セメダインのホーロー看板

玄関の展示スペース

僕らの少年時代はプラモ全盛期だった。小学生とは言え硬派のモデラーは「オレは戦車しか作らない」とか無理に専業化していて、戦艦もウオーターラインのみ、飛行機はハセガワだけ、タミヤの35分の1だけとか、ムキになっていたような気がする。自分は今も昔も五目、こだわりはまったくない。だから飛行機、戦艦、戦車はもちろん、自動車、お城、鬼太郎、リボンの騎士から刀剣、透明人体など何でも作った。ただ、戦車は一度、タミヤのドイツ軍タイガー戦車で完成に至らず挫折してしまいトラウマになって、それから戦車はやめた。それ以来あのサンドベージュの色を見ると失敗したプラモを思い出してしまう。もマブチモーターを二個使うタイプだった。親にねだって、ねだって買ってもらった以上、未完は許されなかった。子どもの自分には仕事が重すぎたのだろうかなりのプレッシャーだった。好きなのは潜水艦だった。ゴム動力もいいが当時はマブチ水中モーターというのが流行っていて、水に浮く系のプラモにはその接続フックが成形されていた。マブチが強かったかプラモメーカーが強かったかは知らないがそうとうのパテントだったろう。
そんな時代の晩期、プラモに付属してくる安っぽい接着剤では雰囲気が出ない。あの尖った蓋を逆さまにしてチューブに穴を開けるのも素人くさい。ならば接着剤を買ってしまえとビン入りのセメダインを買った。今でいう透明マニュキアのようなもので、蓋の先がブラシになっていて作業もはかどるしプロっぽい。セメダインにはそんな思い出もあって、かつての大通り一丁目にあった雑貨屋「たかせん商店」の店内の柱に掲げてあったホロー看板を●万円で購入。今ではかなりレアなお宝だ。震災前に救った文化財でもある。玄関にホーロー看板とお召し替えをしたチャコちゃん人形とブリキのマルサンキャデラック。見る人が見れば「うーむ」と唸る品だが、あいにく家に来るのは介護の方々のみでマニアはこない。

春キャベツとアサリ

マロニーちゃんのアサリのダシが染みて美味しい

春キャベツが出回るころに、アサリと創味シャンタンで蒸し煮で食うのが好きなんだが、最近は食品衛生法とかの規制なのか、価格が合わないのかスーパーで売っているアサリのほとんどが冷凍した死んだアサリだ。しかも中国産。これらは身はそこそこ大きいが死んでしかも一旦凍結されたやつだから、加熱してアサリから出てくるダシというか旨味がイマイチ、というかゾンビだ。ひと昔前は粒は小さいけれど生理食塩水のパックに入った生きたアサリを売っていたし、子どもの頃はアサリってのは買ってきても一晩塩水に漬けて砂抜きしなければ食べられなかった。なのに最近は冷凍流通が当たり前になってしまいアサリ本来の味が生かされなくなった。パスタだってみそ汁だって、もちろん酒蒸しだってそりゃ見た目ちゃんと貝は開くけれど、冷凍と生は味も風味も別物だ。
生きたアサリが手に入らないけれど、たまには滋味深い料理もいいかなと思って、春キャベツとアサリの蒸し物を作った。まずは皿の下に茹でたマロニー(春雨の太いやつ)を敷いてそこに春キャベツとアサリ、ニンニク少々を載せて、紹興酒としょう油、創味シャンタンを入れてアルミホイルで蓋をして蒸し鍋に入れて約15分。アサリのダシと紹興酒、シャンタンのスープはマロニーが吸って、美味いのなんの。これでアサリが生なら申し分ないんだけど。
春めいてくると宮古沖のタラもラストシーズンだ。タラは脂がのって最も美味しいのは2月頃の寒タラってことになっているけれど、その時期はおいしいのはわかるが値段が高い。だから無理せずシーズンオフの遅い時期にタラフライってのもいい。タラフライはしっかり骨取りしてレモンで締めて調理すれば、ばばあも食べる。キャベツの千切りのいつもより細かく切って、和カラシととんかつソースでいただく。タルタルなんて邪道、タラフライはしょう油かソースが宮古流だ。残りは砂糖しょう油で甘辛く煮て弁当のオカズ。

イカせんべい工場祭でライブ

最後の曲で長半纏を脱いで演奏。すこぶる寒かった
黄色の着物でステージに上がる
セッティングがうまくいかない

菅田イカせんべい工場祭のステージイベントで演奏した。9時過ぎにばあさんの介護やら洗濯やらを終え、車で会場に向かったら早目に着いた相方から電話があり「なんとステージは外だった、洗濯ばさみオレの分ももってこい」の連絡。急いで車を戻して洗濯ばさみを持参して会場入り。なんと天気はいいが風は冷たくしかも花粉。こりゃテンション下がるはな。と思いながらもステージをこなした。お客さんは出店ブースの買い物に忙しくてステージなんかどうでもいいという感じだった。こちらも音響のバランスが悪くなんかイマイチな感じで演奏。午後は黄色の着物に着替えて演奏となったが、お客さんはほとんど帰っていて内輪での練習会となって終了。撮影するほどでもなく、こんなもんかとお土産をいただき撤収した。

半襟をちくちく縫う

糸を通すのに苦労しながら縫うのも、着物の魅力かも
花王フェザーシャンプーの年代物ブリキ缶

月末前の土日に市内のせんべいやさんの工場祭があってそのステージに出演依頼がきた。今年になって初のライブだからと奮発して黄色の着物に博多帯びで演奏することにした。昨年暮れは某町内の敬老会に出演したのだが、その時は手抜きして「うそつき衿」に半襟を両面テープで貼ってごまかしの着付けだった。客席のばあちゃんに衿が変だと直されて手抜きがばれたりして。しかもその後、両面テープで貼った半襟を剥がすのが大変だったこともあり今回はまじめに糸で縫い付けた。面倒くさい作業だが着物を着ると女子力が上がるってのは、着物着付けにはこんなささいな作業があるからだと思う。立体的になる部分なので前後左右別々に4回縫わなければならないのだが、この老眼、とても針に糸を通せない。通ったと思ったら途中で抜けてしまったり、指ぬきを探しているうちに針が落ちたり。とにかく眼が悪いと効率も上がらない。それでも何とか縫い付けて「うそつき衿は」二部式襦袢に安全ピンで取り付けた。ま、何事もこんなもんさ。工夫が一番。裁縫箱は昔の花王ーフェザーシャンプー(10円)の缶。これが銭湯の番台に置いてあって、髪を洗う人は必ず買っていた。その後液体のエメロンシャンプーが登場、シャンプーが粉石けんの時代は終わったのだった。

ばあさんの顔そり

T字カミソリで慎重に剃る。ばばあの手がこわばっている

ばばあの顔剃りをやった。自分のヒゲはずっと剃刀でそっていて電気カミソリで剃っていたのは30代ぐらいまでだろう。カミソリは最初、2枚刃だったがそれが3枚、4枚、今はなんと5枚刃が普通で電池の振動も加えて剃るタイプもある。当然、よく剃れるが刃のカートリッジは高価だ。その昔、シックインジェクターというハンドガンに弾倉を込めるようなイメージの交換刃があってかなり流行ったが、世の中は剃刀で剃る派はまだ少なく大方が電気カミソリだったと思う。自分も昔は旅行用と普段用の2台の電気カミソリ派だったが、一旦カミソリで剃ってみると剃り味の違いは歴然なわけで、カミソリ派に転向した。ヒゲは昔から濃い方だった。20代の頃はいい気になって鼻の下にちょびヒゲを生やしたりしていたが、ヒゲも手入れというか色々とめんどうなのでやめた。自分のヒゲは毎日剃っているからいいが、同じ道具で他人のヒゲを剃るのは意外と困難だ。基本的にT字カミソリは自分のヒゲ用に作られているわけで肌に当てていつもの逆ソリなんて危なくてできない。ここはおそらく昔ながらの貝印使い捨てカミソリがいいんだと思う。次からはそっちを用意してばばあの顔毛を剃ろうと思う。

T字部屋のベット解体

ベットの本体は印刷所の紙搬送パレット4枚がベース

毎日夜には猫のサクラもベットで寝てるからベット周辺のほこりがすごい。そろそろ花粉も本格化する気配なので、ベットを解体して久々に早目の大掃除をした。すごいワタ埃と猫毛、そして自分の髪の毛、クモの巣…などなど、ここで毎日寝ていたのかと思うほどの汚れ具合だ。旧式の紙パック式の掃除機の吸引力が落ちるほどのほこりだった。これからは冬眠したカメムシが動き出す季節だが、その前に寝部屋を掃除できたからラッキーだ。押入れをぶち抜いて納戸と部屋を合体した特殊構造の部屋なのだが、あとは残りの居住区を早目に掃除しないと。

ブレンダーを買った

3200円とかなりお安い
牛乳にお酢を入れて分離させてから砂糖と塩でクリームチーズが完成

ブレンダーを買った。二流メーカーの安物だが取りあえず使えば便利だ。一流品品とされるブラウンやティファールのやつだとゆうに10000円オーバーの価格だ。高いものはそれなりにいいモーターを使っているようで、連続使用時間も長く設定されていて料理にストレスがこない設計だ。今回買ったブレンダーは連続使用は1分と設定されていてそれ以上回すとエラーが出て一端クールダウンするらしい。だが、ブレンダーを連続で1分回すってシーンはそうザラにはない。料理って回しながら止め、再び回しながら止めを繰り返して進めるもので連続で回すってのはほぼない。フープロでさえ止めながら状況をみつつ数回に分けて回すのが普通だ。ま、今回は牛乳を米酢で分離させて得たカッテージチーズを練るためにブレンダーを使用した。ミキサーや泡立てだとクリームチーズが固くて針金の中にまとまってしまい混ざらないのだ。その点、ブレンダーは小さなカッターの刃が回転するからダンゴにならず砂糖などを混ぜられる。今回はホエーと分離させてから一晩冷蔵庫で水切りして塩少々を混ぜて攪拌、その後砂糖、練乳で味を整えた。自家製は添加物も入ってないから旨いこと、進むこと。フルーツとヨーグルトでばばあに食わせているが、そのうちチーズケーキやティラミスも作れそう。

今年も猫の日

会社の物置で生まれたニケももう立派な成猫。去勢されてます

毎年恒例の222と2が三つ並ぶ、2月22日は猫の日だという。昔、養蚕全盛期の頃はお蚕や繭を狙うネズミを退治するため猫は重宝がられたが、今は猫が人のためにやれることは飼い猫が愛玩動物として人の癒しに役立つぐらいで大半のノラ猫は邪魔者扱いだ。生まれてから一度も人と接触したことがない猫は野生動物と同様で人にはほぼ慣れない。もし慣れたように見えてもそれは食べ物を得るポーズだけで身体を触らせたりはしない。特にメス猫は子を産むという本能から飼い猫でも身体、特におなか周りを触られるのを極端に嫌う傾向が強い。そんなメスのノラ、サクラを飼いならしてベットで一緒に寝るようになるまで2年かかった。今では多少嫌がるがおなかの毛や尻尾、乳首も触らせてくれるようになった。これもまぁ気長な努力の結果だ。動物を飼ったことのない人にはそんなのどうでもよくて、猫とコミュニケーションを取るなど無駄な努力だと思うだろうが日々の暮らしの中に動物がいるというのはけっこうな潤いでもある。餌代とか猫が入り浸っているから泊まりがけで遊びに行けないとかの不便もあるが、その縛りを我慢するのも意外と快感だったりする。

きんかんシロップ煮

フォークで穴をあけてから弱火で煮ていきます
保存ビンに入れて柑橘好きの人へプレゼント

キンカンと言えば真っ先に虫刺されや、いんきんたむしに効くという独特のアンモニア臭い塗り薬のキンカンを思い出す。僕が子どもだった昭和40年代は柑橘と言えばミカンとナツミカンしかなかった。そんな時代に当時のTBSドラマ(系列はあいまいだが…)かなんかのタイトルに三姉妹の暮らしを描いた「みかん、きんかん、夏みかん」というのがあって、その時はじめて「キンカン」という柑橘を知った。それは何と皮ごと食べる小さいみかんで、それを初めて口にした時は苦くて種も多いし吐き出してしまった。以来キンカンってさほど美味しくないという先入観で大人になったのだが、晩年になってレストランのホール係りのバイトをした時、その店のシェフがキンカンのコンポートやタルトを作り、それを試食したらこれがすこぶる美味しい。なーんだ生で食うだけじゃないんだ、しっかり手をかければおいしい柑橘じゃないかと、キンカンに対するイメージは180度変わった。その後バイトも辞め介護暮らしになったわけだが、当時シェフがやっていた仕込みは眼で見て覚えているから真似してコンポートを作った。タルトやケーキに応用しようと思ったが結局はタコやカツオの刺身や和食系の和えものの具やアクセントに使ってしまった。

タコの刺身にナメコとキンカン。白ワインで

身欠きにしんのもどし

掃除してから再び煮てゆく
昆布がくせ者

お正月の定番商品の余りが安売りになっていてその中に身欠きニシンがあった。うーむ、安いのはわかるが調理法がわからない。仕方ない諦めるか…。とそんなふうに思っていたが、身欠きニシンってお正月の昆布巻きだけの需要ではなく、スーパーには年中あって賞味期限が近くなるとそれなりに安売りになっているらしい。何のことはない自分が食べ物として気にも止めていなかっただけなのだ。ならば試しにと安売りになったものを1パック買って米のとぎ汁で一晩戻し試しに圧力鍋で煮てみた。そしたら台所中ニシン臭くなった。それでも煮上がったものを砂糖しょう油で煮てみたら、うむ、なるほどこんな味だったのか…と思う食感でなんとか酒の肴にはなるが骨がイラつく。きっとこれはこれは下処理が悪いんだろう。一晩戻して柔らかくなった時点で背骨や腹骨を始末して食べやすく掃除しなければならんらしい。よし、ならば再度挑戦して、来年のおせちに向けて昆布巻きにしてみようと再び身欠きニシンを購入再チャレンジした。結果はそう甘くはなかった。今度は昆布がダメ。煮すぎてやわやわになってしまった。奥が深いな身欠きニシン。

アコギ中心のライブと楽器改造とバイク