ひまわりのこと

首折れのひまわり

子供の頃、植物が好きになってやたら花の種を蒔いた時期がある。その後、中学になると興味は雑草に向かい、その後、毒草へ行き着いた。植物は自身を守る毒を塩基として持っていて、不特定多数による食草となることを防いでいる。これは植物の進化であり、毒を持たない植物は、固い葉や棘を、食草とされることを準じた者は、強靱な繁殖力を進化の中に取り入れている。受粉を昆虫にさせて実を鳥に食わせ、種をより遠くまで運ばせるなど、脳がないのに植物の知恵は人間をはるかに上回る。そんな植物の中で、ヒマワリはどうだろう。子供の頃、大きな花が咲くようにとせっせと水をやり、倒れないよう支柱を立てた。蕾がひらき、花は太陽に向かって毎日動く。そして最終的に花は自らの自重に耐えきれずうなだれ、だらしなく下をむく。その時期には台風も来るから翌朝にはヒマワリが惨めに倒れていたものだ。それを見て自分は「ヒマワリはバカだ」と思っていた。自ら支えきれないほどの花を咲かせちょっとした風で倒れてしまうからだ。でも、それは違っていた。ヒマワリは花を咲かせ昆虫に受粉させ実を付けた時点で、一生の仕事を終えていたのだ。少年時代の僕は、すでに死んだヒマワリを支柱に結んで、枯れるまで立ちつくすことを望んでいたのだ。ミイラを朽ちるまで立たせ、晒していたのだ。そうしておいて、最終的には首(花部分)を切り、乾燥させて種を収穫していた。ヒマワリは早く地面に倒れて種をこぼしたかったのかも知れない。世の中「バカだ」と思った事が、意外とまともだったり、まともだと思っていたら、バカだったりする。本当は早く倒れたい、汚れたい、腐りたい、消えたい…など色々な希望を、正義だの常識だのが邪魔することって多々あるんだなと、ヒマワリを見て今更ながらに思う。

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