第10回オテライブ開催

さて、ブログの一気書き込みの最後は、オテライブのお知らせ。うにまる結成直後から続けてきた、長根寺オテライブもとうとう第10回を迎える。今回は宮古の歌姫・小田代直子さん、盛岡にっか亭の専属ピアニスト・山崎俊之くん、新巻鮭三、うにまるのステージで、PAも外注で盛大に行う予定。ポスターもいつものサイズよりぐんと大きなB2サイズ。別に気合いが入ってるわけではないが、オテライブの最終形態を飾りたいと思っている。開催は8月26日(日)午後4時会場、4時30分スタート。御座敷清めはうにまるのアコステージ。

夏祭りで2ステージ

7月29日はみやこ夏祭りであった。うにまるは、この日の末広町ステージと三鉄駅前ステージのふたつをやることになった。それに合わせて練習を3回やって本番を迎えた。本番はあいにくの小雨模様。そのくせ気温は高めでいやな感じの不快指数だ。まずは末広町のステージで一発。しかしこれがまた、お粗末なPAで、自分のギターの音がどれだけ会場に出ているのかわからないし、カフォンのキックの音もデカすぎて耳障りで唄いにくい。しかも、昨年に引き続き2b弦を切ってしまった。それでも規定のステージをこなして一旦休憩、その後は夜8時からの三鉄駅前ステージへ。こちらは、カントリーズカフェのマスターがPAだったのでストレスなく音も聞こえ、昼のステージの欲求不満が爆発して、いいノリのステージとなった。アンコールも入り1曲プラスの約45分のステージを終えた。その後は楽器を回収し、市内の居酒屋で打ち上げ。ライブ2つもやって、打ち上げもしたのに、写真を一枚も撮っていないのでした。ま、そんなもんだろう。

三鉄じぇじぇじぇサイクリング

小袖海岸を行く
集落から海を見下ろす
小学生に道を聞く
舟渡海岸で昼食
自転車ドナドナ
お疲れ様、宮古着

三陸鉄道の乗車サービスの中にサイクルトレインというのがあって、列車に自転車を乗せて移動し、移動先で自転車を降ろしてサイクリングできるのだ。もともとは、沿線の住民がママチャリを乗せて三鉄で町へ出て買い物などをして帰るというのが本来の企画らしいが、昭和30年代ならまだしも、今どき、ママチャリを列車に乗せて買い物に行くような主婦などいいるわけがないのだ。それでも企画は三鉄利用促進の一環だから自転車の持ち込み運賃は県が負担するからタダなのだ。そんなわけで、7月某日、三鉄に自転車を乗せて陸中野田へ。そこから三崎半島の久喜を経て小袖へと自転車のペダルを漕ぐ。この日の久慈地方は午前中から晴れて絶好の日和だったのだが、久喜集落の心臓破りのダラダラ坂に体力を消耗、ズサマは何度も自転車を降りて押して歩いた。峠を越えてからは下り坂で小袖海女センターまでは楽勝。そこから海岸沿いに走り久慈駅へ。早めに手続きを済ませ久慈道の駅土風館にあるに昭和レトロ館を見学。再び久慈駅へ戻り自転車とともに乗車し宮古駅へ戻ったのであった。

野外探索用スマホケース

ちょっと大きめ
紙の地図も入る
二重の落下防止に

山歩き用のスマホケースを買った。花原市でのスマホ事件があったその日に夕方にワークマンに行って、即、購入した。腰につけたマグネット式のスマホホルダーでは木の枝などにひっかかってしまいマグネットの蓋が開くと、滑りやすいスマホなどなんなく滑り落ちるのだ。ここは、しっかりとしたファスナーで開閉し、もしもケースを落としても発見しやすい目立つ色で、かつ衝撃にも強く踏んでもそう簡単に壊れず、万が一を考え浮く素材であることを考慮し、ポリカーボネイトの水色のケースを選択。ベルトから外れても落とさないようショックコードも購入した。こういう買い物は、自分の性格上痛い目に遭ったことを忘れないうちにしないとだめなのであった。

花原市スタンドバイミー

鉄塔が見えてきた
目的の露岩に到達
まさかの熱中症に陥る
井戸でクールダウン

小学校5年で藤原小学校から千徳小学校に転校した。当時、閉伊川河口に架かる橋は花輪橋、ユラユラ揺れる歩行者専用のラサの仮橋、そして宮古橋しかなかった。従って住んでいた地区から閉伊川を挟んで対岸に引っ越すということは、大きく迂回せねばならず、そこは近くに見えても彼の地、まさしく彼岸へと流されるように落胆した。転校生は友だちが一人もいない見知らぬ地でその学校に馴染む努力を一人でやらなければならないわけで、クラスの力関係も知らないから要らぬ事でこずき合いになったりもした。そんな中で気さくに話しかけてくれたのがM君だった。そしてM君を経由して絵が上手いK君とも友だちになった。そんな昭和45年の初夏であったか、M君の誘いで花原市の門神周辺探検に行くことになった。M君の話では、家の前の畑で縄文土器やヤジリが取れるし、門神トンネルの上には水晶が取れる穴があるという。そして花原市と上根市の中間辺りの沢から山に登れば、昔、何かの鉱物を掘ったらしい坑道があるというのだ。
そんな今を去ること40数年目の花原市探検をトレースしたいとずっと思っていた。その気持ちは歳を重ねるほど大きくなり、当時の景色が残っているかどうか気になっていた。しかし、当時の記憶は断片的で、少年時代に探検したルートが判らない。ならば、再び当時歩いたコースを巡ってみようと思った。検索サイトで航空写真を拡大し地理院地図と照らし合わせて大体の場所やコースを選定す。いつものズサタンなら、鍾乳洞や廃坑、道無き山や谷をトレッキングしているから、少年時代に冒険したという花原市なんて、たいしたことなかろうと甘く見ていたのだが、三度のトライも実らず廃鉱跡の穴は発見できなかった。しかも三度目トライで門神の露岩探索中に30度を超す気温上昇から熱中症を起こしへたり込み、しかも注意力が落ちている状態でヤブ漕ぎをした際に、スマホを落とす始末。スマホでGPSアプリを使うのもいいがこれじゃあかん。ズサマは反省したのであります。