて時にはすでに買い荒された後ではあったが、同行した高校の同級生で当時東京在住だった友人があれこれと2万円ぐらい買った。(その彼は震災前に心筋梗塞で他界しました)自分も超合金などを少し買って、店内を物色していたら、店の奥にこの人形がボロボロになって放置されていた。店主に聞くと、人形は売り物ではなく、その店の子どもの私物だったようだが、成長しそのまま置き去りにされたという。ソフビ部分はカビだらけ、髪はベタベタで服はボロ雑巾のようだった。これを格安で譲ってもらい家に連れて帰って掃除してペアしたのがこの人形なのだ。髪は洗ったけれどショートヘアだったことと、前の持ち主が所々を切ったらしく左右ちぐはぐだったので子供用のおもちゃの金髪カツラを被せた。洋服は中古ショップで買って来て下着や靴下などの小物は新品を揃えたらみちがえったのであった。その後、前の家では季節によって服を取り替えたりしていたが、昭和屋敷に越してきてからはずっと同じ服だったことと、汚れていたので、今回丸裸にして服を洗濯した。そしたら、パンツとスパッツのゴムが伸びきっていた。こりゃあかんなと、ゴム交換。ついでにフリフリのブラウスをニットのものに取り替えて、しばらくぶりにリフレッシュ。服を着せながら悦に入る人形遊びもたまにはいいもんだ。フリフリブラウスは漂白して再度、洗濯だな。

久慈市山形の内間木洞の氷筍

関係者待遇で入洞
入口付近の氷筍
べっぴんの湯源泉側
峠付近は圧雪凍結
洞内の陥没ドリーネ
ドリーネの氷筍

久慈市山形地区は、旧九戸郡山形村だ。平成の合併で久慈市に統合されたようだ。その昔、山形村、葛巻町あたりは、めったなことでは行く用事もなく、岩手県の広さが四国並だということを実感したもんだ。実際、自分が岩手県民だということは事実だが、今現在でも未だに訪れたことのない県内市町村はかなりある。岩手は広すぎるのだ。だから最近はそんな状態で何が世界旅行だバカ野郎!!と、ズサマはひねくれた性格に拍車がかかっている状態だ。そんなことはさておき、2月10日、山形地区にある極寒の内間木洞へ行ってきた。内間木洞は毎度お馴染み龍泉洞、安家洞、猿沢の大穴など一連の安家石灰岩層の中にある鍾乳洞で、南北に支洞を持ち約6000mの総延長だという。この鍾乳洞が夏には冷気を吐き出し、冬は地表の冷気を吸い込むことから、鍾乳洞入口付近の滴下した水が石筍のように凍る、氷筍となって林立するというのだ。しかも、昭和48年に開発のため鍾乳洞入口を拡張したため、冬期間はますます氷点下の冷気が入り込み、氷筍の数が増えて名所となったらしい。この日は宮古から北上し岩泉~安家へ出て県道7号線をさらに北上し白石峠を越えて久慈市山根地区から旧山形村へ。峠の気温はマイナス4℃であったが、白石峠の明け方はなんとマイナス14℃だったという。県北の山間の村は区界や藪川などを凌駕する冷気が立ちこめる極寒地帯なのであった。現場では前もって取材を申し込んでいたこともあり、関係者待遇で待ち時間もなく入洞できた。ちなみに、内間木洞は基本的に公開されておらず、冬季の一般公開はこの日一日のみ。あとは夏の内間木洞祭りの一日だけなのであった。お昼は出店で手打ちそばを食べ、帰りは新山根温泉・べっぴんの湯で温まって帰った。しかし、途中で飲んだ冷たい湧き水に当たり、普代付近で腹痛、三鉄田野畑駅のトイレに駆け込み難を脱した。腹に応えた一日だった。

岩泉道の駅でハイキュー

青葉城西コンビ
他にも色々あり
烏野一年コンビ

内間木洞へ向かう途中、岩泉の道の駅でトイレ休憩。その間に、岩泉道の駅に展示されている、少年ジャンプに連載中の『ハイキュー』のキャラクタータペストリーを眺めた。タペストリーは無料休憩室の壁面に飾られていた。その理由は、おそらくは『ハイキュー』作者が岩手県出身であることと、劇中に登場する主人公が在籍する宮城県の高校のバレー部・烏野高校の因縁のライバル校、青葉城西高校バレー部に「岩泉」という選手がいることから岩泉町と遠からず縁があるということで、ここ、道の駅岩泉にハイキューのキャラクターが描かれているのだと思われる。が、確かな詳細は聞いたわけでないからわからない。ま、多くのファンも立ち寄って寄せ書きなどしてるみたいだから、いいんでないの。

内間木洞へ向かう途中、岩泉の道の駅でトイレ休憩。その間に、岩泉道の駅に展示されている、少年ジャンプに連載中の『ハイキュー』のキャラクタータペストリーを眺めた。タペストリーは無料休憩室の壁面に飾られていた。その理由は、おそらくは『ハイキュー』作者が岩手県出身であることと、劇中に登場する主人公が在籍する宮城県の高校のバレー部・烏野高校の因縁のライバル校、青葉城西高校バレー部に「岩泉」という選手がいることから岩泉町と遠からず縁があるということで、ここ、道の駅岩泉にハイキューのキャラクターが描かれているのだと思われる。が、確かな詳細は聞いたわけでないからわからない。ま、多くのファンも立ち寄って寄せ書きなどしてるみたいだから、いいんでないの。

悪いことがかさなる

ばあさん点滴
ささやかな元旦料理

紅白歌合戦など何年も前から興味を失い、大晦日はいつもより早寝だ。元日、いつも通り起きて、ささやかな新年の自作料理を盛りつけていたら、起きてきた母親が目が廻るだの吐き気がするだの言いだした。前日のデイケアではしゃいだかどうだかは知らないが、年寄りの体調不良は正月も何もお構いなしだ。そんなわけで、自分の本年最初の仕事は午前7時35分の救急車要請であった。起きてすぐ軒先に出した国旗を仕舞って、母親の乗った救急車とともに宮古病院へ。結局はどこも異常はなく目眩もおさまり点滴で都合3時間ほどを病院の救急病室で過ごす。持参した本を二冊待合の長いすで読破。こいつぁ春から…何とやら。思い起こせば、昨年の元旦はインフルエンザで寝込んでいたな。もしかして、自分にとって一月って鬼門なんだ、きっと。静かにしてなきゃ…。