ワーゲンとオレ

バンパー外してその気になってる私。若さこそかけがえのない財産です

介護と仕事で毎日追いまわされているけれど、そんな自分にも実は密かな野望がある。それは20代の時にこよなく愛していたビートルにもう一度乗ることだ。写真のビートルは1968年式のType1で1500ccだ。市内の中古車屋で35万で買ってちまちまと整備してかれこれ10年近く乗った。製造から10年以上経っていたから車検は毎年で経費もかさんだが、この車の中毒にかかると、もういけない。ビートル以外の車の選択肢が見えなくなるのだ。とにかく狂ったようにビートルにのめり込んでしまうのだった。しかしそんなビートル愛も水害という災害で潰えてしまった。なんと愛するビートルが水没し電装系がダメになってしまったのだった。あいにくそれを修理するべく資金も底をついておりやむなく転売してしまったのだった。それから色々な車にのってきたのだが、どこかにビートルへのオマージュがくすぶっていてたまにむしょうにビートルを運転したくなる。ならば、思い切って古いビートルを買えばいい。そうだ30万とかのボロ車じゃなく、ある程度レストアされた、あるいはドイツ製ではなくブラジルワーゲンでもいいから、やはりもう一度ビートルに乗りたい。震災で様変わりしたけれど、またビートルであの当時の海岸を眺めに行きたい。長い遠回りしてまた来たぜと真崎海岸の駐車場でポーズをとりたい。150万?200万?軽自動車の新車を買うぐらいで夢がかなうなら、いっそ次の車はビートルにしようかな。写真は22歳ぐらいのオレ。真崎海岸にて。

やはりこれが好きだ

この焼き加減が絶妙な旨さの秘訣

むかしは凝ってかなりのギョウザを作っては試し最終的には皮まで手打ちしたのだが、結局それは食う人がいたからであり、ばばあとの暮らしになった今はギョウザを食うのは自分だけなんで手作りより冷凍ギョウザの方が簡単でおいしい。と、思ってずっと手作りギョウザから離れていたのだが、先日久々に作って食ったらすこぶるおいしいではないか。やはりギョウザは自分で作ると格段うまいことを改めて知った。知ればもう仕方ない、当時の味を再現するまでひたすら作るしかない。具はキャベツ、ニラ、ハクサイとひき肉。調味料はラード、ハイミー、オイスターソース、塩コショウ、ごま油。昔試行錯誤したのは野菜の処理だった。塩で水分を出すか、一端軽く茹でるか、全部生で使うか…などなど色々試したっけ。結局は生で使うとこに落ち着いたんだ。シイタケとかニンニクは一切使わない。第一ニンニクは臭いから食後に自分でまいってしまう。包み方も凝ったへっちょこ、星形、棒巻きなどやったが、やはり基本は普通の包み方が一番だ。ギョウザの皮は市販品を使う。出来れば厚めの皮が食べ応えがある。包むときも破れにくい。ひとパック20枚程度で10個ずつ焼いて二日がかりで食べるというパターンだ。ギョウザは焼きが基本で寒い時はスイ、飽きてきたら揚げというパターンだが、揚げギョーザは油の始末が面倒だ。ギョウザには意外と日本酒が合う。酢じょうゆとラー油のタレもいいが上からポン酢をぶっかけて唐辛子を振って食うのもオツだ。ああ、また食いたくなった。

反射ストーブとサクラ

外から帰るとここからしばらく動かない

レトロな反射ストーブだが災害時には重宝する。電気が要らないしお湯も沸く。温風ヒーターのような快適さはないけれど暖房と湯沸かしの利便性は捨てがたい。しかもこの天板で市販品の鍋焼きうどんを調理したリ、餅を焼いたり、煮干しのダシを取ったり、お酒の燗をつけたりして、それも冬場の風物って気がする。そして反射ストーブ、待ってましたが猫だ。ネコちゃんは基本的に温風ヒーターはダメだ。風ではなく赤外線的温みが好きなのだ。外から帰還したサクラは反射ストーブの前に座ってしばし火を眺めて毛繕いをしてぬくぬくになってからベットにのっかってくる。それから火を消すのが冬場の夜のパターンだ。

タコバジル

お酒はフラスコで

タコとジャガイモのバジルサラダはコンビニの定番おかずだが、ローソン版は油っぽくてねちょねちょ感がキモい。その点、セブンイレブンの方はさっぱりしていて食べやすい。とはいえ買うと小さなプラパックに入って350円ほどだ。ならば作るか。とは言えこの時期、バジルがあってもすごく高い。そんなわけでモーリタニアのタコ、男爵イモ、パセリ、ハウスのハスタソース「バジル」を使ってタコバジルのサラダを作った。イモはラップして電子レンジ、パセリはみじん切り、タコはぶつ切り、塩コショウにバジル、決め手は粉チーズ。うん、まずまずじゃん。パセリを代用してブロッコリーを使わないってのがお安く作る秘訣だね。タコを魚肉ソーセージにすればもっと安くなるけど、そこはやっぱタコじゃないと、ジェノベーゼって感じが出ないでしょう。

ストップひばりクン

誰も客はこないけど、玄関の飾りに

2年前、盛岡の県立美術館で江口寿の美少女イラスト展があってミュージアムショップにて記念にひばりクンのお皿を買った。香蘭社製でたしか8800円だったと記憶する。最近は古伊万里とかではなくこのようなお皿も衝動買いするようになってしまい、蒐集家としてほんと軟弱になったのだが、骨董なんて所詮上には上がいてどこまで行っても到達なんてできないわけで、それなのに突っ張って何の意味がある。好きなモノを買って眺めて何が悪いってな感じで60も過ぎてやっとそんな気持ちになれたようだ。ひばりクンのお皿にはやっぱひばりクンのイラスト。ポップな組み合わせだ。
ストップひばりクンは週刊少年ジャンプに連載して、リアルタイムで読んでいた。作者の江口氏はその前に「進めパイレーツ」というギャグマンガで連載し、その後読み切りの「日の丸劇場」などを経て「ストップひばりくん」を連載した。このマンガは当時の少年マンガにおいて完全に欠けていた「おしゃれ」や「デザイン」という分野を押し開いた作品でありその、トリミングと絵のセンス、そしてギャグもすばらしかった。ただ難点は江口氏の休載が多いこと。だがそれも内輪ネタで結構おもしろかったものだ。しりきれとんぼで最終回を迎え、江口氏はアニメ界へ転向「老人Z」で話題を呼んだが、その後はイラストレーターに転身した。ひばりクンは女装男子の先駆者でもあり、そのテの男子のバイブルでもあるらしい。

山根のこと

墓でギターを弾く。彼の好きだったnspの「お昼寝の季節」とブルースを少々

コレクションの理解者でありライバルでもあった高校時代の同級生であり出席番号も前後だった山根クン。彼は室町時代に紀州方面から宮古に流れ鍬ヶ崎に根を張った一族の末裔であった。そんなことも知らず高校時代は一緒に遊んでいて、その後はお互い楽器関連の仕事をするようになり、久しぶりに再開したらお互いが骨董マニアになって意気投合という仲だった。思い起こせば0点トリオと呼ばれた高校1年の時の16歳から震災前の52歳まで通算36年間もの間、濃密に過ごしていたのだった。そんな彼も出張先の名古屋で倒れそのまま還らぬ人となった。それから取り残された自分は骨董関連のライバルを失い研鑽を積むも虚しく、今では我欲の戦場から遠のいた世捨て人状態だ。そんな彼の生家に関連した原稿を執筆するにあたり、久しぶりに彼の墓に詣でた。ギターも一緒に弾いた時代もあって、冬の晴れ間に海を観ながら墓石に腰掛けてNSPなど弾き語りで演奏した。ああ、彼さえ生きていれば今の自分はもっと高見に登っていただろう。人生においてライバルはいた方が断然いいのだなと今更ながら思う。

冷麺ってどうよ

10年ぶりぐらいで食べた冷麺

盛岡の老舗韓国料理の店「ぴょんぴょん舎」のスープ付き生冷麺が安売りになっていた。通常二食で780円ほどする。それがなんと380円。安いじゃねーの。この冷麺もかつての骨董仲間だった山根氏が大好きで、上京するときは必ずおみやげに買って行ったものだ。しかも彼は料理をしないから僕が作るのだが「特辛はねーのんが?」と喜んで食っていたことを思い出す。ちなみに東京で食べる冷麺は宮古や盛岡で出される冷麺とはまったく違う別物で、どっちが本流なのか知らないけれどやはり宮古流の冷麺が旨いと思う。その昔、飲んだ後に食同苑という韓国焼肉の店に行って焼肉と冷麺で〆としたものだ。その時、冷麺オーダー時に辛さを指定できて「普通」「甘め」「辛目」と激辛の「特辛」があった。酔っているから激辛冷麺も普通に食えるのだが、翌朝便所で肛門から火が出るような激痛に紙で拭くのも難儀した経験がある。
今回はそんなことを思い出しながら10年ぶりほどで冷麺を食べた。白菜キムチもあったし、リンゴを甘く煮たコンポートもあったからそれらを載せていただいた。昔は牛すねのスープをとって濃縮タレがついた安いタイプの冷麺をよく食っていたな…と過ぎ去りし日々を思いだした。

スルメイカじゃなきゃ

ネギマヨに一味唐辛子、たまんない

イカを焼いて食うなら断然スルメイカでしょう。ヤリイカやアカイアカじゃ溶けちゃうし。壺抜きにしてフライパンで焼いてマヨネーズと七味で食べる。これが最高。なのに最近海水温の関係でスルメイカが捕れない。スーパーに出回ってるのはヤリイカばかり。たまにみつけたスルメイカは、えっ?何コレというほどのバカ高いお値段。しかも鮮度はイマイチ、ワタも痩せている。昔はまな板に吸盤がくっついて離れないほどの鮮度のイカが普通に売られていてしかもトロ箱にびっちり入って2000円ぐらいだったから、各家でもイカの塩辛とか普通に作っていたものだ。ちなみに宮古ではイカの塩辛のことを「キリゴミ」と呼んでご飯のオカズや酒のアテにするけれど僕は苦手だ。内臓をニンニク味噌と混ぜて剣先やげそと一緒に炒めた「ふ炒り」も生臭くて食べられない。イカは胴と脚、内臓は捨てる。ちかい将来、こうやってスルメを焼いて食うことができなくなるような予感は感じている。

お人形さん、お召し替え

左が秋バージョン、右が冬から春バージョン

この人形は山口団地にあったかつての雑貨商、通称「ボロ屋」から引き揚げたもの。キレイにしてヤフオクで売ろうと思って出品したのだがまったくだめだった。あまりにも安い値段で落とされそうだったので引いてそのままお蔵入りだったが、あるとき子供用の洋服を買って着せてみたらけっこうおもしろい。んじゃイメチェンで子供用の金髪ウイック被せてみようと、やってみたらけっこうかわいいじゃん。んじゃ下着や靴下も買って履かせようとやっているうち手放せなくなった。年に数回着せ替えをして玄関に飾っているのだが、家を訪ねてくる介護関連人たちがどれだけお着替えに気づいているかどうかは知らないが、介護老人と中年男しかいないのにまったくおかしな家だと思っていることだろう。