「家事365日」カテゴリーアーカイブ

落日故人情

直接の血縁ではないが、従弟同士で仲良くしていた叔父が8月に逝った。92歳だった。彼とは個人的ではあるが中世関連の歴史神社仏閣、石碑野仏、古文書拓本と一緒に野山を歩き路傍の石碑の文字を解読したりと公私ともに何かとお世話になった。まだ自分が歴関連の記事を書くにはあまちゃんだった頃に、着目点やかなりのヒントをもらった。晩年は足も弱り一緒に野山へ行くことはなかったが、たまに戻ってきた娘と一緒に住んでいた自宅で娘さんの手料理を肴に数回酒を飲んだ。たまに会えば「オレは年内に逝く」とずっと語り続けて何年も経ったが、今回は本当に逝ってしまった。お盆に帰ってきたであろう亡き妻と娘婿に誘われたか、亡くなったのは盆の16日であった。葬儀で弔辞を読んだがアドリブだった。そんなもんだ。人の旅立ちは唐突だがちゃんとした順序がある。誰だっていつの日か自分が逝く日もくる、その日の天気は晴れだといいな。

お盆って、今後どうなの?

お墓の存在もこれからの課題です
毎年作るお盆の施餓鬼棚。これも簡略化の対象だね

最近の世の中は伝統国家と新人類国家の戦争を成金国家が見守る構図だ。その戦争構造はやくざ映画の抗争を描いた「仁義なき戦い」にも似ている。言うことを聞かない新勢力と旧態依然とした伝統勢力の戦いが血で血を洗う。その戦いは水面下で政治や地域経済にも影響してゆく。人は生まれ子孫を残しそれを繰り返し領土を守り国家を築き生きてきた。その営みが伝統と歴史であるならば、過去の侵略や強奪も歴史であろう。先祖を敬うとはそんな歴史も含むわけで、死ねば誰もが仏の使徒となって生前の悪事がリセットされていいものだろうか。先祖ではなく顔を見知った自分の親兄弟や従妹親戚ぐらいを敬うぐらいがちょうどいいのではないかと思う。施餓鬼と称して不特定多数を供養したり、寺や墓に詣でるのはもういいんじゃないか。というより、今までの風習を守りたい人はそのまま守ればいいし、省略、簡略してもいいと思う人は辞めたらいい。お盆は正月並みにお金もかかるし、もっと経済的で簡易な儀礼にしていくべきだと思う。結婚式も葬式も昔に比べたらずいぶん簡略化されてきた。イナカのお盆だってもっと簡単にしていいと思う。

昭和屋敷改造工事

車庫が明るくなった

昭和屋敷の裏部分は山を背負っていてブロックで崩れ止めをしている。その上はプラの波トタンで覆っていて完全に雨があたらないようになっているから、ここがバイク置き場になっているのだが、その改良工事が行われたのは約20年以上も前でプラの波トタンは紫外線劣化と長年の落ち葉の渋で汚れ、ブラシでこすっても汚れが落ちない。おそらく最初は透明だったろうが今では乳白に淀んだ色になっている。しかも、昭和屋敷のぼったんトイレの臭気塔が直立していて、この位置が微妙で、自分が寝ている自室北側の窓を開けると風向きによって臭いが漂ってくる。部屋にエアコンをつければ窓をあけないでもいいのだが、昭和屋敷はばばあが昼にいる部屋のエアコンで相当の電力なわけで、到底、自室と二台の運転はギリギリだ。そうでなくとも夏は冷蔵庫も相当に電気を食うから、電気を使わず涼しくなるには、便所の臭気塔の出口を西側へ移動させるのがよい。ならばついでに小屋部分の波トタンを透明のポリカーボネイトに変えて明るくしよう…と屋根屋さんに見積もりをとった。見積もりはバンド関連で付き合いのあるTクンの工務店にお願いした。かくしてその金額は臭突移動工事込みで18万円也。14万ぐらいだと思ったが、ま、しゃーない。本格的な夏が来る前に工事を発注した。中国問題でエアコンは品薄でしかも高いし、もちろんエアコンは使えば電気を食う。それに比べ北側の窓を開ける方法なら経済的で健康にもよい。と、考えたが6月下旬のまさかの猛暑で部屋は午前中で34度。競馬予想をして馬番を間違うほどの暑さだった。

春の台所大掃除

毎日食事を作るために立つ台所の大掃除をやった。料理が下手な人は往々にして調理器具の格納位置や収納場所がまとまっておらず何をするにも「歩数」を要するような置き方、片づけ方をしている。この家で長年調理してきたばばあもご多分に漏れず、相当な料理音痴だ。加齢で音痴になったのではなく若いころから料理は上手とは言えなかった。昔はそんなばばあのぶっといキャベツの千切りも、ぼやけた味のカレーもどこの家でもこんなもんだろうと思っていたのだが、30代半ばから自分が料理をやるようになって、今まで食ってきたのが相当に酷かったことや、同じ料理なのに作る時間が掛かりすぎていたことがわかった。そんなこんなもあって、介護でこの家で暮らすことになった時に台所周りは自分仕様に改善した。オヤジが健在だった増築時にもっと使いやすくできたのだろうが、基本的に料理音痴だったばばあはますます使いにくい配置にしてしまった。食器棚と冷蔵庫が離れシステムキッチンも離れていて調理や配膳で部屋中を右往左往しなければならない。これを改善するため自作で棚などを作って改良したのが今の台所だ。毎日掃除はするのだが、ネットの裏、窓の外側、ブラインドは掃除できないから約半年に一度は完全に解体して掃除をする。そんな掃除に都合がいいのがばばあがデイケアに行く日の祝日だ。そんなわけで春彼岸の春分の日、3・21日(祝月)は台所の大掃除。スマホのGoogleの記録見たら去年も同じ日に掃除をしていたようだ。

屋外灯油タンクに穴、約60リットルが土中に

今年の寒さは尋常ではなかったのだが、台所で毎日稼働している、昭和屋敷暖房の生命線であるFFファンヒータの野外タンクに穴が開いたらしく、満タンにした二日後に空になった。最初は灯油配達の人が忘れたのかもと思い、配達伝票を確認したら97リッターの納品書。しかし、見た感じタンクの漏れは見当たらない。だがタンクの下のブロックはなにやら油っぽい。早朝のガス欠でストーブが消えたのでエアコンにチェンジして業者に連絡し確認にきてもらった。運よくその日、ばばあはデイケアだったのでばばあを送り出してタンクの交換をしてもらった。トラブルのおおよその顛末はタンクの底部に水がたまっていて錆て穴が開いたのだが、このところの寒さでタンク内の水が氷結し穴を塞いでいたが、ここ数日の気温上昇で氷が溶けて穴が露呈、そこからしたたかに60リッターの灯油が漏れ、しかも、早朝、焦ってガス欠と勘違いして、ポリ缶から18リッター給油してしまうという失態。相変わらず毎年1月は鬼門だ。必ずトラブルに巻き込まれる。コンセントトラブルでオイルヒーターを余計に買い、ばばあが電気こたつを壊したので新品を買って、今回は野外タンクの出費、合計で5万強の出費となった。まっ、年寄りに風邪ひかれるよりはいいけど

冬はお湯が沸く反射ストーブで

軽く晩酌してから風呂に入る。本当は酒を飲んでからの風呂は危ないのだが、昔からのパターンは変えられない。仕事を終えて帰り家でやることは山積みだ。風呂に入ってから揚げ物なんてできないわけで、結局、飲んですべての洗い物を済ませてから風呂だ。風呂に入る前に自室のT字部屋にストーブを点ける。温風ヒーターと反射ストーブだ。それから入浴し髪とか洗って部屋で紅茶を飲む。以前はハーブティーだったが味に飽きて結局は紅茶にした。この一杯が酔い覚ましになると同時に夜間頻尿の引き金になる。深夜二回起きてしまうが、これは昭和屋敷が寒いからであって加齢ではないと思うことにしている。たまに、フェスになって一晩に四回とか便所通いするとさすがに、サプリメント飲んでみっかなと思ったりする。

暑さ寒さも彼岸まで

親父はゴマ餅が好きだった

お盆が終わって一か月でこんどはお彼岸だ。なんだかんだ言って、寺というのは春彼岸、命日、お盆、秋彼岸と最低4回は行かねばならない仕組みになっている。どんな宗派に限らず死者を結びつけることで何かと金銭がかかる仕掛けになっている。墓がない場合は寺に遺骨を安置してしまうことが多いから、もう、寺の言いなりだ。寺の方針には逆らえないわけで、管理費や維持費、年供養費とか未来永劫、その家が没落するか宗派が変わるまで搾取が続く。非合理的だがかと言って家に遺骨を置いたままにもできない。各家が墓地を持つ時代も今となっては管理が大変だ。墓地は車いすで行けるような場所ではないし、墓地を建てた時は足腰も丈夫だが歳をとればとても歩いて行けるわけなどなく、まして供え物や水、お茶、花など持ってはまず無理だ。子や孫がいれば何とかなるが、老人だけが残されれば墓地も寂れてしまう。そろそろ共同墓地とか、散骨の許可を考えてもいい時代だ。墓が要らない人はそれでいいのだ。葬式だって無理にする必要もないしね。本当はお別れ会程度でいいのかもしれない。これからは伝統も重んじながら儀礼の部分も大きく変わってゆかなくちゃね。

洗濯機の水道に亀裂

先っちょが腐食して穴が空いた。さすが昭和屋敷

ばあさんの介護もあってほぼ毎日動かしている洗濯機に接続している水道の先端に亀裂が入って水が噴き出した。これが一通り洗濯をしてからすぐだったからよかったけれど、夜中とか、自分が仕事に行ってる時だったら大変であったろう。家にいるばばあが気づくはずもないから、洗面所が水浸しという事態になったはずだ。洗濯を終え、何か変な音がするな?と思ってその音を探ったら水道だったわけだ。その蛇口は何年も洗濯機専用の蛇口で、おそらく親父が入院中に洗濯機を買い替えたらしいから15年は経過している。そりゃ腐るは。まずは栓をきっちり閉じて分解してモンキースパナでリングを外し問題のさきっちょを外す。ホームセンターで同じ部品を探すためナイロン袋に入れて終了。夕方、買って来た似たような部品をセット。イマイチだが何とかなりそう。水漏れを一昼夜確認して完了とした。昭和屋敷と仲良く付き合うにはこんな苦労もあるわけで、これを楽しみに変えてゆかないとやってられない。出費はなるだけ少なくDIYで対処です。

変なお盆

酒、赤飯と煮しめ、ゴマ団子、どら焼き、偲ぶ饅頭。墓参りの定番です

コロナで移動制限もあるしと思っていたら「今年は仏様の供物の行ったり来たりはしない」という宣言が本家筋からきた。本家筋といっても親父が亡くなって13年以上も経過してるから代も変わって疎遠だ。しかも地代を毎月払っている大家でもある。もう付き合うことないな。大家さんの家の家族構成も知らないし、俺んちの家族仕舞いの前に親戚仕舞いしとこうと思っている。
さてそんなお盆。秋雨前線が停滞して毎年お墓詣りしている14日は朝から雨。しかも本降り。こんな日に墓参りに行って風邪を引いて熱でも出した日にはコロナに疑われてしまう。仏には申し訳ないが、今年は15日に墓参りとなった。しかし、15日も朝から雨。それでも小雨気味になり午後から墓参りをしてお盆の供物回し7件をこなした。
16日の午前中に施餓鬼棚を崩して今年のお盆も終わった。規定の日にちゃんと松を燃やし、仏のご飯もちゃんと作って供えた。こういう部分はマメな自分が笑える。

ああ、昭和風呂

増築マニアの父親は風呂も何度か増改築した。一番最初の風呂は薪で沸かすタイル張りの小さな風呂だった。子どもの頃から銭湯だったので、家庭風呂というのは夢のようだったが、その狭さ、面倒くささ、そして冬場の寒さは辛かった。そんな風呂は台所の改築に伴って改造され広くなった。なんと洗い場は三畳ほどあって、お湯の出るカランは三ヶ所だから、最低3回の改良がされている。そのくせ鏡はない。湯船は昭和色豊かなステンレスの浴槽が嵌っていて、これがかなり深い。ばあさんはこの深い湯船に入れないし、週三回のデイケアで入浴サービスを受けているため、家の風呂を利用するのは自分だけだ。昔は風呂にたっぷり湯を入れて入浴すると嫌みを言われたが、今は一人だから湯をたっぷり張って、水圧を味わい入浴する。窓も2箇所あって換気もいい。ただ問題なのはタイルの掃除が大変なことだ。最近は洗い場と壁の目地のセメントが劣化しタイルも所々剥がれている。そんなわけで修理を敢行した。ホームセンターで浴室用の白色セメント2㎏入り640円と幅広のマスキングテープを購入。セメント500グラムをナイロン袋に入れ水125ccで揉み込み。ケーキ用のパレットナイフと油絵用のナイフで剥がれた場所を補修して痛んだ目地に沿ってセメントを盛った。テープで養成し、濡れタオルで拭きながら修正し完成。乾燥まで4時間と書いてあったが、丸一日放置。ばばあの汚れた下着の洗濯や身体を洗うのは水を抜いた浴槽の中で済ませた。翌朝、再び修正して完了。昭和屋敷で暮らすのはレトロ感があって落ち着くが、このような補修は多々あり、これも楽しみに考えないと暮らして行けないのであった。