今年もお盆

今年はあまりも暑いので畳部屋ではなくエアコンがある台所に施餓鬼棚を作った
墓の管理は子孫がある家だけ、跡取りがいない家にとって将来のお荷物でしかありません

毎年やってくるのがお盆。先人はこれを供養としてずっとやってきたらしい。それでも災害や戦争でかなり省略されたというが、やはり儀礼的部分は根強く残っていて面倒くさい。これは日本の家が核家族化してゆく際に儀礼をしっかり伝承しなかったところに問題がある。死者や祖霊に関する部分は目に見えないから、昔は畏怖の対象だったが、今は寺もお金で動く企業だし、それに関連する業者にとってみれば今や「死者」は経済を発生させる飯の種でもある。それは昔から同じでそれが伝統や信仰というベールに隠れていただけなのだが、近年はそのベールもなくほとんど中まで丸見えだ。先祖や祖霊を大事にする世代の人々も口では何かと言っても足腰が動かなくなればそれっきりだ。墓も寺も億劫なだけとなる。そんな時代だからいっそのことお盆は、やりたい人だけがやる行事にした方がいい。そろそろ、お盆行事も終活の域に入るべきだと思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA