一中の銀杏

落ち葉に寝転ぶ
子どもたちはしゃぐ
銀杏の落葉

毎年11月に紅葉する宮古一中の銀杏。昔は横山八幡宮の宮司が西国を詣でた時に使っていた杖を挿したらそこから芽が出たという逸話から、逆さ銀杏の名があった。これは沢内村にある伝説を江戸時代の歴史家が転用したもので、その伝説はどうも無理がありすぎるという指摘から、現在は公孫樹の名に変更されている。横山八幡宮の起原とされる神歌は室町時代の俳句のタネ本から採取された言葉の羅列であり、江戸時代に都の神社からお墨付きを貰う、神社の格を得るための歴史詐称のようだ。そもそも「阿波の鳴門の海を鎮め」「時の都におわした天皇から」「都と同様の異字として宮古の地名を賜る」というストーリー自体に無理があるわけで、どう見ても後付の設定だ。神歌の「阿波の鳴門」の意味は「粟の成るとは」であり、荒れ野に穂を垂らしたエノコ草(ネコジャラシ)に粟が成る(実る)とは思えない…。という意味だ。この論説は昭和初期に、遠野の佐々木喜善が下閉伊の伝説として採取し、柳田国男に送りそれを柳田が考察したもので柳田国男全集『桃太郎の伝説』に掲載される。同時に宮古花輪村の髪長姫伝説も喜善が採取し柳田が考察しており、これも全国各地にある伝説と比較し論説されている。源義経公北行コースと看板を掲げ神社の格を上げようとしても、所詮その時代に、横山八幡宮は存在していない。むしろ、北行伝説を唱えるなら黒森神社であろう。ちなみに戦神である八幡神社を祀ることが出来るようになったのは、南部家が盛岡八幡宮の信仰を解禁した江戸中期前だから、横山八幡宮の歴史には阿波の鳴門も義経も無理があるわけだ。どうせ伝説だからいいじゃん、では済まされないのだ。ちなみに宮古の地名の起こりは「港・みなと」が訛って「みやこ」となったのではないかと、私は思います。

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